今日も和賀心学 (2022-10-23)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は師匠大坪総一郎師の「思い出すよじゃ惚れよが薄い、思い出さずに忘れずに」と言う御教えを思い出させて頂いた。果たして私ども1日の中で何時間いや何分間神様の事を思い出しているだろうか、信心になっているだろうか。神様に手を合わせる時だけ、お参りした時だけではなかろうか。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 377頁)
ビデオ: https://youtu.be/ThaQU5fV2-E
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-23.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第61節
神より金光大神に、
いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ
信心しておかげを受けたら、
神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ
金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて
真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ
これが神になるのぞ
神になりても、神より上になるとは思うな
信心生活とは
神様中心の奉仕の生活をいうのである
神様を使う信心から
神様に使われる信心をめざせ
信心生活と言う事を仰って居られますが、
今朝は、師匠の御教えの、
思い出すよじゃ惚れよが薄い、思い出さずに忘れずに、
と言う御教えが有りますが、
それを思い出させて頂いた事でした、
思い出すよじゃ惚れよが薄い、思い出さずに忘れずに、
これはもう四六時中思い続けていると言う事でしょうかね、
思い出すと言う事が無いと言う訳ですから、
思い出すと言う事は、忘れている時が有ると言う訳ですからね、
思い出す事もなく、四六時中その事を思い続けている、
言わば神様の事を思い続けていると言う事だと思いますけれどもね、
そこで改めて私どもの信心生活と言うのでしょうか、
それを振り返ってみた時に、
1日 24時間、の中に、その何分、あるいは何時間、
神様の事に心を向けておるか、
よくよく振り返ってみると、
それが困った時の神頼みと言われますけれども、
これは何も大きな出来事が出来て来た時だけ、
そう言う時に神様に頼む、と言う様な事だけではなく、
1日の中に自分の身にひっきょした時と言うのでしょうかね、
考えてみた時に、
なる程困った時の神頼み的な信心を
している様な感じが致しますね、
何かこれは一寸困ったな、神様にお願いしよう、
と言った様な感じでしょうかね、
1日の中にですね、何か一寸上手く行かない事が有る、
そしたら神様にお願いしようと手を合わせる、
人から何か嫌な事を言われた、これはここは土の心で治めよう、と
その時だけ信心になると言うのでしょうかね、
あるいは御神前に向かって手を合わせた時だけ、
拝詞信行をして居る時、
そう言う時は確かに神様に心を向けて居りますね、
あるいは御理解を頂いて居る時、
あるいはこれは教会にお参りをすると致しましょうか、
勿論教会に参っている途中は、お参りをしている訳ですから、
心が神様に向かっていると思いますね、
そしてまた教会にお参りしている間、御理解を頂いている間、
そう言う教会に居る間、また教会に向かっている時は、
確かに神様の事を考えていると、思っていると思うのですけれども、
そのお参りが終わって、
一旦教会から外に出て、家に帰る、
となるともう教会のと言うのでしょうか、
神様の事を忘れてしまい、
さあ次のどこに寄って何を食べようかとか、
次の仕事はどうなるだろうかとか、
いわゆるもう神様の事は忘れてしまっている、
と言う様な事にもなりかねませんね
その私どもでも、それこそ例えば御結界奉仕をさせて頂いている時は
神様に心を向けているけれども、
そこから下がった後は、神様の事は忘れて、
あの事を考えたり、この事を考えたり、
テレビを見たり、何と言いましょうかね、
映画の事を考えたり、
好きな事を、趣味の事が有るとすれば、
その事を思うたり、と言った様に、
心が神様から外れてしまっている、
と言う事がやっぱり多分に有りますね
その信心生活とは、神様中心の奉仕の生活
と師匠は教えておられます、
さあどれ程 1日の中に何時間、あるいは何分の間、
神様に心を向け、神様中心の生活をさせて頂いているであろうかと、
言う事なのですね
師匠はそれこそ見るからに四六時中神様の事を思って居られたと
言うのでしょうかね、神様を外さないで居られた、
正に一日中神様中心の生活であられた、
と言う感じが致しますね
果たして私どもはそれこそ 1日の中にどれ程の間、
神様の事を思っているか、信心になろうとしているか、
中々それこそ何かが有ると腹を立てる、
何かが有ると悲しくなる、心が落ち込む、
正に神様を外して居る時ですね、
それこそ 24時間、神様を頂き通しに頂き、
信心になり切って居る、
と言う事は中々難しい事ですけれども、
少なくともその信心になる時間を、
なるだけなら延ばす努力をさせて頂きたいものですね
その一つには、
それこそ師匠の御理解を BGM 代わりでも良いから流すと言う、
その師匠の御理解が聞こえている間、流れている間は、
少なくとも心を神様に向けて居るのでしょうからね
車の中ででも御理解をかける、
御理解をかけてる間は、心が神様に向かっていると思いますからね、
もしそこに御理解ではなく好きな音楽でもかけていれば、
その神様の事は忘れてしまいますからね、
どうでも如何にしたら 1日の中になるだけ長い間、
神様の方に心を向ける事が出来るか、
そう言う工夫も要るのではないでしょうかね、
どうしても私ども神様の事を忘れてしまっている時間の方が、
長い様な気が致しますね
思い出すよじゃ惚れよが薄い、
思い出さずに忘れずに、と言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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