2022年10月6日木曜日

使命感を持って神様の御用に立つ (2022-10-06)

 今日も和賀心学 (2022-10-06)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


私は何の為に生きているのか、あるいは生かされているのかと言うこと。ただ漫然と一生を過ごすのではなく何かに向かって人生を送れたら有難い。先ずはその人生の目的に出会うおかげを頂かねば、そしてその事が自らの使命と感じられる様になったら更に有難い。使命感を持って神様の御用に立つと言うこと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 152頁)


ビデオ: https://youtu.be/jLj2m2bRPQ4

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合掌

中原博信

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御神訓




信心して まめで家業を勤めよ 

君のためなり 国のためなり




国の為とか君の為とか、

むずかしいことは思わぬでも、




自らの為、そして

「はたが楽になる」ための「働く」であればよいのです




「その時代にはそれが真」、

「今の時代ではこれが真」とコントロールしてゆくことが真です




山頭火の句に「まっすぐな道でさみしい」というのがあります

まっすぐまっすぐばかりでは興がありません




君のためなり、国のためなりと有ります、

何々の為にと言う事ですね




今朝頂きますのは、その、為にと言う事なのですね、

私どもが生きている、あるいは生かされている、




その生きていると言う事が、あるいは生かされていると言う事が、

ただ漫然と生きている、それこそ何の目的もなく、




ただ日々を漫然と生きている、生かされていると言う所から

もう一歩進んで、ただ生きているだけではない、




それこそあれは何でしたかね、

人はただパンのみに生きるにあらず、ですか、




そう言う言葉が有りましたね、

その私どもが、ただ生きる為に生きていると言うのではなく、




何か目的を持って生きると言うのでしょうかね、

そうでなければ中々生き甲斐と言うものも見出せませんね、




空虚な日々と言う事になるのでしょうかね、

やはり私どもの中に何か目的が有る、向かうべき所が有る、




ある意味それは希望と言うものかもしれません、

いや希望を持って目的に、目的地に向かおうとする、




と言うものがやはり有る方が、人生は楽しいと言うのか、

人生が人生として歩ける様になると思いますね




やはり人生の目的と言った様なもの、

そのどこに向かって歩いているのか、




どこに向かって行っているのか、

今している事がどこに向かっているのか、




それこそ何の為にしているのか、その辺が明確になると、

人生もより一層有意義なものになるのではないでしょうかね、




それを信心では、それこそ神様のお役に立ちたいと言う、

神様のお役に立つ、と言うそこに焦点が当てられ、




人生の目的が、神様のお役に立つ事だと、

そう頂けれる様になれば、一層有難いものですね、




そしてまたその神様のお役に立つ、

いわゆる神様の御用をさせて頂きたい、




しかもそれが具体的にどう言う御用をさせて頂きたいのか、ただ漠然

とですか、ただ漠然と、漫然と神様の御用をさせて頂きたいとか、




お役に立ちたいとか言う思いから、

更にもっと具体的に、こう言う事でお役に立ちたい、




例えば教会御用なら御用をさせて頂く、

そのただ何となく何か御用をさせて頂きたいと言う所から、




より具体的にならば、草むしりでもさせて頂きたい、

おトイレの掃除をさせて頂きたい、お広前の掃除をさせて頂きたい、




あるいは財の御用をさせて頂きたい、と言った様に、

より具体的にその何と言いましょうかね、




お役に立ちたいと言う事の内容がより具体的に自分の中で認識される、

そうなるとやはりもう一つ更に有難くなりますね、




そしてその事が、自らの使命とも思える様になる、

それこそ使命感を持ってその御用に当たらせて頂くと言う事ですね、




例えばトイレの掃除でも、

そのトイレの掃除をさせて頂く、それが私の使命だ、




と言うそこに使命感を持ってさせて頂く事が出来る様になると、

 より一層有難いものになるのではないでしょうかね、




ただ漠然と漫然と日々を過ごしている、と言うのでは、

何か人生の無駄遣いの様な感じも致しますね、




そこに何か目的を定めて、

その目的に向かって人生を過ごす、




と言う事がやはり甲斐ある命、甲斐ある人生、

と言う事になるのではないでしょうかね、




そしてよりそれが具体的に、この事をさせて頂きたい、

この事をさせて頂こう、これが私の使命だ、と思える様な、




そう言うものに出会わせて頂く、

そこに出会っただけでも、人間は幸せかもしれませんね、




一生をかけてでもこの事をさせて頂く、

この事をさせて頂き、御用に立つ、




これが私の使命だ、と思えれれる様なものに出会うと言う事、

これはやはり先ずはお役に立ちたいと言う願いを持ち、




さあどう言う事でお役に立とうか、何をさせて頂こうか、

そのやっぱり求め続けなければなりませんね、




そして求める所に、神様がこの事でそれこそ御用に立ってくれよ、

この事を使命として、まぁ貫いてくれよと言うのでしょうかね、




そう言うものを感じさせて下さるのではないでしょうかね、

何の為に、この事の為に、




それこそその事を自らの使命として頂けれる様な何かに、

出会うと言う事が大切ですね、




出会えたらこれ程有難い事は有りませんね、

またその為には、それを求め続けねばならない、




私は何の為に生きているのだろうか、

どう言う御用をさせて頂けば良いのだろうか、




と先ずは求め続ける事

そこに神様がある日突然の様にして、




その御用を、何と言いましょうかね、出会わせて下さる、

と言う事になると思いますね




使命感を持ってその御用に当たらせて頂く、

これがやはり人間の幸せの一つではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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