今日も和賀心学 (2022-07-21)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日は、歯医者さんで左下の奥歯を抜いて下さった。師匠大坪総一郎師は歯が無くなるお知らせは話をすると言う意味だと教えて下さる。左と言うのは合楽の信心の事だと思う、それは師匠が左の御結界に座って居られたから。即ちこの成行きで、師匠の信心の奥義を話して行けと言う御神意を感じさせて頂く。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 300頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第36節
日本国中のあらゆる神を みな信心すると言うが
それはあまりの信心じゃ
人に物を頼むにも 一人に任すと
その人が力を入れて世話をしてくれるが
多くの人に頼めば 相談に暮れて物事はかどらず
大工を雇うても 棟梁がなければならぬ
草木でも芯というたら一つじゃ
神信心もこの一心を出すと すぐおかげが受けられる
道は一筋
頼むはこの方御一人
この一心 とは
信心が生命と定まること
頼むはこの方御一人
それは天地金乃神様 と言う事になりますね
天地書附に
生神金光大神 天地金乃神 一心に願え と
おかげは和賀心にあり
今月今日でたのめい と
天地金乃神 一心に願え と有ります
天地金乃神と 一心に定めて願えと 言う事だと思いますね
その天地金乃神様と一心になる
と言う一心でもあるかもしれません
神様と一心になる そうなればどうなるか
やはり私どもが助かる 真に助かりを得る
それは心の助かりだと
勿論形の上もおかげを頂かねばなりませんけれども
それだけでは真の助かりにはならない
心の上にも助かりを得て初めて真の助かりが得られる
その心の助かりは
どこから得られるのか
それは師匠が教えて下さる 天地とのコミニュケーション
神様とのコミニュケーションと教えて下さいますね
その天地とのコミニュケーションを通して
神様の御心を分からせて頂く
神様の御心を感得する所から
言わば神様に 神様の御心に触れての助かり と言う事になりますね
昨日はそれこそもう一年近くなりますか
ずうっと痛んでいた歯を抜いて頂く事になりました
そして抜いて頂きました
それが左の奥の下の歯の奥歯なのですね
それで感じさせて頂きます事は
さあどう言う神様のメッセージだろうかと
これは奥歯の歯が無くなった訳ですから
これは歯の奥ですね 奥が無いと 奥の歯が無い
これは何か奥義と言うものですね
信心の奥義と言う様なもの そう言うものを話して行けと
仰って居られる様な感じが致しましたね
そこにこの歯を抜いてもらったと言う事を通して
何かしら神様の御心を感じさせて頂く思いが致します
と申しますのも
実は私が修行に入らせて頂く前の事でしたけれども
お夢を頂きました そのお夢の中で
歯がボロボロに欠けて行くと言うのか 歯が無くなって行くお夢でした
その事を師匠大坪総一郎師 初代親先生ですね に
御結界でお届け致しましたところ
それは 話をして行けと言う事だね
と御理解下さいました
歯が無いと言う事ですから
話(歯無し)と言う事になりますね 何か一寸判じ物の様な
師匠の信心がある意味一寸低級視される所が有るとすれば
そう言う所かもしれませんね
またある先生は
その事を一寸毛嫌いとまでは行かれませんでしたけれども
少し他所に除けて置こう
と言った様な方も居られましたね
何か判じ物的なものが有る訳ですね 歯が無くなる
これは歯が無い だから話(歯無し)をして行けと言う事だと
一寸低級視される様な所が有るとすれば
そう言う所かもしれませんね
しかしそうやってでも
神様はその御心を伝えようとして下さる
その成行きの中に 神様の御心を あの手この手を使うて
例えばそれこそ判じ物の様な事をしてでも
神様は
神様の御心を伝えようとなさる
そこに私どもが それが判じ物の様だから
一寸他所に側に置いておこうとか言う事ではなく
もっと本質的なもの
神様がそうしてでも その御心を伝えようとして居られる
そこに重点を置かねばならない様に思うのですね
そして昨日のその成行きから 奥の歯が無い
いわゆる奥を話して行けと
奥がはなれた訳ですね
奥を話す 私はそれを この道の師匠の許で
信心の稽古をさせて頂く者にとっての奥義と言うものでしょうかね
それを話して行けと言われる様な
そう言う神様の御心を感じさせて頂いたのです
ではその この道の奥義とは それはやっぱり
その成行きを通して 神様が神様の御心を吐露して下さる
分からそう 理解して欲しいと言う
神様の御心が成行きの中に現われる
そして成行きを通して
神様の御心を分からせて下さる
そこにはやはり私どもが どう言う神様の御心の現れであろうか
とまた求め続けて行く事が要る と言う事でも有りますね
そしてその神様の御心に触れた時に頂けれる助かり
それが真の助かりにも繋がって行くのではないでしょうかね
勿論形の上におかげを頂く事も大切ですけれども
神様の御心に触れての助かり
その両方がやはり相まって行かねばならない
と言う事でも有りますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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