今日も和賀心学 (2022-10-21)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
御神徳即ち神様の御信用を頂く為の必要条件の一つは徹する事、例えば、成行きを尊ぶ生き方が出来たり、出来なかったりと言う様では、この人は当てにならないと言う事になる。それでは信用は頂けない。信用される条件の一つは日月の心、即ち貫く事、その教えを徹し貫く事、この事無しには信用は頂けない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 379頁)
ビデオ: https://youtu.be/MRjJWUsNXfk
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-21.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第62節
昔から、人もよかれわれもよかれ、
人よりわれがなおよかれというておるが、
神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、
後に人を助けてやれ
神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ
にわかに先生にはなれぬぞ
私的の助かりから
人間としての真実の助かりをうけ、
お道の信心に縁を得たことが、
しみじみと有難いと思う心が「和賀心」
この心で他人のことを願い、
教会のことが願わずにおれぬ愛教精神が生まれ、
教団全体の発展が願われ、
世界中のことを真でねがわれる信心こそ、
神の願いが成就することであります
このような信心が一段一段進んで行かねばなりません
私的の助かりから、
人間としての真実の助かりを受け、と
これは私的の助かりと言うのは、
我情我欲が満たされる事の助かり、
私どもの願い事が叶う、あるいは難儀から助けてもらう、
と言うのでしょうかね、
困った時の神頼み的な、その困った事から助けてもらう、
そう言う私どもの私的な助かり、
我情我欲を満たす助かり、と言うのでしょうかね、
そう言う助かりを先ずは頂かねばなりませんけれども、
そこで止まるのではなく、
そこから更にもう一歩進んで、
よし難儀でも、難儀でさえもそれも神様のおかげだと、
それこそその難儀を通して、私どもの心を育てて下さる、
言わば私どもの中に有る神心と言うのでしょうかね、
神性を育てて下さろうとする神様の御働きだと、
この難儀によって心を育てる事が出来る、と頂けた時に、
真実の助かりが、そこに得られる訳ですね
私どもが、私どもの単なる我情我欲の願いが叶えられる事、
そこだけに焦点を置いていたのでは、一切が神愛とは頂けませんね、
私どもの心を育てる、と言う事に焦点を置いた時に初めて、
なる程この困った出来事によって心を育てる事が出来る、
なる程、神愛であったな、
と言う事になる訳ですね
そしてまた信心は神様の御信用を頂く事だと、御神徳を頂く事だと、
その御神徳とは神様の御信用と教えて下さいます、
ではどうしたらその御信用を頂く事が出来るか、
と言う事になる訳ですけれども、
確かに神様の仰せ通りに仕り候と、教祖様は仰っておられますね、
神様の仰せ通り、言わばその言い付けを守る、言われた通りにする、
そこになる程信用も付いて来ますね、
言われた事と反対の事にする、
あるいは言われた事を一つも守らない、と言う様な事では、
あの人ばっかりはと、当てにならない、と言う事になりますね、
それこそ毎月、何日はお参りしますと心に決める、
あるいは神様にお約束をする、
ところが出来たり、出来なかったり、
朝参りをしますと約束をする、心に決める、
しかし今日は一寸雨が降っているからやめようとか、
今日は一寸昨日遅かったから、疲れてるからやめよう、
今日は一寸、昨日一寸飲み過ぎたから、も少し寝とこうとか、
いわゆるそう言う様な事では、やっぱり信用は頂けませんね、
師匠大坪総一郎師の信心の中で、
一つの特徴と言いましょうか、それは徹すると言う事、
徹しられたと言う事、その事に徹しられた、
よしこうするぞ、と心に決められたら、
その事を徹し貫かれた、
その事を師匠も仰って居られますね、徹する事だと、
御神徳を頂く一つの条件、
それはやっぱり徹する事ですね、
言わば天地日月の心の、天の心、地の心、
日月のその日月の精進と言う事になりますね
なる程この出来事で、成行きで、天の心を、
この出来事で、地の心を勉強しよう、
と、それが出来る時も有れば、出来ない時も有る、
と言う様な事では、
この人は一寸当てに出来ないな、と言う事になります、
ですからやっぱり人様から信用してもらう、
神様から信用してもらうからには、そのブレない事ですね、
その事をよしこうしよう、と思ったら徹する事ですね
御教えを行じる、黙って治めるならば、
黙って治めると言う事に徹する事です、貫く事です、
出来たり、出来なかったりするから、
神様から、この氏子はどうかなあ、
これを上手く行じてくれるかな、
黙って治めてくれるかな、どうか分からないな、
と言った様な、寧ろ神様に不安を与えてしまう様な事では、
とても信用してもらえるとは思えませんね
御信用を頂く、これはやっぱり最低条件ではないでしょうかね、
徹すると言う事、その事を貫くと言うこと、
いわゆる日月の精進ですね、
今朝はその徹する、教えにその教えに徹する、
その生き方に徹する、
その徹する所に、貫く所に神様の御信用も付いて来る、
それが出来たり、出来なかったりと言う様な事では、
とても信用してもらえるとは思えませんね
どうでも私どもが、その貫く信心、
その事に徹し貫く信心を身に着けさせて頂きたいものですね
そこに初めて神様の御信用も付いて来る、
と言う事になりますね、
そしてそこから初めて、人の事を祈った事が、
その祈りを神様が聞いて下さる事にもなるのでしょうね、
この氏子は当てにならない、と言う様な人の願いを、
神様が聞いて下さるとは思えませんからね、
まぁ一遍か二遍位は聞いて下さるかもしれないけれども、
聞き通しに聞いて下さると言うのは、
やっぱり御信用を頂かなければ難しい事ですね、
為には徹する事です、貫く事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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