2022年10月22日土曜日

教話には教えの内容を伝える教話と、言霊を伝える教話の2つがある (2022-10-22)

 今日も和賀心学 (2022-10-22)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


御教えには2つのタイプが有る。一つは教えを聞いただけでその内容で助かる教え。もう一つは、教えの内容だけでは助からない、その教えを行じて初めて効能が現れる教え。また取次者の教話にも2つのタイプが有る。一つは話の内容を伝える教話。もう一つは取次者の言霊を伝える教話。師匠大坪総一郎師の御理解にはその全てが備わっている。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 337頁)


ビデオ: https://youtu.be/n2pUdMNwWUs

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-22.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第48




わが子の病気でも、

かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ




言うことを聞かぬ時に、

ままよと思うて放っておくような気になって、信心してやれ




おかげが受けられる




安心と慢心は紙一重




『放っておくような気』と言うても、

横着であってはならず、慢心では尚更いけぬ




医者でも、自分の子供の手術が出来るようになると一人前だと

言われるように、メスをとる手に自信が出来るからである




信心も、子供の病気だけでなく、様々な難儀に直面した時、

放っておくような気で信心することが出来たら、おかげになる




一心の信心修行が出来ている時は不思議な度胸が出来て、

同じようなおかげが受けられる




本当は、わが子もなければひとの子もない境地が開ければ最高である

ここはもう、お徳をうけた者の世界である




言うことを聞かぬ時に、

ままよと思うて放っておくような気になって、信心してやれ、




と仰って居られますね、放っておく様な気になってと、

放っておけとは仰って居られませんね、




放っておく様な気になって、更に、

信心してやれ、と続けて居られます、




とかく私どもは自分の良い様に教えと言うものを解釈しがちですね、

だから放っておく様な気になって信心してやれと仰ってあるから、




まあ放っておこうと、神様に任せて放っておこうと、

いわゆる放って置いてしまう、間違いですね、




放っておけ、とは一言も仰って居られない、

放っておく様な気になって、と仰って居られますね、




とかく私どもは、神様任せで放っておこうと、

神様にお任せします、と放っておいてしまう、




これは間違いですね、明らかに、

そして、信心してやれと言う所を見過ごしてしまう、




と言うのか、致しませんね、

信心してやれと、




その言う事を聞かぬ子は神様に任せて、

放っておく様な気になって、と言う事ですから、




しっかり祈りを込めなければなりませんね、

しっかり神様にお願いさせて頂かねばなりません、




それこそ放っておく様な気になって、

しっかり祈ると言う事が要りますね、




そして更に、そこに自分自身が、

子どもが信心になる事を求めるのではなく、




自分自身が信心になる、

と言う事になりますね、




即ちその子供が右になる、左になる、

それは自分自身の信心如何だと言う事になります、




神様があなたの信心次第だよ、と

仰って居られる様な感じが致しますね、




教えと言うものには確かに 2つのタイプが有る様に思います、

一つは、その教えを聞くだけで心が助かる教え、




ともう一つは、その御教えを行じなければ効果が現れない、

行じで初めて、教えに取り組み、教えを行じる事によって、




初めてその効能が現れる教え、

と言うのでしょうかね




御理解、師匠が御理解下さる、その師匠の御理解、

これはその内容と、そして師匠のお話自体の持つ力、




と言うものがやはり有りますね、

言霊と言う事を言われます、言葉に魂が有ると、




師匠が、大坪総一郎師が発せられたお話、

その言葉、その例えば一切神愛と言われるならば、




一切神愛と言うその内容ですね、

それともう一つ、師匠が一切が神愛だと言われる、




その言葉の持つ魂と言うのでしょうかね、

そう言うものが有るのですね




例えて言えば、これは冷たいなと、

冷たいお菓子だなと、




私が冷たいお菓子だな、と言っても、

冷たいお菓子だと中々感じてもらえないと思いますけれども、




師匠が、例えば冷たいお菓子を頂いた、と言われると、

如何にもそのお菓子が冷たいと言うものが伝わって来る訳ですね




丁度噺家さんがお話をされて、

その噺家さんの話がこちらに何と言いましょうかね、




感じさせると言うのでしょうかね、

暖かいと言えば温かみを感じ、冷たいと言えば冷たさを感じる、




そう言うものが師匠のお話には有りますね、

感じさせるものが師匠のお話自体に有ると言うのですね




教えの力と言う様なものを言われますけれども

その教え自体に力が有ると、これも 2つの場合が有りますね、




その内容ですね、一切が神愛と言われれば、

一切が神愛だと言うその内容、が一つは有りますね、




ともう一つは、師匠が、一切が神愛だよと言われたら、私どもが、

ああそうなのか、一切が神愛なのか、と合点させる力が有るのですね




それはおそらく師匠が本当に一切が神愛だと実感して居られる、

悟られた、確信して居られる、そう感じて居られる、




だからこそその熱が伝わって来る、と言うのでしょうかね、

師匠の魂が伝わって来る訳ですね、




そう言う師匠のお話には、師匠の魂が伝わって来る、 

いわゆる言霊が伝わって来る、お話自体にパワーが有るのですね




私どもが、教えを行じて下さい、と言っても、

中々力は有りませんけれども、




師匠が、それこそこの教えを行じて下さいと言われたら、

それを聞いた私どもが、それなら行じでみようか、




と言う心が動かされるのですね、

そう言う力が師匠のお話には、御理解には有ります、




言霊ですね、ですから

出来たら師匠のお話に触れてもらいたい、




師匠の御教えと言うものが、




ただ単にその内容を伝えるだけの紙に書かれたもの、

これも勿論大切です、その内容も大切ですけれども、




と同時にその師匠のお声の、声の持つ力と言うのでしょうかね、

その強弱であったり、何とも表現のしようが有りませんが、




聞いてもらうしか、仕方有りませんけれども、

その、お勇みが有りましたね、




その師匠の声、そこに言霊が伝わって来る、

そういう言わば何と言いましょうか、




御教え、御理解のパワーと言うものが有りますね、

その師匠の御理解によって人が助かる、




それは内容によって助かる、

その御理解の内容と言う事も有りましょうけれども、




そしてまたその御理解に込められたその言霊によって助かる、

教えを行じてみようかと言う気になる、




話を聞いて、教えを聞いただけで助かる教えも有れば、

しかし行じなければ助からない教えも有る、




その行じなければ助からない教えを頂いて、助かってもらう為には、

やはり行じでもらわなければならない、




その為には、それならば行じでみようか、

と言う気になって頂けれる様な話でなければならない、




と言う事でも有りますからね、

師匠のお話にはそれこそ言霊が有ると言う事なのですね、




ですから人が助かると言う、その為には、

その話の内容も勿論さる事ながら、




そこに言霊のある話でなければならない、

そう言うお話をさせて頂きたい、




いつの日かそう言う話をさせて頂きたい、

と思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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