今日も和賀心学 (2022-10-24)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心の稽古と言われる。稽古をどれ程積み重ねたからと言って、真実の助かりが得られるとは限らない。成行きを、ここは天の心で、ここは地の心でと受ける稽古を幾らしても本番で発揮出来ないなら真の助かりは得られない。よし、成行きを受けるぞと腹を決めること、ドン肚を据えること、そこに真の助かりがある。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 452頁)
ビデオ: https://youtu.be/_SZRCCUKY64
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-24.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第86節
女は世界の田地である
世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ
女は家の家老じゃ、家老がようなければ城がもてぬというが、
女がようなければ家がもてぬ
素直にこの御理解を頂きたいものです
家を治め栄えさせる土台は家庭の主婦の心一つ、
世界の真の平和を築くもこわすも世の女性の心がけ一つ
世の女性の方々が本気で地(心)を肥やすことに精進するならば、
家は治まり国は栄えることでしょう
しかしながら、最近の女性は地を肥やすことを忘れて、
目に見える枝葉だけにとらわれた賢しい女が多くなったように
思いますね
恐るべし恐るべしですね
人が助かる、どうしたら人が助かるだろうか
どういう状態と言うのでしょうかね、
人が助かるとはどう言う事だろうかと、長年思い続けて来ましたが、
今朝はその一つの解答を教えて頂いた様に思います、
信心の稽古と言う事を言われます、
例えば成行きを大切に尊ぶ、
その成行きを大切に尊ぶと言う事が、いわゆる教祖様が、
天地日月の心になること肝要なり、と教えて下さる
その天の心を身に着けよう、地の心を身に着けよう、と
その天地日月の心を体する事、身に着ける事の為に
その成行きを尊ぶと言うのでしょうかね、
この成行きによって、この事柄によって地の心を、
この事柄によって天の心をと、
そしてまた師匠大坪総一郎師は、その天の心を 2分、
あと大切な心は、8分は地の心だと、
主に地の心、土の心を説いて下さいますね、
土の心で黙って治める、と言う様な事ですね、
ところが今朝頂きますのは、
このそれこそ成行きを、ここは天の心で、
ここは地の心でと稽古をする、受ける稽古をする、
その受ける稽古をどれ程重ねても、
助かりが得られるとは限らないのだと、
それは稽古だからです、
信心の稽古だからです、
稽古をどれ程重ねても、
それが本番で上手く出来ると言うのでしょうかね、
出来なければ、
悔しい思いをする事が有るかもしれませんね
オリンピック、それこそオリンピックを目指して、
4年間、稽古に稽古を重ねた、
しかしその本番のオリンピックで失敗してしまった、
と言う事であったのでは、
その稽古が何の為の稽古だったのかと、
却って悔しい思いをする様な事にもなるかもしれませんね、
稽古はどこまでも稽古なのです、
失敗しても良いと言えば、それまでですけれども、
本番は本番、失敗は許されないのが本番ですね、
信心の稽古をしている間は、やっぱり真の助かりは得られませんね
その信心の稽古をしたものが積み重ねられて、
その本番とも言うべき、言えるべき時に、
失敗しないで済む、事でなければなりませんね、
本番です、大切なのはやっぱり本番です、
それでその本番がいつ来るのか、それが中々難しい所ですね、
どれが本番なのか、どれが稽古なのか分からなくなりますね
今朝教えて頂きますのは、
人が助かる、どうしたら助かるか、
私どもがそれこそ難儀が次々に起こって来ます、
その一つの難儀に神様のおかげで助けてもらう、
または土の心で受ける、そうしましたら、
また次に土の心で受けねばならない様な事が起こって来る、
稽古の材料が幾つも幾つも出て来る訳ですね、
そして難儀がある度に神様のおかげを受けて行く、
そう言う事がそれこそ 100遍、1000遍積み重ねられたからと言って、
心の助かりには中々繋がりませんね
本番、一発で助かる、
もうこれっきり助からないと言う事はない、
もうこの一つでこれから先助かって行ける、と言うその解答は、
たった一つなのですね、腹を決めると言う事です、
よし、これからはもう土の心で行くぞ、
どんな事が起こって来ても、これをドンと受けて行くぞ、と
受けるぞ、と腹を決めると言う事です、
腹が決まったらもうしめたもの、
例えどう言う事が起こって来ようと問題ありませんね、
受けると、腹が決まっているのですから、
もうそこには助かりが有るのです、
その腹が決まる手前の所で、何回稽古をした所で、
さあこれを土の心で頂こうとか、
さあこれを天の心で頂こうとか、
何回稽古をした所で助かりませんね、
どこまでも稽古だからです、
それが本番として頂けれる為には
そこに、よしもうどんな事が起きて来ても、
どう言う成行きでも頂くぞ、頂いて行くぞ、
と腹を決める、ドン肚を決める、その決心をする、
そこから初めて助かりが得られるのですね、
その腹を決める時に、どう言う腹の決め方をするか、
それは人、様々かもしれません、
師匠大坪総一郎師がその腹を決められたのは、
これは私にも神様の願いがかけれて居るに違いない、
その神様の願いが成就する為ならば、
その願いが成就する事として、
これから一切の事を受けさせて頂きます、
その受ける事を修行とさせて頂きます、と腹を決められた、
ここが師匠の助かり初めですね、
神様の願いが、私にもかけられているに違いない、
その神様の願いが成就する事の為に受けます、
と言うモチベーションと言うのでしょうかね、
それですね、
やはり腹を決める為には何かしらのモチベーション、
動機と言うものが要りますね、
それがそれは人、夫々なのかもしれません、
その一つは、私にかけられた神様の願いが成就する為、
と言うのも、一つのモチベーションですね、
未だ他にも有るかもしれません、
よしこの成行きを頂く、それが人が助かる事の為に、
人が助かる事の為に一切の成行きを受けるぞ、と腹を決める、
それは人が助かる事の為、と言うモチベーションですね、
先ずはその人に色々なモチベーションが有るのかもしれませんね、
持たせて頂くと言う事が大切ですね、
あるいはそれこそ師匠を現す為に、師匠を現す為に、
それこそ世界真の平和の為に、受けますと腹を決める、
それは色々なモチベーションが有って良いのだろうと思いますし、
また色々その人その人に於いて有るのだと思いますけれども、
要はその、よし受けるぞと、これから成行きを受けて行くぞと、
身の上に起こって来る事を受けて行くぞと、
その腹が決まると言う事、その腹を決めると言う事、
この腹が決まらないから、
助からないのですね、
腹を決めたら助かります、
助かりの世界が開けて来ます、と言う事なのですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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