今日も和賀心学 (2022-07-29)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
とかく私どもはその場凌ぎのおかげ、所謂その場凌ぎのご利益が頂ければそれで良いと思う、そこ止まりの信心になってしまっている。ところが天地金乃神様が授けたいのはこの世あの世を通しての真の救いを授けたいと願って居られる。師匠大坪総一郎師もまたそう言う真の助かりが頂けれる信心を伝えて居られる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 192頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
真心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよ
片島せんというお徳の高い先生が居られました
或る時 大きな手洗石がお供えになりました
神様にお届けをなさり この大きな手洗の水が一日で
なくなりますような沢山の氏子をお引き寄せ下さい と願われました
神さまより何の受け応えもありませんでした
尚 お願いをなさると神さまより
なぜ真心を求めて来る氏子をと願わぬか
とおさとしがありました
神様が求め給うのは真の信心であることがわかります
残るのはお徳であり真の信心であります
同時に 毎日
子供に孫に伝わる信心を願わねばなりません
どうぞ神さまのお役に立つ氏子にお取り立て下さい
と繰り返し願うのです
真の信心と有ります
真の信心
私どもはとかく目の前のおかげと言うのでしょうか
ご利益と言うのでしょうか を頂きたいと思います
その困った時の神頼みと申しますね
今困っている事におかげを頂きたい
楽になりたいと言う訳ですね
それはその場凌ぎと言うのでしょうかね
一時的な助かりと言うのでしょうかね その今困っている所を
その場凌ぎのいわゆるご利益ですか それを頂きたいと思う
またそのその場が凌げれば それで良い
と言う様な事が多い様に思いますね
これは人間の側として欲しいものですね
そしてそれは特別何の苦労も無く
ただ神様にお願いします お願いしますと言えば授けて下さる
そしてそのその場の難儀を忍ばせて下さる
その場凌ぎのおかげを頂きたいと言うのが
大概の私どもではないでしょうかね
ところがこの天地金乃神様が真実に授けたいもの
また師匠大坪総一郎師が真実に いわゆる私どもに願われる信心
それは仮初めのその場凌ぎのおかげを頂く信心ではない
それこそ真の助かり 真実の助かり この世あの世を通して
それこそなる程難儀だなと感じる中にでも
心の助かりを得られる
そう言う何時如何なる どう言う中にあっても
助かりが頂けれる 心が助かって居れれる
そう言う真実の助かりを授けたい
与えたい 頂いて欲しい
と言うのが天地金乃神様の願いであり
師匠の 大坪総一郎師の願いである と思うのですね
ですから先ずは
私どもの求めるものがその場凌ぎのおかげではなく
真実の助かりを頂きたいと
そこに先ずは焦点が変えられねばならないと思うのですね
ただその場凌ぎのおかげを頂くと言う事で有れば
これはパワースポットにお参りをして そこで願い おかげを頂く
それで良いのかもしれません
しかしそれではまた次の問題が起こって来る
私どもがどう言う中にあってでも助かりを頂く
その為にはやはり教えも頂かねばなりません
またその教えを行じると言う事も要りますね
自らの心を育てて行くと言う事も要ります
そのいわゆる真の信心
と言う事が求められる訳ですね
真の助かり 真実の助かり
例えどう言う中にあってでも助かって行けれる 助かって居られる
そう言う真の助かりを得る為には
やはり真の信心をしなければならない
しかしその真の助かりを求める人も実は少ない様ですね
大概の人はそれこそ一時的な助かり
一時的ないわゆるご利益と言うのでしょうかね
その場凌ぎのおかげを頂ければそれで良いと思ってしまうものですね
どうでも私どもが 願うものが
そのいわゆる一時的なご利益
勿論その真の助かりの中には
一時的なご利益を頂いて行く事も要ります
要りますけれども そこで止まってはいけない
神様が真実に授けたいのは
この世あの世を通しての真実の助かりを頂いて欲しい
授けたいと言うのが神様の願いだと言う事なのですね
どうでも私どももその今日のミニ御理解ではありませんけれども
ただ困っている その困っているその場を忍ばせて下さる
その場凌ぎの願いに来る人達が多くなる
と言う事ではなく
真実の助かり 真の信心 真の助かりを求めて信心する人の
何と言いましょうかね お参りが多くなる様にと願えと言う事ですね
これはやはり最初からそうであるとは思えませんから
先ずはそのその場凌ぎのおかげを頂きながら
でも真実の真の助かりを求める信心へと
育って行かねばならない また育てて行かねばならない
と言う事でもあろうと思いますね
神様が真実に授けたいのは
その場凌ぎのおかげではない
この世あの世を通して助かって行けれる真実の助かり
それを求めて来て欲しいと言うのが神様の願いであり
それをまた授けようとして居られる
それが神様の願いでもあり
師匠大坪総一郎師の願いでもある と言う事ですね
どうでも私どもが
ですから真の助かりを求めての信心と言う所に
焦点が変わって行かねばならない
育って行かねばならないと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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