2022年7月28日木曜日

自他共の御神願成就を祈る (2022-07-28)

 今日も和賀心学 (2022-07-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人が自らの助かりを救いを求めて祈る、これは自然と言えば自然な事かもしれない。しかし自分自身の助かりのみを祈る所で止まって居たのでは真の助かりとは言えない。人様の相手の方の助かりを祈れれる様になって初めて自らの心の助かりにもなる。自他共の御神願成就を祈れれる様になる事だと思う。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 142頁)


ビデオ: https://youtu.be/Pv94xRFhkHw

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合掌

中原博信

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御神訓




過ぎたることを思い出して

腹立て苦をすなよ




過去・現在・未来までも生かし生きることが信心ですから

すべてのことに御礼の言える信心を頂きたい




あれもおかげ これもおかげとわかるとき

無明の闇はいつしかに 光明世界と変るなり




心眼を開きてみれば いまわしきこととて

今は神愛と悟りて 真広の道ゆかん




私どもの心が助かる このお道はやはり

私どもがその仮初めの助かりではない 真の助かり




言わばこの世あの世を 持って行けれる程しの助かり

その心 救いと言うのでしょうかね




そう言う心を頂きたい

とそこに焦点を定めての信心だと思うのですね




ただ一時的な助かりであるならば

それこそ拝み屋さんであったり




どこそこのパワースポットに行って

お願いをすれば それで良いのかもしれません




そうではなく この世あの世を通して

あの世にも持って行ける程しの




言わば心の助かりを頂こうとするのが

この世の この御道の信心だと思うのですね




それでではその助かりと言うのは

何処に有るのだろうかと




昨日は神様を身近に感じるところ

そこに助かりが得られる と言う事を頂きましたけれども




今朝頂きますのは 人の事を祈る

もしそこに人の事を祈る事が出来たら




もうそこには助かりの世界が有る

と言う事を教えて頂いた様に思います




そのよく喧嘩をしたり 口喧嘩であったり

あるいは人の事を悪く思うたり致しますね




その何かあの人は 何と言いますかね

その何か嫌う事が有りますね あれは何と言いましたかね




その嫌いな人の事でも

もし祈る事が出来る




それが嫌いな人が嫌いなままであるならば

助かりとは言えませんね




毛嫌いすると言った様な事を言いますかね

師匠はその信心の稽古の中の一つに




嫌いなものを好きになる稽古

と仰って居られました




それこそ御晩年には 師匠の好きな色

それはオレンジ色だと言うのが通説でしたけれども




本当はオレンジ色は余り好きではないと

しかしその好きではない物を好きになろうと稽古をしたと




その人でもやっぱりあの人は何か馬が合わないと言うのか

あんまり好きじゃないな 苦手だなと言う人が居られますね




その苦手な人程大切にしたと

それこそこの人は苦手だなと思う人程大切にして




言わば好きになろうと努めたと

言う事を仰って居られましたね




その苦手な人をも好きになろうとする

好きになる所までは行かずとも




先ずはその苦手な人の事をも祈れる様になる

その祈りと言っても色々有りますからね




人様の事を祈ると言っても 例えば人様が

自分の家内なら家内が自分の思い通りにいきますようにとか




嫁なら嫁が 姑なら姑さんが

自分の思い通りにいきますように




と言った様な祈りも有りますね

その自分の思い通りに周囲を動かしたい と言った様な祈りではなく




その相手の人が助かる様な祈りが出来れる様にならなければならない

と言う事なのですね




自分の願いを相手に押し付ける祈りではなく

相手の人が助かる様な願い 祈りをさせて頂かねばならないと




それが どうある事が相手の人が助かる事なのか

正直分からないところが有りますね




ですから私は相手の人がああなります様に

こうなります様にと言う事は分かりません 分かりませんから




その相手の人にかけられた神様の願いが成就します様に

と言う願いをさせて頂いています




勿論私にかけられた神様の願いが成就します様にと祈る

と同時にまた相手の人にもかけられたその願いが成就します様に




と言うのが一番無難と言うのか万能と言うのか

誰にでも通用する様な祈り方である様に思いますね




神様がその祈りを聞き届けて下さる そうすればそこに

神様の願いが成就して行くと言う事になるのですからね




あの人がああなります様に こうなります様にと言う祈りではなく

その人にかけられた願いが成就しますように




そしてその人が真実助かって行かれます様にと祈る

そう言う祈りが出来させて頂けれる様になったら




私どもの心も助かりの世界に一歩

また一歩近付いた事になるのではないでしょうかね




人の 人様の事 人様の助かりを

それこそああなります様に こうなります様にではなく




その方にかけられた神様の願いが成就します様に

その方が真の助かりへと導かれますように




とその相手の方の助かりを 御神願御成就を祈らせて頂く

そこには私どもの心もまた助かって来ますね




人様の事を祈らせて頂くと言う事は

人様が助かられるばかりではない




また私どもの心をも助かって行く事が出来る

と言う事になりますね




またその人様の事を祈れれれる様な心が湧いて来ないならば

これは未だ助かっているとは言えないのかもしれませんね




自分さえ良ければ良いと言う世界では

真の助かりの世界とは言えない様ですね




自他共の助かりの世界 自分の助かりを祈る

それは勿論そうなのでしょう と同時に相手の人の助かりをも




相手の人にかけられた神様の願いが成就して

相手の人が助かって行く




その事が真剣に願えれる様になった時に

これはまた自分自身の助かりにもなると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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