今日も和賀心学 (2022-10-18)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、一切神愛の世界と頂いた。してみると一切神愛ではない世界も有るのかも知れない。師匠大坪総一郎師は一切神愛論に於いて一切が神愛と喝破された。師匠は一切神愛の世界に住んで居られたからだろう。私も一切神愛の世界に住まわせて頂きたい。では一切神愛の世界の住人になるにはと言う事になる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 304頁)
ビデオ: https://youtu.be/BMzRT-IEF3Y
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-18.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第37節
生きておる間は修行中じゃ、ちょうど、
学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ
「この世はあの世の為にあるのだから」
の一言につきます
難儀の元は
神と氏子の間にはられた光明電線のようなものである
有難く修行として受けてゆけば、
光ともなり徳ともなるのです
有難く修行として受けて行けばと、
修行として受けると有りますが、それは何の為の修行なのか、
ただいわゆる我情我欲のおかげを頂く為に修行として受ける、
と言うのでは、
この光ともなり、徳ともなると言う事には、
なるとは思えませんね
師匠が確かある時、その色々な修行が有る、
辛い事、苦しい事が有る、
そう言う事をいわゆる修行として受ける、
それも何の為の修行か、
人が助かる為の修行として受けさせて頂きます、とその事を、
人が助かる事の為の修行として受けよう、と腹が決まったと、
そこから人が助かる様にもなった、と言った様な事を、
仰られた様に記憶が有りますね
いわゆるなる程修行として受けようと、
何か困った事が有ったり、嫌な事が有ったり、
それこそ人間関係の事であったり、様々な事が有りますね、
そう言う事を修行として受ける、
それがただ、この先良い事が有るだろう、
塞翁が馬ではありませんけれども、
ただその事の為に、自分の我情我欲が満たされる、
そう言うおかげが将来頂けれる、
その事の為に修行として受けよう、と言う事ではないのですね、
師匠が仰る修行として受けると言う事は、
そのこの事によって、私がこの事を修行として受ける事によって、
神様どうぞ人を助けて下さい、
人が助かる為の修行として受けさせて頂きます、
と言う肚なのですね、
その肚が有るから、そこに神様が、
光ともなり、徳ともなる御働きを下さる、と言う事になりますね
ただ単に身欲身勝手の為の修行ではない、
と言う事ですね
今朝はもう一つ、目から鱗の様な事を教えて頂きました、
それは、「一切神愛の世界」と頂きました、
一切神愛の世界、なのですね、
で私が思いました、
一切神愛の世界、それならば
一切神愛ではない世界も有るに違いない、有るのだな、
と思わされた事でした、出来るならば、
その一切神愛の世界に住まわせて頂きたいものですね
師匠は一切神愛論を提唱されました、
一切が神愛だと言うのです、
これは正に師匠が一切神愛の世界に住んで居られたから、
一切が神愛だと喝破された訳ですね
よく何と言いましょうか批判的な人達はよく言われます、
どこそこで戦争があっているではないか、
どこそこで犯罪の犠牲者になっている人達が居るではないか、
それこそ今の世界の状況が有りますね、
それでも一切神愛なのか、
あそこでも神愛と言えれるのか、と問われる事が有ります、
それは私にも分かりません、
ただ私に言える事は、
その私は一切神愛の世界に住まわせて頂いているな、
と言う事なのですね、
それは何故か、師匠の許で信心の稽古をさせて頂き、
師匠と同じ世界に住まわせて頂いていると確信するからですね、
それは師匠の祈りの中に住まわせて頂いている、
その師匠の祈りの傘の中に、
祈りの圏内の中に住まわせて頂いている、
とその事を確信するから、
師匠が
一切神愛の世界の中に住んで居られた、
ですから私どももまた、師匠に縁ある者は、
一切神愛の世界に住まわせて頂いている、
と言う事を確信するからですね
ですからやはり一切神愛の世界と言うのがある、と言う事、
出来るならばその一切神愛の世界に住まわせて頂きたいものですね、
ではどうすればその一切神愛の世界と、
一切神愛ではない世界との明確な違いが有るのか、
それは色々有るのかもしれませんけれども、
今朝私が言えます事は、
それはそれこそ金光大神の祈りの中、
師匠大坪総一郎師の祈りの中、祈りの傘の中に入る事だと、
師匠は間違いなく一切神愛の世界に住んで居られたのですから、
だからこそ一切神愛論、一切が神愛だと喝破された訳ですから、
その師匠の祈りの圏内に住まわせて頂く、と言う事が即ち、
一切神愛の世界の中に住まわせて頂くと言う事になりますね、
これで何か一つ、
目から鱗が落ちた様な感じが致します、
一切神愛の世界があると言う事ですね、
そしてその一切神愛の世界に住むと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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