2022年7月12日火曜日

天地金乃神様のおかげとは箸の上げ下げに至るまでの一切のおかげ (2022-07-12)

 今日も和賀心学 (2022-07-12)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心初めは、願い事を叶えて下さる神様、病気災難から守って下さる神様、難儀から解放して下さる神様としてだけに神様のおかげを頂こうとする。しかし愈々真実が分かると、箸の上げ下しに至るまで一挙手一投足に天地金乃神様のおかげを頂かねば立ち行かない事が悟らされる。一切の上におかげを頂く信心。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 380頁)


ビデオ: https://youtu.be/THrsWj-7BkY

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/07-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-07-12.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解 第62




昔から 人もよかれわれもよかれ

人よりわれがなおよかれというておるが




神信心をしても わが身の上のおかげを受けて

後に人を助けてやれ




神信心も手習いも同じこと 一段一段進んでゆくのじゃ

にわかに先生にはなれぬぞ




今までの過去の宗教観念 道徳観念 常識観念をかなぐり捨てる

そこから金光教の本当の助かりが得られる




我身の上のおかげを受けて後に人を助けてやれ

とは




まず教祖の御教えが人間の助かりの最高理念

と信ぜられる所まで高めて行け




合楽理念は

その手掛かりを説く




金光教の本当の助かり

と教えて居られます




金光教に限らず人間の本当の助かり

その真の助かりはどこに有るのだろうかと思いますね




私どもが信心をする この特にこの御道の信心をすると言う事

させて頂くと言う事はどう言う事だろうかと




実は今朝はお夢の中で ある別の宗教の教会に

何と言いましょうかね 視察と言うのでしょうか




試しにお参りしていると言うのでしょうか

そう言う場面を頂いたのですけれども




そこから 一体この御道に私どもが御縁を頂き

信心をしていると言う事は どう言う事だろうか




何の為だろうか

と言う事を思わされたのですね




そして心中祈念の時に思わせて頂きます事は

やっぱり私どもが信心をする させて頂いていると言う事は




この御道の信心をさせて頂いていると言う事は

やっぱり天地金乃神様のおかげを頂く




天地金乃神様のガイダンスと言うのでしょうか

より良い人生を歩む為の御教導と言うのですかね




それを頂こうとしているのだと言う事なのですね




一切合切の上に神様の 天地金乃神様のおかげを頂く

そして天地金乃神様の御教導を頂く




その事の為にこの道に縁があり

この道の信心をさせて頂いていると言う事だと思いますね




そのやっぱり色々な宗教が有ります その色々な宗教で

その宗教をする事によって守られると言うのでしょうか




その宗教の神様のご守護を頂くと言うのでしょうか

そう言うものの為に信心 信仰をしておるのではないでしょうかね




私達はそれこそ天地金乃神様のご守護を頂く為に

この御道を信心していると言うところがやっぱり有ると思いますね




ですから何故信心をするのか

それはやはり天地金乃神様のおかげを頂きたい




いや頂かねば立ち行かないから

この御道の信心をさせて頂いている と言う事にもなると思いますね




一切合切の上に天地金乃神様のおかげを頂いて行く

そしてまた人生の御教導を頂く




それは魂を清めると言う事でも有りましょうしね




私どもが信心させて頂き分かる事は

やっぱり吾無力と言う事ですよね




神様のおかげを頂かなければ ここ一寸が立ち行かぬ私どもである

と言う事が分からされますね




最初はそれこそ自分の願いが叶う様に

病気災難から守ってもらう様に




あるいは今の難儀から解放される様に

と言う思いで




その事だけの神様のおかげを頂けば良い

と言うのが始まりだと思いますね




しかしただ病気災難から守って頂く為だけの神様

今の難儀から解放して下さる神様




あるいは願い事を叶えて下さる

その事の為だけに神様のおかげを頂く




と言うのが初めだったのかもしれませんけれども

よくよく信心させて頂くと そればかりではない




それこそ箸の上げ下ろしに至るまで 一歩進むでも 何をなすでも

それこそ神様のおかげを頂かなければ出来ない私どもである




と言う事が実感として悟らされる訳ですね




そこにそれこそ一切合切の上に 神様のおかげを頂かなければ

ここ一寸が動けないと言う事になって来る




そしてまた師匠も教えて下さる一切が神愛だと言う事になる

一切が神愛だと言う事は私どもの身の上に起きて来る事柄一切合切




また私ども 何ですか一投足と言うのですか

私どもが手を動かす 足を動かす 呼吸をする




食べる その一切合切の上に置いて

神様のおかげを頂いていると言う事ですからね




何も一切が神愛と言うのは

難儀な時だけに一切が神愛と言うものではない




私どもが生きておると言う事

一切合切 生かされておると言う事




その一切合切が神様のおかげを頂いておると言う事

その神愛の中にあると言う事ですからね




それは一切合切の上に 神様のおかげを頂かなければ

存在しない私どもであるとも言えるのではないでしょうかね




ですから一切合切の上に

神様のおかげを頂いて行く




そしてまたこの世に生がある またあの世に行く

そのこの世 あの世を通してでも




その人生の御教導を頂く

魂を磨き清める 心を磨き清めして行く




その肉体の上においても

精神の上においても一切合切において




この天地金乃神様のおかげを頂いて行こう

と言うのが この御道の信心だと言う事ですね




さあその為に 神様のおかげを 一事が万事に

ただ病気災難から守ってもらう




あるいは難儀から解放してもらう あるいは願い事を叶えてもらう

時だけの神様ではないと言う事ですね




私どもの一挙手一投足 全てに渡って

食べる事 飲む事 出す事 その一切合切の上に




神様のおかげを頂いて行かねば立ち行かない私どもである

と言う事なのですね




その一切合切の上におかげを頂いて行く為に

それこそ日々信心をさせて頂いている




より良い人生を過ごす事の為に

と言う事でも有りましょうね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿