今日も和賀心学 (2022-10-28)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日今日と、教えの3つ目のタイプを教えて頂いた。1つは聞いて助かる教え、2つは行じて初めて助かる教え、3つ目は信心者の心得としての教え。心を育てる事に直接関わる訳ではないが、神様がこうあってくれよと願われる教えとも言える。例えば、驕りがましい事をすなとか、1年遅れて分限者になる気でおれ等。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 80頁)
ビデオ: https://youtu.be/6LWSzCdw4j0
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-28.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
四季の変わりは人の力におよばぬことぞ
物事、時節に任せよ
人の力に及ばざる事を不平不足を言わず頂くことこそ、
御神意に背かぬ事である
合楽で言われる御理念に基づく生き方は
人間の最も善なる生き方である
故に、
人間の最高のおかげの道が開かれる
人間の最も善なる生き方、と教えて下さいます、
人間の生き方ですね
教えと言うものが有ります、
今までは 2つのタイプが有ると頂いて来ました、
そこに昨日は 3つ目のタイプを教えて頂いた様に思います、
その 3つ目のタイプとは、
それこそ人間の最も善なる生き方と言われる
その一つの部分をなすものだと思います、
3つ目のタイプと言うのは、
それは 1つの 1つ目は、教えを聞いて助かると言う御教えですね、
それこそ一切が神愛だ、成行きは神様の御働きですよ、
と言わば私どもの心を育てる為の神様の御働きです、
人間の幸せを願って神様が御働き下さる、それが言わば成行きです、
と言った様な、その教えを聞いて合点して、なる程そうだなと、
なる程神様の、人間を幸せにせずにおかん御働きなのだな、
と分かり助かる、
その教えを聞いて、分かる事によって助かる、と言うのでしょうかね
そう言う教えが有りますね、
そして 2つ目のタイプは、それこそ教えを聞くだけでは助からない、
聞くだけでは効果が無い、
私どもが実際その教えを行じる事によって初めて助かりが得られる、
例えば、土の心で黙って治める、
黙って治める等も、黙って治める事だと、土の心だと、
話を聞いて分かっただけでは助かりませんね、効果が現れません、
実際に、よしここは一つ一言、言い返したいと言う様な時でも、
黙って治める、そこに神様の御働きが現われる、
言わばその教えを行じる事によって助かりが得られる、
そう言う御教えですね、
そして昨日から今日にかけて教えて頂きます 3つ目のタイプ、
これは信心させて頂く者、信心する者としての心得、
とでも言うのでしょうかね、
信心者はこうあってくれよ、と神様が願われる御教えですね、
例えば師匠がそれこそあれは何でしたか、
おかげの泉に有りますね、
例えばお給料が 10万円だと、10万円あるにも関わらず、
12万円、13万円の生活をしようとする、
そこにまた問題も起こって来る訳ですけれども、
その 10万円しか貰えていないお給料に、
12万も、13万円もの生活をしようとする、
そこに問題が起こって来る訳でしょうね、
ですからなる程 10万円貰っているなら、
その 10万円の、貰ってる間で生活をさせて頂く、と言った様な、
そうですね、驕りがましい事をすな、と言う御教えでしたね、
そう言う自分の身の丈に合ったと言うのでしょうかね、
そう言う生活をさせて頂く、
またあれはは何ですかね、
例えば朝起きる、何時に起きるなら何時に起きると決めたら、
その時間に起きさせて頂く、
そう言った様な何と言いましょうかね、
人間として守るべき事柄と言うのでしょうかね、
そう言うものが有りますね、
昨日はそれこそ、神様が右と言えば右、
神様が左と仰れば左、と素直に頂くと言う様な事でしたね、
神様の仰せ通りに仕り候うと言う訳ですね
そのこれは、そうしなければならない、
そうしたから助かる、心が大きくなるとか、言わば天地日月の心の、
その教えを守ったから、天の心が身に着いた、
地の心が身に着いたと言う事からは少し外れる様な事ですけれども、
そうですね、そう言えば師匠が良く仰って居られた事に、
例えば御祈念をする、修行生で言えば御祈念をする、
あるいは何か待ち合わせの時間が有る、
そしたらその 10分前に来ときなさいと、
言った様な事を仰って居られましたね、
10分前の精進ですか、
そう言ういわゆる信心させて頂く者として、こうあったが良いよ、
と言った様なその心得と言う様なものですね、
そう言うものも色々師匠は教えて居られます、
そう言うものをどこから学べば良いのか、
やはり先ずは、どう言う風に師匠が教えて居られるのか、
その師匠好みになると言うのでしょうかね、
師匠のセンスに合わせると言うのでしょうか、その信心センスに、
師匠の信心センスに合う生き方を私どももさせて頂く、
そこに初めて師匠と同じ様な電流が流れて来ると言うのか、
御徳が流れて来ると言う事でも有りましょうからね、
神様好みの私どもになる、師匠好みの私どもになる、
と言う事でも有りましょうね、
それが信心させて頂く者としての心得だと、
言う事でも有りますね、
その一つがやっぱり、驕りがましい事をすなと、
それこそ一時にお金を得たいと、一攫千金を夢見たり致しますね、
で宝くじを買ったり致します、あるいは賭け事に走ったり致します、
なる程それで神様のおかげで儲かった、賭け事に当たった、
と言う事になるのかもしれませんけれども、
それでは本当の信心ではない、と師匠も確かに仰って居られますね、
それこそ神様、何番の宝くじを買わせて頂きましょうか、
半分お供えさせて頂きます、と言った様な事かもしれませんね、
それは本当の信心ではないと、
確かに師匠は仰って居られますね、
そう言ういわゆるその御教えを行じたから、
心が助かった、と言う様な事ではないけれども、
信心させて頂く者としての心得、と言った様なものですね、
そう言う 3つ目のタイプの教えが有ると言う事ですね、
これはやっぱり師匠のお話を聞いて、やっぱり勉強が要りますね、
その為に、改めておかげの泉を読み直してみる、
おかげの泉はやっぱり師匠が自ら選び出されたものですから、
師匠の教えとしての宝庫の様なものではないでしょうかね、
そこを改めて皆さんにも頂いてもらえる様な仕組みを、
今考えさせて頂いて居ります、
ほぼ目処が付きましたので、後はそれをアップロードして、
聞ける様な状態にさせて頂こうかと思っている次第です
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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