今日も和賀心学 (2022-10-05)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝はお夢に、ある所に大変美味しい物が有る、その美味しい物を自分の国の人々にも食してもらおうと、損得抜きで寝る所も無い位に船に一杯積み込んで持ち帰ろうとしているところを頂いた。思うに、この助かりの理念を世の人々にも味わってもらい助かって頂こうと言う心意気を持てとの御神願を感じる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 389頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第65節
日柄方位は見るにおよばぬ
普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ
よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、
自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ
いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、
雨風が強うては、今日は不祥のお天気じゃと言うではないか
日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え
鳥や獣には日柄も方位もない
人間にだけあるはずがない
天地の恩恵の中に生きるものは総て、人間も動物の仲間である限り、
生きる自由の与えられておる事をわからねばならぬ
天地の恩恵の中に生きるものは総て、
と師匠は教えて居られます
天地の恩恵の中に生きる、
生かされているとも言えるのかもしれませんね、
その天地の恩恵の中にあるものは、
と教えて居られるのですけれども、
私ども人間が、その何と言いましょうかね、
自らで道を狭くしている所が有る様に思いますね、
それこそ最近はどうか分かりませんけれども、
昔は日柄であったりとか、方位であったりとか、
そう言うものが有った様ですね、
暦も有りましたね、
いついつは良い日だとか、この日は悪い日だとか、
そう言う暦すら有る様な事でしたから、
いわゆる迷信と言えば迷信でしょうけれども、
それは私どもが、その災難から逃れたいと言うのでしょうか、
悪い事が起きて来る事から逃れたい、そう言うものの結果として、
そう言う日柄方位と言うものが出来て来たのではないでしょうかね、
言わば私ども人間が、それまでの体験等を通して作り上げたもの、
とも言えるのかもしれませんね
悪くもないものを悪いと思い、
思い込んでしまったと言うのでしょうかね
そこに特別にいわゆる根拠が有る訳ではないけれども、
昔からの言い伝えと言うのでしょうかね、
そう言うものかもしれませんね
今朝はお夢の中で、ある国ですか、
そこで大変美味しいものが有るのですね、
どうも今流に言えば、
そのチョコレートの様な感じが致しましたが、
それをある方が、それこそ自分自身の損得、
あるいは危険と言うのでしょうか、
そう言うものを顧みずに、
船ですね、お船に積めるだけのものを積んで、
自分の国に持って行って、
皆に分け与えようとしている、そう言うお夢でした
さあ神様が何を教えて下さるのだろうかと、
先ず第一に感じさせて頂きましたのは、
それこそ美味しいものですね、
皆にとって美味しいもの、
そう言うものをそれこそ自分の損得勘定は抜きにして、
皆に頂いてもらう、そう言う御用をしてくれよと、
そのやっぱり誰かがそれを持って行かなければならない、
持って帰る、自分の国に持って帰る、
そして人々に伝えて行かねばならない訳ですからね、
今日の御理解でもそうだと思いますね、
それこそ日柄方位は見るに及ばぬ、
と言う美味しい果実と言えば果実が有る訳ですけれども、
これがその人だけのものであったのでは、
その人だけのもの、
自らの損得勘定を抜きにして、
また危険を顧みずと言った様な所が有るのかもしれません、
それでも世の人々にこの美味しいものを頂いてもらいたい、
と伝えずにはおかないと言う心意気と言うのでしょうかね、
そう言う心意気を持って、
人々にそれこそ日柄方位は見るに及ばないのですよと、
あなたの都合の良い日が一番都合が良いのですよ、
と言った様な、その教えなら教えと言うものを伝えて行く、
それによって、勿論自分がそれを食べて美味しかった、
いわゆる自分が助かった訳ですね、
その自分が美味しいと思ったもの、
自分が助かったもの、
それを人様にも味わってもらおう、
と言うその心根と言うのでしょうかね
その教えなら教えによって自分も助けられた、
そしてまたそれを人々に伝える事によって、
その人、その人この人あの人も助かって行かれるに違いない、
それを味わって下さるに違いない、
そして美味しいと、助かったと言う事になるに違いない、
と言う事なのですね、
これはやはりその自分の助かった、
助けられたと言うその体験と言うのでしょうかね、
そう言うものを人様にも伝えて、
その人様にも助かって頂く、
そう言う御用をしてくれよと、
言う様な神様の願いではなかろうかと思いますね
この道に御縁を頂き、やはり自らが助かりを体験しなければなりません、
経験しなければなりませんが、
そしてその自らの助かったその経験を、また人々にも伝えて行く、
そして人々にも同じ助かりの経験を、体験を積んで頂く、
そう言うものが、人から人に、
次から次に伝わって行った時に初めて
世の人々が、多くの人が
本当に助かる事が出来る様になるのではないでしょうかね
今朝はそのお夢の中で、先ずはその美味しいものを人々に伝えよう、
と言うそれこそ自分の損得勘定は抜きにしてでも人々に伝えて行こう、
味わって頂こうと言うその心根でしょうかね、
心意気と言うのでしょうかね、
それを持てよと、そしてそうしてくれよと、
言う様な神様の願いが込められたお夢であったと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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