今日も和賀心学 (2022-07-17)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
この天地金乃神様は、たてがわれる事もある。筑後弁でたてがうと言うが、からかうと言う様な意味だろうか。修行に入りたての頃4時のお退がり前の御祈念中に、小さい子供に言うように、お前にほうれん草はやらん、と頂いた。それを御結界の親先生にお届けすると、神様がたてがっておられるのだから、どうぞどうぞと縋って行かなければならないねと御理解下さった。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 13頁)
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合掌
中原博信
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御神誡
天の恩を知りて地の恩を知らぬこと
限界と無限の間に横たわるもの
その余白の中にある人間の救われがたき難儀の様相がある
一体 何ゆえのことであろうか
天の真を知り地の心を知る手立てを
教祖金光大神は身をもって説き明かした
神の大恩を知れば 無事健康で子孫も続き身代も出来
一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来るぞ
即ち 天地の大恩 である
天地人一体の歓喜の世界が開け
日と光の旋律が生まれてくる
天地の大恩 と有ります
私が教会に修行に入らせて頂いた時の師匠の御理解が
この天地の大恩 神の大恩と言う事でした
その修行の眼目と言いましょうか
それを 神の大恩が分かる と言う事に焦点を置いて
修行をさせて頂きなさいと御理解を頂きました
その神の大恩が分かる と言う事ですね
では一体 神の大恩とは何だろうか それは多岐に渡る事でしょうし
その時々の 何と言いましょうかね 信心の度合いによって
大恩と感じるものが色々と有るのだと思います
信心始めの頃は それこそお願いをしておかげを頂く
そこに神の大恩 を言う事も有りましょう
また進んで行く中に修行が有る
その修行が有る中に
その修行そのものが大恩として頂けて来る事も有るでしょう
また成行きの中に 神様が下さるその御働きの中に
私どもの心を育てて行こうと言う
そのそこに大恩を感じる
あるいはそれこそ師匠が教えて下さる 一切が神愛と言うものを悟る
実感してそこにまた神の大恩を感じる
様々な大恩を感じ続けて行かねばなりませんけれども
今朝は何かもっと身近なものとして
ある方の事を心にかけて居りましたら
願わずにはおれまいが と心に響いて来ました
やっぱり願わずにはおれない
それこそ その方の幸せと言うのでしょうか
この世での立ち行き
勿論あの世も この世も通してですけれども
先ずはこの世に生きて居る 生かされて居るのですから
この世での助かり立行きを願わずにはおれませんね
日々生活をさせて頂くと言う事だけでも
神様のおかげを頂かなければ立ち行きません
願わずにはおれない私どもなのですね
あーだ こーだ理屈なしに素直に神様にお縋りする
やっぱり商売人ならば商売人で
今日 1日売り上げがあがらねばなりません
お客さんが来て頂かねばなりません
神様に素直にお縋りする 願わせて頂く
その願わずにはおれない私どもなのですね
確かに教学とか申します
いわゆる教えを教学するとか
それで色々あれこれ理屈を考えて
理屈を付けようと致しますけれども
そう言う理屈抜きに 願わずにはおれない
縋らずにはおれない私どもであると言う事ですね
素直に神様に縋って行く 願って行く
これが先ず 根本と言うのでしょうかね 基本である様に思いますね
今朝はもう一つ
私が修行に入らせて頂いた時の事を思わせて頂いたのですけれども
それは入って間なしの頃
3時の研修の後の 4時の御祈念が有りますね
お退がり前の御祈念が 師匠の心中祈念ですが 有ります
それを一緒に修行生も頂く訳ですけれども
その時に その小さな子供に言う様な感じで
お前にはホウレン草はやらんと頂いたのですね
その事を心中祈念が終わられ御結界に戻られた初代親先生ですね
親先生に どう言う事でしょうか
どう言う意味でしょうか
とお尋ねに参りましたら
それは神様が たてがいなさいよっとたい と
いわゆる神様が 小さな子供をたてがう様な
私どもが有りますね
子供にそれこそお菓子を見せびらかすと言うのか
そして あんたにはやらんよ
と言う様な事が有りますね
チョコレートを持っている で自分は食べている
で小ちゃな子供が 私にも僕にもちょうだいと言って来る
でも あんたにはやらんよ と
突き放すと言うのか からかうような感じですね
神様にはそう言う所が そう言う所もお有りになる様ですね
まぁたてがわれると言う訳です からかわれると言う訳です
そう言う時にでも これは師匠の御理解ですけれども
どうぞどうぞホウレン草を下さいと
それでも神様どうぞ下さい と
縋って行かなくちゃいけないねと言う御理解を頂きました
ホウレン草と言えば力になるものですからね
その力を頂きたい 人が助かるお役に立つ為の力を頂きたい
と思うてでも修行に入らせて頂いた
そしたら神様がその力の元になるホウレン草はやらんよと言われる
それならば そんなら知らんとプリッとなるのではなく
いやそれでも頂かして下さいと縋って行かなくちゃいけないよと
そして縋って行くからには
そして神様がそれこそ力の元にもなるホウレン草を下さる
ならばそれはそれで
しっかり頂いて行かねばならないねと
ホウレン草と言えば力の元になる と言えば
それは修行と言う事でも有りましょうね
ホウレン草を下さい 力の元になるものを下さい それは結局
一修行をさせて下さいと言う事にも繋がる事で有りましょうからね
そう言う たてがわれる神様でもあると言う事ですね
今日はその 2つの事を 私が修行に入らせて頂いた時の
2つの事を思い出させて頂きました
どうでも 神のおかげを頂かずにはおれない
縋らずにはおれない私どもであると言う事
神様が たてがわれる事も有ると言う事
それでも どうぞ下さいとお縋りして行かねばならない
そこにまた神様の大恩と言うものを
感じて行かねばならないと言う事でも有りますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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