今日も和賀心学 (2022-07-30)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師はよく、世間では仕事が仕事を教えると言うが、御道では信心が信心を教えると言う事が有ると仰って居られた。一つの信心に取り組めば次の信心へと神様が導いて下さる、なる程信心には限りが無い。願う信心、教えを聴く信心、教えを行じる信心、御用即ち神様のお役に立つ信心へと育つ事。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 219頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第9節
天地金乃神は宗旨嫌いをせぬ
信心は心を狭う持ってはならぬ
心を広う持っておれ 世界を広う考えておれ
世界はわが心にあるぞ
心が豊かである時は何を聞いても見ても心にさわりません
信心による有難しの心は 広い豊かな美しの心です
小さいことに心を汚し 心配になり 心が穏やかでない時は
この有難しの心が欠如のしるしです
気のぬけたサイダーのようなものです
宗旨嫌をせぬ 金光教なのに
内の信者をとったのとられたのと内々で騒ぐなどは
お道の信奉者として最低です
ナンセンスです
心が豊かである事と 師匠は心が豊かである
豊かになる事を教えて居られると思いますね
今朝今日取り組むべき事は
その自らの心を豊かにする
その事に取り組みなさいと
師匠が仰っておられる様に思いますね
よく師匠は 仕事が仕事を教えると言う
と言う様な事を仰って居られました
そう言う様に 仕事が仕事を教えると世間では言う
と同じ様に 信心が信心を教えると言う事が有ると
一つの信心に取り組んでいる そしたらまた次の信心に
これは神様が気付かせて下さると言うのか
導いて下さる
と言う事だと思いますね
先ず信心を始めると言うて
教えを行じる所から信心を始めようと言う人は
中には居られるかもしれませんけれども
中々珍しいと思いますね
大抵はやっぱり自分の願いを叶えて欲しいとか
そう言ういわゆる困った時の神頼み的な
神様に願いを聞いて頂きたいと言うのが
やはり信心の初めだと思いますね
そしてそれはそれで良いと思うのですけれども
そう言う信心を続けて行く
そしてまた次に教えを聞く
と言う信心が有りますね
教えを聞いたり 本を読んだりして
いわゆるその御道の教えを勉強すると言う訳ですね
そしてその御道の教えを勉強する
聞いている内に 日参聴教の部分でしょうかね
その内に段々 やはりこれは何か
教えを聞くばかりでは 何ですか勿体ないと言うのか
聞いて居るばかりでは何もならない訳ですから
確かに聞く事によって心が助かると言う事は有りますね
しかしどれ程教えを聞いたからと言って
神様から信用してもらえれるかどうかはまた別ですね
なる程聞く事によって 教えをを聞いて心が開ける
と言う事は有ると思います
そしてその心が その開けた 開けた心に神様が感じ入って下さる
と言う事は確かに有ると思います
しかしそこから更に
私どもの日常の生活と言うのでしょうか
その例えば人様に親切にするでも
なる程親切にする事は良い事だなと分かります
しかしそれをいわゆる形の上に現してみなければ
その心が本当に身に着いておるのかどうか分かりませんね
あれは何でしたか 口に真を語りつつ
心に真の無き事でしたか
その反対も有るでしょうからね
心に真があっても それが口の上に出て来ない
そのこれは行動と言う事だと思いますけれども
その心の中の心と 行動の上に出て来るものが
また一つに同じでなければならない と言った様な所でしょうかね
言わば心に思う事 それを形の上に現す 行動で現す
言わばその教えを行じる と言う事かもしれませんね
なる程人様に親切にするのは良い事だ
それこそ信心する者は かくあらねばならないと分かる 合点が行く
それだけでは身に着いている訳ではありませんから
それこそなる程成行きを大切にすれば
神様の御心に適うのだな
神様を大切にすると言う事は
その御心の現れである成行きを大切にする事だなと分かります
分かっただけでは大切にしている事にはなりませんからね
分かると言う事 その事がまた神様の御心に響く事では有りますけれども
それがそれ以上に それ以上に神様の心に響く為には
やはりそれが形の上に現されなければなりません
教えを行じると言う所ですね
そしてその教えを頂き 日々の行動の上に行じる 現される
そこに初めて またその次の信心と言うのでしょうかね
に神様が導いて下さるのではないでしょうかね
信心が信心を教えると同じ様に
またそこに御用が御用を教える
と言う様な事にもなって来るのだと思いますね
教えを行じる 神様のお役に立ちたいと願う
そして何か神様のお役に立つ事を とさせて頂こうとする
これが御用でしょうね そして神様のお役に立つ事を何かさせて頂く
そうするとまた その次の御用を より良いお役に立つ為に
神様が次から次に 次の事を教えて下さると思いますね
為には私どもが先ず一つは
言わばやっぱり形の上に現してみなければならない と言う事ですね
その言行一致とか言いますけれども 心に思う事と
形に現れる事がやはり一つになる様なおかげを頂きたいものですね
思って居るだけでは その次の言わば
信心が信心を教えると言う所には中々至らない様に思います
思った事を形に現してみる 言わば行じてみる
その行じた所に また次の信心へと神様が導いて下さる
実はこうやって
ビデオを配信させて頂いていますが
ここ数日の成行きから
これはもう一つ変えさせて頂く事が出来るのではないかと
それは何と言いましょうかね 読むビデオ
と言う様なのは出来ないだろうかと思わせられているのですね
と言いますのは ビデオを撮ります そして字幕を作ります
で今までは字幕と言うのがサブでしたね 付け足しでした
しかし世の中には耳が不自由な方も居られる
そう言う方には見て頂く 言わば読んで頂く事によって伝える
ならばこれは読むと言う事を主体にしたビデオを作れないだろうか
と言う思いがふと出て来たのですね
観るビデオ 聴くビデオ
更にそこから読むビデオと言う訳ですね
確かに YouTube などでは その文字だけの
読ませる 小説を読ませる様なものが有ったり致します
そこからもう一つ進んで
言わばこのビデオに字幕を入れる
その字幕が主体で 例えば私の映像が
その横の方に小さく出ている
と言った様な感じを今はイメージしているのですけれどもね
そのこの次は是非 耳が不自由な方も居られるだろうから
そう言う人達にもやはり何とか助かりの手立てを伝えたい
為には観るビデオから その読むビデオですか
そう言うものを出来ないだろうかなと
今検討させて頂いている所です
何か神様が次の一手と言うのでしょうかね
次の取り組むべき所を教えて下さった様な感じが致しますね
取り組めば 次の事をまた神様が教えて下さる
仕事が仕事を教える
信心に取り組めば必ず神様が 次の信心をまた教えて下さる
御用に取り組めば また次の御用を神様が教えて下さる
そう言う信心でありたいと思いますね
もうこうなると信心は限りが有りませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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