2022年7月24日日曜日

師匠大坪総一郎師の信心の内容を一口で表せば、成行きを大切に尊ぶと言う事になる (2022-07-24)

 今日も和賀心学 (2022-07-24)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の信心の内容を一口で表せば、成行きを大切に尊ぶと言う事になると思う。その内容が天地日月の心であり、更にその代表が受けて受けて受け貫く土の心と言う事になろう。更に土の心を具体的に表したものが黙って治めると言う事になろう。問題は何故成行きを大事にするかと言う事になる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 359頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第55




賃を取ってする仕事は 若い時には頼んでもくれるが

年をとっては頼んでくれぬ




信心は 年が寄るほど位がつくものじゃ

信心をすれば一年一年ありがとうなってくる




おかげおかげの信心では

有難い心は育たない




本心の玉を研くことが信心だと悟って信心すれば

自然と有難くもなれ 信心の位もついてくる




おかげおかげの信心では有難い心は育たないと

ここで師匠がおかげと言って居られるおかげは




いわゆる私どもが自分にとって都合が良いと言う

世間で言われるご利益的なおかげだと思います




その先日から申します

おかげの内容 それが変わって行く 育って行かねばならない




と言う意味での いわゆる真のおかげ

と言うものではないと思いますね




その辺が押さえられておかねばならない

いわゆるここで言われるのは ご利益的なおかげだと思うのですね




真のおかげ 勿論その私どもが

おかげと感じる内容が色々有ると思います




それが育つ またこの本心の玉を磨く

本心の玉が磨かれて行くと




今までおかげだと思っていた そのおかげの内容そのものが

また変わって行く事でも有りましょうね




今朝は 成行きを大切にと言われますね

ある時研修で師匠が 師匠の信心を表現する 端的に表わすならば




私の師匠は こう言う信心をされましたと それを端的に表現すれば

どう言う事になるだろうかね と仰って居られましたが




で ご自身が仰って居られましたのは

やっぱり成行きを大事にする 大切にする 尊ぶ




ここが先ず思い浮かぶだろうねと

そして次はやはり天地日月の心と言う事だろうかねと




そしてその中でも土の心

そのここからは仰って居られませんでしたけれども




その土の心と言うもの それが形をもって具体的に表われる

それがやっぱり私は黙って治めると言う事だと思いますね




土の心が具現化されたもの

それが黙って治める と言う事ではないかと思いますね




もう一つ何か仰って居られたのですけれども

今は一寸忘れてしまいましたが




あの成行きを尊ぶ それこそ成行きをただ尊ぶと言っても

尊び方が色々有りますね 神様の御心の現れだから尊ぶ




師匠が最初に成行きを大切にされたのは

それこそ私にも神様の願いがかかっておるに違いない




その私にかけられた神様の願いが成就する為の修行として

受けさせて頂きます と言うのが




師匠が 大坪総一郎師が成行きを受ける

と言うその信心に突入された 最初の動機と言うのでしょうかね




やはり人間何かをするには

何かの動機が有りますね




成行きを大切にする 何故成行きを大切にするのか

師匠が教えて下さるから 大切にせよと言われるから大切にする




或いは神様の御心の現れだから大切にする

大切にしたら思わぬおかげが頂けれるから 成行きを大切にする




言わば将来の自分にとって

幸せに神様が導いて下さる事であるから 今の成行きを大切にすると




その成行きを大切にする 何の為に 何故大切にするのか

と よくよく自分の心を見詰めてみれば




様々なその時その時によって

その動機付けと言うのが変わって来る様に思いますね




そしてそれが愈々育って来なければならない

とも思うのですね




最初の頃はそれこそ成行きを大切にすれば

思わぬおかげが頂けれると言う事がやっぱり有りますね




成行きを 私もやっぱりそうでした

成行きを大切にしたおかげで




そのそこからの思わぬおかげの展開

いわゆるご利益の展開が有りました




だから成行きを大切にしたら 思わぬおかげが頂けれるな

願い以上 思い以上のおかげへとなって来るな




と言うのが 私が よし成行き大切にしよう

と肚を決めた最初の出来事でしたね




それからやはり様々に

その動機付けと言うのは変わりましたね




自分にとって都合の良い結果になるから

成行きを大切にしようと言う大切にするから




神様の御心の現れだから大切にしよう

師匠が教えて下さるから大切にしよう




それこそそれを御神意として頂いて行こう

と様々な動機と言うものがやはり有ると思います




またそれが様々に変わって来る

育って来なければならないと思います




そして今日の本論なのですけれども

私ども取次者として やはり人が助かる事の為のお役に立ちたい




立たねばならないと思うのですね

色々な先生方が居られます




そしてそのどこから人が助かり出すか

と言う事はやはり問題な訳ですけれども




ある先生は 布教に出られた 人が助からない

それでもうこのままではお役に立てない




だから腹を掻っ切って お詫びなのでしょうかね

腹を掻っ切ってもう死のうと




その短刀を腹に突き立てられたその瞬間に

待てと 何処からか声が響いて来たと




それでもう一度 短刀を腹に突き立てられたら

また 待てと声が響いて来たと




それで思い止まられて 教会に帰られた

そしたらそこから人が助かり出した




と言うお話を師匠がして下さいましたが

そう言う事も有りますね




ある方 ある先生は

それこそ八百俵の徳を授ける と声が響いて来たと




そこから四神様の御徳を説いて廻られ

そして思わぬ御ヒレイが立って来たと




何かの切っ掛けがやっぱり有る様ですね そこを通して神様と通じる

通ずると言うのでしょうか そこから人が助かり出す様ですね




師匠の場合はどこだろうと思いました時に

何かある時にこう言う話を聞いた様な事が有ります




それはその成行きを 人が助かる事の為に受けようと

そう神様に 何と言いましょうかね




それこそ人が助かる為にこの事を受けます

とある意味条件を付けたと言った様な事を仰られた事が




その事を聞いた様な気がするのですね

そこから人が助かり出した




と言う様な事を聞いた様な記憶が有るのです

どうも定かではないのですけれども




言わば成行きを受ける

それを 人が助かる事の為の修行として受けます




と神様に 何と言いましょうかね 条件を付けたと言うのか

人が助からなければ受けません と言う事かもしれませんね




人が助かる為ならば 人が助かるならば

この事を受けて行きますと言う事ですね




これは私も一つ今から

今日から実験してみようかと思って居ります




言わば成行きを尊ぶ 大切にする 受けて行くと言う事を

これで人が助かると言う事であれば受けて行きます




と言う事ですね さあそれがどうなるか私にも分かりませんけれども

実験してみる価値は有る様に思いますね




やはり取次者として 人が助からなければ

取次者としての役前が立たない訳ですから




何につけ あれにつけ これにつけ

これで人が助かるならば させて頂こう




これで人が助かるならば 助かる為に一修行させて頂こう

と言うその 人が助かる為に一修行させて頂こうと言う心が




今一寸お勇みが有りましたけど




やっぱり天地に通うのではなかろうかと

その形が何であれと 言う事になりますね




しかし師匠の弟子であるからには

人が助かる為には 人が助かる事の として




この成行きを受けさせて頂きます

修行としてさせて頂きます




人が助かる為の修行として

この事に取り組ませて頂きます




これがやはり天地に通うのではなかろうかと

今日から実験させて頂こうかと思って居ります




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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