今日も和賀心学 (2022-10-15)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝頂きますのは、人の事を祈れると言う事が有難いことだと。その祈れる天地金乃神様に御縁を頂いていると言う事が有難い。教祖様は、参って尋ねる所が無かったと。私どもには参る所がある、尋ねる所がある、祈る方が居られる、何と有難い事かと。神様との御縁が有る事の有難さを伝えさせて頂きたい。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 258頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第22節
天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ
神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ
神の徳を十分に受けようと思えば、
ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ
ままよとは
死んでもままよのことぞ
常日頃いっぱしの信心が出来ておらんと、
いざという時「ままよ」という心ができぬ
信ずる心が安心、「ままよ」の心から信が生まれる
神は信ずる者を信ずる
御神徳は神さまのご信用じゃから
(久留米教会初代石橋先生のおことば)
ままよと、ままよとは死んでもままよと、
ここには一つの信心度胸が要りますね、
ままよ、それには私どもの信心度胸、
それこそまな板の上の鯉とも言われますけれども、
その様な心境でしょうかね、
煮るなと焼くなと勝手にして下さい、と言った様な、
それこそ何もかもあなた任せになる、と言うのでしょうかね、
私どものやはりその信心度胸と言うのが求められますね、
そしてそれは一つの私どもの度胸であり、
そしてもう一つは神様に対する信頼の度合い、
とでも言うのでしょうかね、
神様にそれこそ煮るなと焼くなと好きにして下さい、
と言うある意味投げやり的な心がそこには有るのかもしれませんね、
もうどうにでもなれ、と言った様な、
そのどうにでもなれと言った様な投げやり的な、
度胸と言うのでしょうかね、と同時に、
そこに神様を信じ貫いてのままよ、ですか、
その 2つの意味が有ると思うのですね、
自分自身を完全に捨て去る心、と同時に、
そこにそれが何故自分を捨て去る事が出来るのか、
それは神様を信じ切って居るから、自分を捨て去り神様に任せる、
言わばままよと言うのは神様任せと言う事でしょうからね、
一切合切を神様にお任せする、と言う生き方ですから、
そこにはやはりそのまな板の鯉、と言う様なその信心度胸、
と同時に神様を信じ貫く、神様への絶対信、
と言うこの 2つがなければ、ままよの心と言うのは出て来ませんね、
それこそどうにでもなれ、と言ったやけっぱち的な投げやり的な心が、
やはりある時には必要になりますね、そしてと同時に、
その心が、神様を、天地金乃神様を絶対的に信ずる所から、
その心が湧き起こって来るのであれば、
正に本物のままよ、と言う事になるのでしょうね、
その 2つが出来て行かなければならないと思うのですけれども、
私ども、どちらでしょうかね、
あれは何ですか、その自分の思い通りにならない、
そこでまま鉢を投げる、そしたらそこら辺りがままだらけ、
とか言う御教えが有りますね、
ままにならぬと、まま鉢投げりゃ、
そこら辺りがままだらけ、でしたかね、
いわゆるもう自分の思い通りにならないからと言って、
投げ出してしまう、
その思い通りにならないから、もうやけのやんぱちで、
何もかも投げ出してしまう、
と似た様な心がやっぱり要る時が有りますね、
そしてそれが信心度胸に繋がって行く、
今朝はしきりと、人様の事を祈らせて頂く、
その祈れると言う事が有難い事だなと思わせて頂いて居りました、
そしたら今朝の御理解を頂きました、
どこにどう繋がるのだろうかと思いますが、
繋がりますね、人の事を祈る、
祈れる神様を頂いていると言う事ですね、
祈ると言う事はやはり神様に祈ると言う事ですから、
その祈る神様に縁を頂いていると言う事が、
先ず有難い事だなと、その人様の事を祈れると言う
自らの心の状態、これも有難い事です、
と同時にまた、祈れる神様に御縁を頂いていると言う事、
祈れる神様があると言う事、
これがまた有難い事ですね、
ですから私どもが、ままよの心になる、と言う事は、
ままよの心になって任せられる神様を頂いていると言う事、
そこが有難い事ですね
ままよと任せ切る、
この神様にお任せしよう、
と言うその任せ切る神様を、先ず頂かなければ、
ままよと言う心は起きませんね、
この神様にお任せする、任せて安心と言う訳ですからね、先ずは
そのそう言う任せられる、任せ切って居れれる神様と御縁を頂く、
あるいは教会なら教会、まさかの時にお届けをする、
そう言う所に御縁を頂いてると言う事が、第一に有難い事ですね、
教祖様はそれこそ、この方は参って尋ねる所が無かったと、
教祖様はお参りする所が、尋ねる所が無かった訳ですから、
私どもはそれこそ、参って尋ねる所、お願いする所を頂いている、
そこに御縁が有ると言う事、
天地金乃神様との御縁を付けて下さったと言う事、
そう言う御縁の無い人達が、世の中には沢山居られる事でしょうね、
商売なら商売でにっちもさっちも行かなくなって、
それこそ、それこそ頼る事が無くてやけのやんぱちになる、
と言う人達も居られる訳ですからね、
可哀相な事だなと、
この神様に御縁が有れば、何とかなっただろうに、
と思う様な事が有りますね
誰に頼る事も無くやけのやんぱちになる、
この神様にお縋りして、
この神様にそれこそ全面的にお任せしようと、
任せ切る所から来る、何と言いましょうかね、
心と言うのでしょうかね、
ままよと言うのでしょうかね、この神様にお任せしよう、
任せ切るままよの心を出させて下さる神様に、
先ずは御縁を頂くと言う事、
御縁を頂いていると言う事、の有難さと言う事になりますね
それこそ一人でも多くの人に、
この神様と御縁を頂いてもらいたい、
そこに初めて世の困っている人々も、
少なくなるのではないかと思いますね、
世の難儀が少しでも減る様な、
その為には一人でも多くの方が、この神様に御縁を頂いてもらう、
そしてそこに正にこの神様任せで、ままよの心を頂いてもらう、
そう言う事になって来れば良いなと思いますね、
その為のお役に立たせて頂きたい、
との願いを愈々強くさせて頂きますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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