2022年10月7日金曜日

欲しい物を貰った時の喜びではなく、神様の御用をさせて頂ける喜び (2022-10-07)

今日も和賀心学 (2022-10-07)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


和らぎ賀ぶ和賀心の世界を求めて信心の稽古をさせて頂く訳ですが、喜びにも色々有ります。今朝は、欲しい物を貰った時の喜びではなく、神様の御用をさせて頂ける喜びを教えて頂きました。また師匠大坪総一郎師はその和賀心世界の先に天地金乃神様と合い楽しみ拝み合う合楽世界があると教えて下さいます。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 446頁)


ビデオ: https://youtu.be/p1KNB1qwLEg

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合掌

中原博信

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御理解 第84




おごりがましいことをすな

ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ




細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ

道に草を生やすようなことをすな




「理」「情」に徹してみて得る潤いと光彩とを、

そして躍動を与え、




恰も駱駝のごとき気の利かざる存在かに見え、

実は限りなき感銘を人々に与えながら地道に、




『細い道でも次第に履み拡げて通るのは繁昌じゃ

道に草を生やすような事をすな』




を実行させる不思議な力を感ぜずにおられない




実行させる不思議な力、

と有りますね、




不思議な力、これは御用と言う事でも有りましょうけれども、

何かを実行する、御用をする




和らぎ賀ぶ和賀心を求めての精進と言う訳ですけれども、

その賀びの心はどこから頂く喜びの心か、




この喜びの心にも色々有るのでしょうけれども、

今日教えて頂きますのは、




そのいわゆる私どもが何か欲しいものを頂いた時の喜び、

思いもかけないそれこそおかげを頂いた時の喜び、




そう言う私どもにとって、私どもに益すると言うのでしょうかね、

利益になる、そう言う喜びが有りますね、




勿論和らぎ賀ぶ和賀心の、賀の心の中の一つでは有るのでしょう、

しかし今日頂きますのは、もう一つ別の心ですね




その何と言いましょうかね、

私どもが喜ぶ、それは何も自分にとって益が有る、




その時だけに喜ぶと言う喜びではない、

もう一つの喜びが有りますね、




それは人様にお役に立った時の喜び、

と言うのでしょうかね




今朝はその、人様のお役に立った時の喜び、

の方の喜びを教えて頂くのですけれども、




自分を益する、自分に好都合であったと言う喜びではなく、

人様が喜んで下さった時の喜びと言うのでしょうか、




人様のお役に立った時の喜び、

これは天の心による所の喜びだと思いますね




天の心を行使した時に、

神様が与えて下さる喜びかもしれませんね




その結局人様のお役に立つ、

これは神様の御用をさせて頂く、




神様のお役に立つ、神様の御用をさせて頂く時の喜び、

と言う喜びですね、




それは何かを貰って喜ぶとか、自分の願いが叶って喜ぶとか、

言う類の喜びとはまた異質のものですね、




奉仕の喜び、天の心の喜びとでも言うのかもしれませんね、

私どもがその和らぎ賀ぶ和賀心による賀の心、




この喜びの心は、どちらかと言うとこちらの、神様に喜んでもらいたい、

神様の御用をさせてもらって頂く喜び、




この喜びの方がある意味一段次元の高くなった喜び、

と言えるのではないでしょうかね




人様のお役に立つ喜び、

神様の御用をさせて頂く喜びですね




その神様の御用をさせて頂くでも、私どもの心の中に、

少なくとも 3つの段階が有る様に思いますね、




一つは、これをして下さい、と頼まれて何かをする、

と言う事ですね、御用をする、




あれは何ですか、嫌いな人の親切よりも、

好きな人の無理が良い、と言うのが有りますね




好きな人から、あれをして下さいと頼まれる、

そしたらその事をする、そこには喜びが有りますね、




好きな人に頼まれた事の何かをさせて頂く、

喜んでさせて頂きますね




そう言う頼まれた事をする、と言う喜びが有りますね、

またそう言う御用と言うものです、




そしてまた誰か重い鞄か何かを持って歩いている、

その人に、あああの鞄を持って差し上げようかと、




鞄を持ちましょうか、と声をかける、

そしたら、いや結構ですと言われる、




それは私どもの心が未だ足りないからですね、

いわゆる真心が無いからです、




して差し上げましょうかと言う、差し上げましょうか、

と言う心である訳ですね、




ですから、良かったら持ちましょうか、

と言う程度の事である訳です




それでも、持って下さいと言う人も居るかもしれませんけれども、

もう一つその人の心を見る、神様なれば、持たせられませんね




神様の御用をさせて頂きたいと思うからには、

もう一つの、いやこれは私が持たせて頂こう




あの重い鞄、重そうな鞄を持ちましょうか、ではなく、

持たせて頂こう、と言うこちらの真心からの御用




と言うのでしょうか、させて頂こう、

その鞄を持たせて下さい、と




神様に、それこそ御用を、この御用をさせて下さい、

神様、この御用をしましょうか、ではなく、




神様この御用をさせて下さい、と真心からの御用になった時に、

神様が、それならば持ってくれと、この御用をしてくれと、




させて下さるのではないでしょうかね、

そしてそこに、神様が、




どうぞこの御用をさせて下さい、

ああ、それなら御用をしてくれと、




言われた時にそこにまた喜びが有りますね、

御用をさせて頂く事が出来る喜びと言うのがそこに有ります、




そう言う喜びを頂いて欲しい訳ですね、

何か都合が良いものがあって喜ぶと言う喜びではない、




御用をさせて頂く、させて下さいと言う、

そこに御用をさせて下さい、そして神様がそれならばして下さい、




と頼まれる、その御用を任せられた時の喜び、

その御用が出来る喜びと言う喜び、を味わって頂きたい訳ですね、




そしてそこに初めて、

使命感と言うものを頂けれる様になるのではないでしょうかね、




させられる御用であったり、しようことなしの御用であったり、

しましょうかと言う程度の御用では、




中々使命感と言うのは頂けませんね、

よしこれは私が、是非私にさせて下さい、




と言うそこに初めて、

使命感が出て来るのではないでしょうかね、




そしてまたそれを任された時の喜び、

これがいわゆる本当の喜び、




もう一段次元が高くなった喜び、

と言う事になるのではないでしょうかね




自分に都合の良い様に行く事の喜び、

そこからもう一段進んで、




神様の御用に、お役に立つ、立たせて頂く事の喜び、

人様のお役に立つ事の喜び、そう言う喜びの心を頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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