2022年7月25日月曜日

この御道は天地金乃神様直伝の教えと氏子の悟りからなる (2022-07-25)

 今日も和賀心学 (2022-07-25)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師が教えて下さる御教えには 2つのタイプが有る。一つは神様が教えて下さる神様直伝の御教え。もう一つは師匠の信心体験の中から心に感得された或いは悟られた御教え。一切神愛は師匠自らの信心体験の中で悟られたのである。その悟りが天地に通う悟りでなければならないのは勿論である。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 39頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




今月今日で一心に頼め

おかげは和賀心にあり




お道の信心は 究極のところ

安心のおかげを頂くことである




和賀心と安心の心は並行して育ち

又育てていかねばならぬ




おかげは和賀心にあり

これは神様が 教祖様に教えて下さった事ですね




この信心の教えと言うのでしょうか

これには 2つのタイプが有る様に思いますね




師匠が教えて下さる御教えの中には

2つのタイプが有る




一つは今日の御理解にも有ります様に おかげは和賀心にあり

いわゆる神様からお示し下さる御教えと言うものですね




それともう一つ

これはその取次者が独自に感得したと言うのでしょうかね




その取次者でしか言い現せないと言うのか

取次者が編み出したと言うのか そう言う教えと言うものが有りますね




編み出したと言うのは一寸変ですね

悟ったと言うのでしょうかね




例えば師匠の場合で言えば

その昨日は師匠の信心を端的に表すとどうなるかと




それは成行きを大切にする事だと

天地日月の心を目指しての精進だと




そしてそれが土の心だと言う様な事を

お話しさせて頂きましたけれども




あれ何か足りないなと思われると思いますね

そうですね 師匠は一切が神愛 と説かれましたね




それこそ師匠の信心と言えば

一切が神愛と言う様な感じも致します 確かにそれも有ると思います




そのところがこの一切が神愛と言うのは

これは神様が 一切が神愛だと教えて下さったものではありませんね




師匠の御理解の中に 一切が神愛だと神様からお知らせを頂いたと

教えて下さったと言う様なお話は 聞いた事が無い様に思いますね




言わばこの一切が神愛と言うものは

師匠が実感として感じられた 或いはそう悟られた




そしてお話し下さる御教えだと言う事なのですね

この何と言いましょうかね 成行きを尊ぶとか




それはそれこそ神様の御教導の中で

そうせざるを得なくなったところが有りますね




またその成行きと言う言葉ではありませんけれども

師匠が頂かれたお知らせの中に




あれは亀のお知らせですね の中に

そのこれからはそれこそ身の上に起きて来る事を




その事を頂いて行けと それを頂きさえすれば良い

と言った様なお知らせを頂いて居られますね




ですから成行きを頂いて行く 尊ぶと言う様な事は

神様のお知らせの中に有ると思うのですね




ところが一切が神愛だとは

神様は一言も仰って居られない




ただ師匠が

そのさあこれは一切神愛と言うのは間違いだったのだろうかと




ふと迷われた時に

貫けと あの猪に乗った大黒様の図柄の日本手拭いですね




あのお話し 御理解が有りますね




ですから神様は 貫けとは仰ったけれども

そうだ一切が神愛だとは仰って居られないのですね




ですから神様から教えて下さる教えと

取次者が 取次者の中で




それこそ自らの信心体験の中で感じる御教えと言うのでしょうかね

感じる心の状態と言うのでしょうかね




ああこれは一切が神愛だ

或いはこれはこの御働きは神様の御働きだ




なる程これはおかげだ と言った様な取次者の心で感じ取る

あるいは悟るとでも言うのでしょうかね




そう言う取次者の心で感じ取る

あるいは悟る そう言うものが要る訳ですね




ただ神様から右から左に教えて頂くと言う事

それも大切ですけれども それだけではない




取次者の心から練り出して行く

そう言うものがまた必要だと言う事ですね




教祖様の御理解にも

聞くだけではない 我が心からも練り出せ




と言った様な御理解が確か有りましたね




その自らの心で感得すると言うのか 悟ると言うのか

そう言うものがやはり要ると言う事ですね




そしてその悟ったもの 感じたもの

例えば師匠が一切が神愛だなと感じ取られた




そしてそれが神様に通うと言うのでしょうかね

神様がそうだと よくその事が分かってくれたなと




これは神様が氏子に分かって欲しい

言わば感得して欲しい 悟って欲しいと言うその事は




愈々の事になると 教えては下さらない所が有る様ですね

それは氏子が自ら悟って行かねばならない所が有ると




神様から教えてもらったからと言って

それが分かるものではない




自らの心の中で感得して行くもの

そう言う信心の世界が有ると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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