今日も和賀心学 (2022-10-14)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝頂きますのは、取次者は人の難儀で育つと頂きました。人様の難儀を通していの一番に育つのは、育たねばならないのは取次者と言う事です。その取り次ぐ難儀が天地金乃神様の御働きであり、神愛の現れである事を先ず第一に取り継ぐ者が実感し確信しなければなりません。そして祈りが生まれます。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 250頁)
ビデオ: https://youtu.be/f-mzOXI_sMs
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-14.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解 第19節
金光大神は形がのうなったら、
来てくれと言う所へ行ってやる
「去来するもの」
それは金光大神取次の働きの場である此処にはじまる
来てくれと言う所に
頼む時だけでなく、
御礼を申すときもお詫びの時も来てもらわねばならぬ
正に今朝のこの御理解の内容と言うものを
心中祈念の時に頂いた様に思いますね、
しかもそれは御理解には、形がのうなったら、と有ります、
実際には形が有る、形が無くなる必要は無いと言うのでしょうかね、
形がのうなったら、来てくれと言う所に来てやると言うのではなく、
もっと形が有る時でも、来てくれと言う所に来て下さる、
と言うものですね、
そしてまた今朝頂きますのは、
取次者は人の難儀で育つ、とも頂きました、
取次者を育ててくれるもの、それは人様の難儀だと言う訳ですね、
人様の難儀を通して育つのは、
一番最初に育つのは取次者だと、
勿論その難儀の人が、
難儀の渦中にある人が育たねばなりませんけれども、
先ずはその難儀の、難儀なら難儀のお届けを頂いたその取次者が、
先ずは取次者自身が、その事がなる程神様の御働きだ、
なる程師匠の祈りの中に起きて来ている一切神愛の中の出来事
に違いない、と先ず取次ぐ者が確信が出来ると言う事、
その事を実感出来ると言う事、
これが先ず第一だと言う訳ですね、
その難儀の渦中にある人に、
それも神様の御働きですよ、神愛の現れですよ、
と伝えた所で、
中々それが伝わるとは思えませんね、
言わば難儀の渦中にある人が、
直ぐそこで心が育つと言う事は難しい、次の話である訳ですね、
先ず神様がなさろうとして居られる事は、
その取次ぐ者自身が、その事を神の働き、
神愛の現れとして頂けるか、
頂けておるか、それを実感出来るか、
先ずは取次者が育つ事が第一だと言う事ですね、
と言うよりか寧ろ、その取次ぐ者、取次者を育てる事の為に、
人様の難儀が有る、と言えなくもない訳ですね、
取次者はその人様の難儀をもって育つ、と言う事なのですね
誰が一番育つのかと言うと、
その御信者さんではない、取次者自身なのですね
そしてその取次者自身が育って初めて、
それが神様の御働きだと言う事も、
やはり御信者さんの上に段々に伝わって行く、
と言うのではないでしょうかね
そこにはですから、屑の子程可愛いと仰って居られます様に、
その屑の子が一度に分かるとは思えません、
けれどもそこに取次者の祈りが有ると言う訳ですね、
いや祈りが発生して来ると言うのでしょうかね、
特に遠くに居りますと、
その人に会って現場で何か助けて差し上げると、
お手伝いをすると言う事が出来ません、
あとですから取次者に出来る事と言ったら、祈りしか有りませんね
師匠も取次者は祈りに明け暮れるものだと、
仰って居られましたね
祈りに明けて、祈りに暮れる、
それが取次者の御用と言えば御用ですね
他にも有るのでしょうけれども、兎に角先ず第一に、
その人様の難儀を通して取次者が育つと言う事、
そしてその取次者の祈りが大切だと、
その難儀の渦中の人が、直ぐその事が神の働きだと、
分かろうはずもなかろうけれども、
そこにその事が神の働きとして合点が行く様に、
祈りを込めると言う事になりましょうかね、
と言う様な事を心中祈念の時に思わせて頂いて居りましたら、
正に今日の御理解を頂きました訳ですね、
金光大神は形がのうなったら、
来てくれと言う所へ行ってやる、と
まぁ来て下さる訳ですけれども、
ですからそれは金光大神の祈りと言うのでしょうか、
神の働きと言うのでしょうか、
何も金光大神がなくなったから、
なくならなければ来られない、と言う訳では有りませんね、
いつでもどこでも形が有っても来て下さる、のが、
それは師匠の祈りと言う事でも有りましょう、
金光大神の祈り、天地金乃神様がそれこそ、
師匠の、金光大神様の祈りに寄って来て下さる、御働き下さる、
おかげを授けて下さる、とも言えるのかもしれませんね、
そこに大切なのは、私どもの祈りだと言う事になりますね
形が有る間でも祈る、その祈りが届くと言うのでしょうかね、
神様がその祈りを聞き届けて下さって、
おかげを授けて下さる、
と言う事になるのでしょうね、
とにかくその難儀を通していの一番に育つのは取次者だと言う事、
取次者は人の難儀をもって育ち、そしてそこに祈りを込める、
その祈りによって人が助かり、
また取次者自身も育って行くと言う事になりますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿