今日も和賀心学 (2022-10-19)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人は何の為にこの世に生を受け、生かされているのか。一度は疑問に思い、その答えに出会う事無く日常生活に追われ忘れてしまう。今朝はその答えを、心を育てる為に生を授けたと。しかしその心とは人の心ではない、神の心だと。人の中に宿っている神の心、即ち神性を発芽させ育てる為のこの世は土壌だと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 350頁)
ビデオ: https://youtu.be/Ln_kMfStmpo
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-19.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第52節
信心する者は驚いてはならぬ、これから後、
どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはならぬぞ
真っ暗闇だから不安になる
信心の光がさす時安心が頂ける
神の偉大な働きを実感する時
そこに信心の喜びが湧いてくる、その喜びが不可能を可能にする
驚いてはならなぬと、
しかし師匠は信心の喜びと驚き、と教えて下さいます、
教祖様が驚いてはならぬ、と言われるこの驚きとは、
それこそ色々な事が出来て来るのでしょう、
いわゆる私どもの身の上に降りかかって来る事柄、
と言うのでしょうかね、
そう言う事柄が、どう言う事が起きても驚いてはならないと、
普通の意味での驚いてはならぬ、だと思うのですけれども、
師匠大坪総一郎師は寧ろその驚きが大切だと、
それはどう言う驚きか、
信心の喜び、
と信心の驚きだと、
信心を進めさせて頂く、信心の稽古の上で、
それこそ何に驚くのか、何を喜ぶのか、
それは自分にとって都合の良い事が出来た事に喜ぶ、
願いが叶った事に喜ぶ、
そう言う喜びも大切ですけれども、そればかりではない、
寧ろ神様の御働きに驚き、神様の御働きに喜ぶ、
例え自分の、今の自分にとっては都合の悪い事であっても、
信心をさせて頂いて居りますと、
そこに、なる程これは神様の御働きだと分かる、分からせて頂く、
そこに神様の御働きを頂いておる事が有難く、
喜びを感じれる様になる、
そしてまたその神様の御働きに驚きを感じますね
今朝は私も心中祈念の時に一寸した驚きを頂きました、
なる程そう言う事なのか、と言う喜びと言うのか、驚きと言うのか、
それは実は私どもやはり誰にでもある事だと思うのですが、
若い頃、学生の頃とでも言うのでしょうかね、
私は一体何の為に生まれて来たのだろうかと、
人間は何の為に生まれて来るのだろうか、
この世に生を与えられるのだろうか、
と、少なからず疑問に思った事が有ると思います、
そしてその答えを得られる事なく日常の生活に、
何と言いますかね、忙殺されると言うのか、
生きて行く事に精一杯であったり、
子育てに忙しかったり、それこそ
仕事に忙しい、いわゆる生業の為に忙しくなり、
その疑問も解けないままに日常を過ごして居る、
過ごす事になる、そしていつのまにか忘れてしまう、
と言う様な事かもしれませんね、
今朝はその、人間が何の為にこの世に生を受けたのか、
その事を教えて頂いた様に思います、
それは勿論信心させて頂いて居りますと、
心を育てる為に、自らの魂を磨く、
その心を磨く、心を育てる事の為に、
この世に生を受けた、
と言う答えに達するのですけれども、
その答えが、今朝は少し違う答えなのですね、
と言うのは、なる程心を育てる事には違いないけれども、
人の心を育てる為に生まれたのではないと、
人の心を育てる為に有るのではないと、
では何か、それは私ども人間の中に有る神の心を育てる事の為に、
この世に生を与えたのだと、神様の側から言えばですね
決して人が持っている人の心を育てる為に有るのではない、
生まれたのではない、
私ども人の心の中に有ると言うのか、
その中に有る神の心、いわゆる神心と言うのでしょうかね、
あるいは神性とも言われますね、人間の心の中に持つその神性、
その神の心を育てる事の為に生まれたのだと、
このなる程心を育てると言う事ですけれども、
それは人が持っている人の心を育てる為ではない、
人の心の中に植え付けられたと言うのか、
神の心、人の中に有る神性、それを育てる事の為にあるのだと、
今の私がある、と言う事ですね
そう言えば師匠大坪総一郎師が、
柿の種のお話をして下さったなと、
柿は、その柿の種ですね、それを割ってみると、
その中にまた芽が有ると、柿の種の中にまた芽が有る、
それはいわゆる人間で言えば、
人間の中に有る神性だと言う事ですね、神の性ですね、
その神の性、生神の性と言われますね、
それを育てる事が信心であり、人間のこの世での一大目的だと、
ですからよく生神への精進とか、
この世には神に成る為に生まれて来たのだとか、
言う表現もされますけれども、
同じ様な内容だと思いますがね
私どもの心の中にやはり神の心が宿っていると言う事ですね、
そのそれはなる程宿っているけれども、
柿の種の中に有るその小さな芽、
小さな小さな神の心が宿っているのかもしれません、
それをやはり大きく大きく育てて行くのが、
この世での私どもの一大目的だと言う事なのですね
私ども人間の中には、やはり人としての人の心が有ります、
と同時に神の子としての神の心が宿っていると言う事、
そしてその神の心の部分を大きく育てて行く、
これが信心であり、
この世に生を受けた人間としての
一つの一大目的、使命の一つと言えるのかもしれませんね
この世には神に成る為に生まれて来たのだ、
と言う所にも繋がる事だと思います
誰の心の中にでもその神の心が宿っている、
と言う事、
その神の心、即ちその神性を育てて行く事が、
私どもの人生の一大目的であると言う事ですね
その神心の一つが、
やはり人が助かる事のお役に立たせて頂きたい、と言った様な
人の助かりを願う、祈る心が
愈々大きく膨らんで来る、強くなって来る、
それが一つには、その私どもの中に宿っている神の心が育って行く、
と言う事ではないでしょうかね
私どもの心の中に有る、人の心を育てるのではない、
私どもの心の中に宿っている神の心を育てて行くのだと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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