2022年10月2日日曜日

この世で天地金乃神様との絆を結ぶ (2022-10-02)

 今日も和賀心学 (2022-10-02)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、神と共に生きると頂いた。この世に生きている、あるいは生かされている。それが、吾神と共にあり、神吾と共にあり、の実感を持っての日々の生活でありたい。この世で天地金乃神様との絆を結ぶ事もなくあの世に旅立つ人が多い。この世でも、あの世でも、神様と共に生きる私でありたい。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 213頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第7




天地金乃神は昔からある神ぞ

途中からできた神でなし




天地ははやることなし

はやることなければ終わりもなし




天地日月の心になること肝要なり

信心はせんでもおかげはやってある




如何に天地は流行る事もなく終わりもないにいたしましても、

其の天地を生かすも枯らすも氏子の信心次第であります




いつの時代いつの世になりましても、

生きた天地の働きを人間氏子の幸福のため、




生神金光大神取次の道の真意を体して、

気を緩めることなく頂きつづけねばなりません




それには天地日月の心になることが肝要であります




天地日月の心とは、だまって与え、だまって受け切り、

日々を実意をもって生きることです




天地金乃神は昔からある神ぞ、と

教祖様が、死に際にもお願いせよ、と




神の、あの世でも神のおかげを受けずには居られまいか、

と言った様な事を仰って居られますね、




この世で神様の御縁を頂き、

そしてまたあの世でも神様と共に生きると言うのでしょうかね、




今朝頂きますのは、

神と共に生きる、と頂くのですね、




この世を生きる、と同時にまた、

あの世に行っても、あの世を、あの世ででしょうかね、




あの世で生きると言う事、例えれば、生き死にと言うのは、

その場所が変わるだけだと言うのでしょうか、




環境が変わるだけだと言った様な表現も有りますね、

この世では神様、あの世では仏様と言う事ではありませんね、




この世でも神様、またあの世でも神様と言う神様のおかげを、

この世あの世を通して頂きに頂き続ける事が大切だと言う事ですね、




ですから先ずは、この世において神様と御縁を頂く、

と言う事がなされていなければなりませんね、




この世でただご利益を頂くだけの神様であったり、

自分がそれこそ困った時の神頼み、




困った時だけ出て来てもらう神様、であったのでは、

あの世に行った時も神様のおかげを頂く、




と言う事が、

出来るかどうか分かりませんね、




この世に於いてそれこそ毎日毎日、日々の中に神様と共に生きている、

生かされている、と言う実感を持っての日々であって初めて、




あの世に行く時もまた、

神様と共にあの世に行かせて頂く、




そこに、生きても死にても安心、

と言う境地も頂けれるのではないでしょうかね、




神様と共に生きている、吾神と共にあり、神吾と共にある

と言う実感を持っての日々を生活させて頂くと言うのでしょうかね




中々この世に生を受けて、




そして神様と共にある吾、と言う事を実感する事無く

あの世にまた旅立って行かれる方達が多いのではないでしょうかね、




あの世でもまた迷わねばならない、

と言う事になるのかもしれませんね、




この世において神様との深い縁、絆と言うのでしょうかね、

を作らせて頂き、




その神様との絆を持ってまたあの世に行き、

あの世でも生活させて頂く、




その為のこの世だとも言えるのかもしれませんね、

この世において神様との深い絆を築いて行く、




それこそ、吾、神、何と言うのでしょうかね、

人、神の関係と言うのでしょうか、




その強い深い絆を築かせて頂く、

それがこの世に於いての私どもの一つの目的と言うのでしょうかね、




でもあろうかと思いますね、




その私どもがやはり天地日月の心になろうと、

その天地日月の心を目指す時に、そこへ導いて下さる、




それが神様であり、その導いて下さるその過程を通して、

神様との間に深い強い絆がまた生まれて来るのではないでしょうかね、




ただ単に困った時の神頼み、自分の良い時だけ、神様来て下さい、

と言う様な間柄では、神様との深い絆が出来るとは思えませんね




もう何でも物事が上手く行って、運んでいる時には、

もう神様は要らない、と言った様な事にもなってしまいますね




いつ如何なるどう言う中にあっても、

神吾と共にあり、と言う神様と共に生きる、生かされている、




神様のおかげで今の私がある、

と言うそう言う強い深い神様との絆が出来る、




その神様との強い深い絆を作る為に、言わば天地日月の心を求めて、

目指して信心の稽古をさせて頂く、とも言えると思いますね




ただ天の心、地の心、日月の心が身に着けばそれで良い、

と言うものではありませんね




丁度私どもが勉強を致します、学校で勉強を致します、

そしてそこに先生が居られます、




なる程私どもとしては、

勉強が身に着けばそれで良いのかもしれませんけれども、




そこには先生が居られる、そしてその学校で勉強をする事によって、

先生との関わり合い、先生との絆が深められて行く、




そこに勉強が出来ると言うだけではなく、

先生との関わり合いと言うのでしょうかね、




それが深められて行く、強められて行く、

そう言うものであるのですね、




ですから天地日月の心を目指すと言うだけではなく、

自らの心が育つと言うばかりではなく、




そしてそこに神様との、天地金乃神様との強い深い絆が、

それに伴うて築かれて行く、




神吾と共にあり、と言うその思いが愈々強いものとなり、

そしてその間柄と言うものが、あの世にも持って行けれる、




そうなった時に、この世あの世を通して天地金乃神様と共に生きる、

と言う事になるのではないでしょうかね、




またあの世にも安心して旅立つ事が出来る、

と言う事にもなろうと思いますね




どうでもこの世に居る間に、神吾と共にあり、

吾神と共にありですか、神吾と共にあり、




その両方が実感として頂けれる様な、

そう言う信心生活でありたいと願いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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