2022年7月1日金曜日

神様に喜んで貰うおかげを頂く為の願い (2022-07-01)

 今日も和賀心学 (2022-07-01)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師は信心の根本は親孝行と教えて下さる。また願いの信心が最高峰とも。それは吾無力を悟れば願わずには居れない願いなのである。更に信心して我情が取れ我欲が取れた暁の願い、それは自身を喜ばせる為の願いではなく、親に喜んで貰う為に、神様に喜んで貰うおかげを頂く為の願いとなる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 159頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




天が下に他人ということはなきものぞ




世界のどこかで血腥い戦争が続いていると思うだけで悲しい

他人事とは思われぬ




こういう思いの人達がたくさん出来れば

人間同志の争いはなくなるだろうと本気で考える




それが世界真の平和達成の

御神願成就の強い祈りになってくる




天が下に他人と言うことはなきものぞと

その人類皆兄弟と言った様な事を言われますけれども




私どもが 全ての人達を兄弟と感じれる様になる

あるいはその 親であり 子であると実感出来れる様になる




こうなれば占めたものなのでしょうね

やはり私ども人様の事を願う




どうしても他人の事より やはり身内の方を願う

そう言うこれは情でしょうね やっぱりそう言うものが有ります




今朝頂きますのは 師匠が 信心は親孝行からと

親孝行が根本だと教えて下さる




その事を頂くのですね

そのどう言う事かと言うと




師匠は 願いの信心が最高峰と教えて下さいます

確かにそうだと思いますね




その願わずにはおれない心

それはどこから出て来るのか




それは私どもが 吾無力を悟る所から

出て来る所の願いの信心ですね




我情我欲が満たされる事を願う信心ではない

吾無力を悟る所から 神様に縋らずにはおれない




神様に願わずにはおれない

箸の上げ下ろしに至るまで




それこそ神様のおかげを頂かなければ

ここ一歩が踏み出せない




ここ一寸が進めない と言うその吾無力を悟る所から

神様に それこそおかげを頂かずには居られない




と言う願う信心ですね




その願いの信心の中でも 更に根本となるものが親孝行だと

今朝は気付かして頂きました




それはどう言う事かと言うと

信心を進めて行き 段々我情が取れ 我欲が無くなって来る




そしてそこに残るものは何か

もう言わば私がおかげを頂く事を願うとか




いわゆる自分が喜ぶ事をする 自分を喜ばせる為のおかげであったり

御ヒレイであったりと言うものを願う事が無くなって来る訳ですね




我情我欲が満たされる事を願う

その事は無くなって来る 薄らいで来る




しかし人が助かる事を祈る 欲と言うのでしょうかね

心がそれは色々大きく膨らんで来る




ですから願いの信心と言うものが 最初は

自分の我情我欲を願う為の信心から それが段々無くなって行き




人様の助かりを願う信心へと変わって来ると言うのか

育って来る訳ですけれども




その中でも 師匠がそれこそ

親が生きている間は で結構ですと




親に普通の食事をさせたい

ですからどうぞ親が生きている間はおかげを頂かせて下さいと




親がもう亡くなったら

もう元の木阿弥になって結構ですから




どうぞ親が生きている間

せめて親に普通の食事が出来る様なおかげを頂かせて下さい




という言わばこれは親孝行の願いですね




私どもも段々信心の稽古をさせて頂き

我情が取れ 我欲が取れて来る




そうすると自分の為の願いと言うものは無くなって来る訳ですけれども

それで終わってしまったのではいけませんね




そこから更に 今度はそれこそ親孝行の為の願い

と言うものが生まれて来ねば 来なければならないと




その親孝行の為の願い

神様に喜んで頂く為のおかげを下さいと




師匠が喜んで下さる様なおかげを頂かせて下さい

自分が喜ぶ為のものではない




師匠に喜んで頂く為の

御ヒレイなら御ヒレイを頂かせて下さい




神様が 天地金乃神様が喜んで下さる

そう言うおかげを頂かせて下さいと言う願い




これはまた少し いわゆる普通の願いとは

一寸違う願いかもしれませんね




そう言う願いを願えと言う様な事を

今朝は感じさせて頂くのですね




なる程師匠の弟子としておかげを頂きたい

そのおかげは何か 師匠が喜んで下さる様なおかげを頂きたい




師匠が喜んで下さる様な御ヒレイが頂きたい

また天地金乃神様が喜んで下さる様なおかげを頂きたい




神様はやっぱり人間氏子に幸せになってもらいたい

助かってもらいたい おかげを頂いてもらいたい




それこそ正しいおかげを頂いてもらいたい

と願うて居られるその神様




その神様が 神様に喜んで頂く為のおかげを頂きたい

と言う願いですね




これは私があれが欲しいから

これが欲しいからと言う願いではない




師匠に喜んでもらいたいから

神様に喜んでもらいたいから 頂きたいと言う願いですね




そう言う願いが 願いの中でも

また良い願いと言うのでしょうかね




最高峰と言われる願いの中でのまた最高峰だと

今朝は教えて頂いた様に思いますね




どうでも私どもの心が

これは正に親孝行の信心だと言う事ですね




師匠に喜んで頂けれる様な

師匠に喜んで頂く為の御ヒレイが頂きたい




あるいは天地金乃神様が喜んで下さる

天地金乃神様を喜ばせる為のおかげが頂きたい




頂かせて下さい

と言う願いを持てと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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