2022年10月20日木曜日

合楽理念を正しく理解し、正しく行じる (2022-10-20)

 今日も和賀心学 (2022-10-20)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


昨日はハンガースタンドを購入させて頂き組立てさせて頂いた。ズボラで組立説明書をろくに読まずに組立てたら間違えてしまいプラスチックの部品を壊してしまった。師匠大坪総一郎師が教えて下さる助かりの合楽理念、正しく理解し、正しく行じないと、合楽理念は役に立ちませんと言う事にもなりかねない。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 100頁)


ビデオ: https://youtu.be/wfZShaCyuos

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-20.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




信心する人は何事にも真心になれよ




「勝って兜の緒をしめよ」

ということがあるが、




信心も平穏だから、無事だからというて、

心に隙をつくってはならん




心におこる感興と、

外からなる響きとがひとつになり、




交響楽ともなり、

リズムともなって神と氏子との絶妙なるドラマが生まれる




むつかしいと思わず、

信心が血肉になる精進である




妙なるドラマが生まれると、

それは一つの妙なるドラマ、成行きと言うのでしょうかね、




成行きは確かにドラマチックですね、頂き様によっては、

何とまあ神様の恐れ入る手の込んだ御働きだ、と思わせられますね




昨日は実は大失敗をしました、

あの洋服を掛けるハンガーが有りますね、




あのハンガーをまた、洋服をかけたのを吊るしておく

ハンガースタンドとか言うのが有りますね、




そのハンガースタンドを購入させて頂き、

昨日それを組み立てさせて頂いたのですけれども、




箱の中にパイプとか、その繋ぎのプラスチックとか一杯有りますね、

それを出して、勿論説明書が、組立説明書が有る訳ですけれども、




部品の数と言うのでしょうか、

点数確かに全部有るかどうかは確認したのですけれども、




その後組み立ての手順と言うのが有りますね、

ところがこんなものは適当にやれば何とかなるだろう、と




その説明書の手順に従わずに、

ろくに読みもしないで組み立て始めた訳です、




それで所々分からなくなって、

所々は説明書を参考にして組み立てたのですけれども、




如何せん、間違えて組み立ててしまったのですね、

よく説明書を見なかったからです、




そして最後に、これは失敗したと、だからもう一遍やり直そうと、

プラスチックを外そうとしたら、




そのプラスチックがもうしっかり入っていて、

ポキっと折れてしまいました




正規に組み立てる前に、

組み立ての段階で壊してしまった訳ですね




何とか接着剤で付けて、

それをフォローする事は出来ましたけれども




神様が何を教えて下さったのだろうかと、

今朝はしきりに心中祈念の時に思わせて頂きました、




やっぱり何事も説明書が有るならば、

その説明書通りに組み立てて行かないと、失敗しますね




これは合楽理念も同じだと言う事ですね、

いわゆる師匠が教えて下さる合楽理念、助かりの理念、




これにも 2つのタイプが有ります、教えの中にですね、

一つは教えを聞いて、聞いただけで助かる、




神の大恩と教えて下さる、

食物はみな人の命の為に天地の神の造り与え給うもの、




と教祖様は教えて下さる、なる程食べ物皆んなは、

私どもの為に、人間の為に、命の為に神様が造って下さったものだ、




と言う事を合点して、その教えを聞いて心が助かる、

なる程そうなのかと、




しかしもう一つの教えは、行じなければ、

その効果が現れない、と言う教えが有りますね、




教えを聞くだけで助かる教えと、

その教えを行じなければ効果が現れない、助からないと言う教えですね




例えば成行きを大切にとか、

黙って治めると言う事なども、




黙って治めると聞いただけでは助かりませんね、

実際主人が、家内が、子供が、職場の人が色々な事を言う、




それに対して一言、何と言いましょうかね、

返事と言うのか、文句の一つも言いたくなる様な事が有る、




口答えをしたくなる様な事が有る、

そこをまた黙って治める、




これはその黙って治めるを行じなければ、

助かりは得られません、効果が現れません、




ある方が合楽理念は役に立ちません、

と申された方が居られるそうですけれども、




今朝の、昨日の体験から言いますと、

きっとそれは合楽理念のそれこそ説明書きをよく読まれなかったのか、




途中から我流でなされたのか、ちゃんとその説明書通りに、

合楽理念の説明書通りに行じられなかった、




そこに間違った方向に行ってしまった、また役に立た無かった、

と言う事になったのではないかと思いますね、




やはり教えと言うものは、

合楽理念を正しく、正確に、




間違える事なく、説明書通りに、師匠の教え通りに行じなければ、

効果が無いと言う事にも繋がりますね、




ですから先ずは教えを正しく

マスターしなければなりませんね




そう言う中の一つに、師匠が、その先日も申しました様に、

研修録音の中に、修行生の先生方の中にも色んな先生が居られると、




中には教えを聞いただけで、行じ様ともしない先生も居られる、

それはそれで良いと、




ここからが師匠の心を心とする、頂くべき所だと、

私が思いますのは、




そう言う師匠の思い通りに、願い通りにならない修行生が居る中に、

願わくば、と仰って居られましたね、




願わくば、ここで修行している間に、通る所を通ってくれと、

いわゆる修行をしてくれと、教えを行じてくれと言う訳ですね、




願わくば、行じてくれと、

しかし、行じなさい、と強制はして居られませんね




どこまでもその人本人を尊重して居られる訳です、

これは私どもが人様に接する時でもやっぱりそうだと思いますね、




この人がこうあったら良い、ああったら良いと思います、

しかしそれは、願わくば、なのですね、




そこからの先は祈りですね、願わくばこうあって欲しい、

こうする事がより真実だ、より信心になる、




その願わくばは、持っても良いけれども、

こうしなさい、ああしなさい、と口に出して言っては駄目なのですね、




そこは祈りに替えて、後はその不行状な修行生でも、

師匠は、黙って受け入れて居られた、




それを祈りに替えて居られたのだと思いますね




そう言う師匠の信心のあり方と言うものを、心の動きと言うものを、

しっかり正しく勉強させて頂き、分からせて頂かねばなりませんね




そして何でもかんでも頂くと言うけれども、

頂くけれども、その嫌な人でも頂くけれども、




願わくば、この人の信心が育ちます様に、

願わくば、この人の性格がより良く、




神様の心に沿う様に成長します様に、

と言った様な願い、祈りは持ち続ける、




教祖様も、言うても聞かぬ子は仕方があるまい、

また時を待って、おかげを受けるがよし、と仰って居られますからね




願わくば、と言う思いは持ちつつ、

それでも今の現実を受け入れて行く、




黙って治めて行く、そこに神様が、

信心修行として認めて下さるのではないでしょうかね、




それこそ人が助かる為の修行として、

その事を受けさせて頂く、しかしそこには、




願わくばこの方が本当だ、と言う方向を、

確かに祈らせて頂く、祈りとしては持たせて頂く、




でも黙って治める、

と言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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