2022年10月11日火曜日

一人の信心によって多くの人が助かる (2022-10-11)

 今日も和賀心学 (2022-10-11)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は一寸変わった事を教えて頂いた様に思う。ある大変御ヒレイを頂かれた教会がある。多くの修行生や御信者の方々が教会を盛り上げ支えている様に見える。しかし実際には何の役にも立っていないと。教会を支えているのはその教会長たった一人の信心だと。一人の信心によって全てが支えられていると。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 118頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




何を食うにも飲むにも 

ありがたくいただく心を忘れなよ




私は飲食に当たって先ず願います

どうぞ頂いたものが血肉となり活動の元になりますよう




又、大小便としてお取り払い頂きますときは、

心よりお礼申し上げて居ります




「願い」「頂く」「御礼」の繰り返しであります

こんなわけですから、真実有難しの一念で頂くことが出来ます




食物は命のために親神の、作り与えしものなれば

頂く心あつくして、健康に過ごさん今月今日




先ず願います、と有ります、

師匠が願われる




今朝のお話は少し本筋から離れるかもしれません、

逸脱すると言われるかもしれませんけれども、




この師匠の願いと言うものが有ります、

そしてまた神様の願いと言うものが有ります




ある大変御ヒレイを頂かれた教会があります、

そしてその教会を支えている御信者の人達、




そしてまたそこで御用をして居られる修行生の先生方、

そう言う人々によっていわゆる教会が成り立っている、




支えられている様に見えます、

しかし今朝教えて頂きますは、そうではないと、




実際にその御ヒレイを頂いている教会、

その教会が御ヒレイを頂いているのは、ただ一人のおかげだと、




それはその御ヒレイを頂いて居られる教会長先生、

その一人の信心によって沢山の人が助かり、




また修行生の人達がその中に御用をして居られる、




その御信者さん達が居られるから、その修行生の先生達が居られるから、

御ヒレイを頂いているのではないと、




言わば人が真実助かると言う事であったり、

御ヒレイを頂くと言う事、




神様の願いが成就すると言う事に寄与している人は、

教会長を除いて誰も居ない、と言う事なのですね、




そこの教会長と神様との間の関わり合いと言うのでしょうか、

その何と言いましょうかね、ただ一人の為に、




ただその教会長一人が全てを支えているのだと、

言う事なのですね




例えばそこから布教者が出たと致しましょうか、

そしてその布教者の所で御ヒレイが立ったと致しましょうか、




それは布教者の力によるものではない、




それはその元の教会長を喜ばせる為に、

神様が弟子である所の教会の御ヒレイを立たせているに過ぎないのだと、




全ての大元と言うのでしょうか、

全てを支えているもの、それはその一人だと言う事なのですね、




その一人の人の、

一人の御方の信心如何によって全てが支えられている




その全てを支えているものは、

一人の信心だと事なのですね、




この辺がしっかりと認識が出来て居りませんと、

ついつい自分の所でおかげを頂いている様に思ったり致します、




全ては、何と言いますかね、

やっぱりその大元である教会長先生を喜ばせる為に、




神様がしておられる事だと、

言う事なのですね、




太陽と言えば一つの太陽と言う事になりましょうかね、

その太陽の元に全てが潤っていると言う事になりますね




一見、太陽の元で潤っている者達が、

自らの力で潤っている様に思うてしまいますけれども、




実はその一つの太陽があるからこそ、

全てが照らされている、と言う事になりますね




そして師匠が願われるのは、

その師匠と同じ様な太陽が幾つも出来る事を願われておるのですね、




本当は




ですからその自分の所から巣立った弟子達が、

またそこでも自らの光を放ち、太陽となる事を、




本当は願って居られるのですね、

ところが中々太陽に成る事が出来ませんね、




どこまでもその師匠と言う太陽の下で、

それを月の様にはね返せれば、それで明かりが灯るのでしょうけれども、




はね返さずに、

明かりも灯らずに終わってしまう事も多々有りますね、




師匠が、その自分が説く事、

これがあれは夏の南瓜と仰って居られましたけれども、




そう言うものなのでしょうかね

夏の南瓜の様にいっぺんに広まる事はないと、




間違えましたかね、多分南瓜だと思いましたが、

とにかく何か野菜ですね、




夏のそのお野菜、それは沢山いっぺんに出来るそうですね、

そう言う風には行かないと、




例えて言えば高級メロンの様なものだと、確かに美味しい、

しかしそこには手間暇がかかる、手をかけて育てねばならない、




そして育てても育つのは幾つかだと、

中には育たずに終わってしまうものも居るだろう、




と言う様な表現をして居られましたね、

なる程師匠が願われるものは、




師匠が太陽として全てを支えて居られた、と同じ様に

その師匠と同じ様な太陽の働きが出来るものを沢山世に出したい、




輩出したい、育てたいと言うのが師匠の願いであられた訳ですけれども、

中々その高級メロンを育てると言う事は手間暇がかかる様ですね、




途中で枯れてしまう様な事もやはり有るのでしょう、

どうでもその私どももまた師匠と同じ様な太陽の光を放てる様な、




そう言う私どもに成らせて頂きたい、

そう言う精進をさせて頂きたい、




為にはどうすれば良いか、と言う事になりますね、

やはり師匠の御教えを、師匠の信心センスを、




もう一遍でも、二遍でも、三遍でも頂き直して、

どうでも師匠の願いに近付かせて頂きたいと願いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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