今日も和賀心学 (2022-07-09)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
この御道は天地金乃神様のおかげを求める道です。ですから天地金乃神様のおかげを頂こうと思い、そのおかげが頂ける教会にお参りすると言う事になります。例えて言えば、野菜を求めて野菜屋さんに行く、ラーメンを食べにラーメン屋さんに行く様なものでしょうか。ただそのお店によって味の違いは有ります。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 289頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第32節
女が菜園に出て菜を抜く時に
地を拝んで抜くというような心になれば おかげがある
また それを煮て食べる時
神様いただきますというような心あらば あたることなし
実験実証させて頂く信心の
いろは です
大地を拝む気になり
すべてに頂きますという合掌の心
今まで気づかなかったおかげの元が
そこにもここにもある事に気づかされます
信心とは一切を拝み
一切を頂きますと言うことだな とわかります
信心とは一切を拝み
一切を頂きますと言う事だなと分かります と
その分かる 分かると言う所から
分かっただけでは それが身に着いたとは言えませんから
その分かったそこから その味わうと言う所まで
また行かねばならないのだろうと思いますね
教えを味わう 行じる 行じた向こうに
その味わいが出て来るのだと思います
食べ物でもやはり食べてみて
その初めて味が分かる
ここ数日信心の基本
と言う事を頂いて居りますけれども
先ず最初の 五つの行の初めの日参ですね
教会に毎日お参りをすると言う日参
何故教会にお参りすると言う事が要るのだろうか
と思いますね
今はもうそれこそ買い物をするでも
ウェブサイトで注文をすれば届けて下さる
便利な世の中ですから おかげを欲しいと思えば
それこそおかげを届けて下さいと
おかげの通信販売が有っても
よさそうなものですけれども
やはり修行ですから その時間を作り出す
そしてお参りをする
その為には 特に朝参りをしようと言う為には
今まで起きていた時間よりか 30分 1時間早く起きなければならない
そして身ずくろいをして やはり出かける
今まで以上に 苦労と言えば苦労 修行と言えば修行が有りますね
昔の方は偉いものですね
朝 4時に起きて 未だ当時は車とか電車 バスも朝有りませんから
1時間かけて朝参りをして居られた 歩いてですね
と言うある方のお話を聞かせて頂いた事が有りますけれども
1時間も歩いてお参りをする それだけでも
神様が修行として受けて下さる様な感じが致しますね
やはり普通の人がしない様な特別な事ですね
ですから教会に毎朝お参りをすると言う事は
やはり神様が一つの特別な修行として
受けて下さるのではないでしょうかね
今朝はその教会参り
何故教会に参らなければならないのか
参らなくても それこそ本を読んで教えを頂けば
それで済むのではないか と言う様な事に関して
それはこう言う様なものだ
と言ったものを教えて頂いた様に思うのですけれども
それは買い物を致しますね
そのお野菜を買おうと思えば野菜屋さんに行く
今は野菜屋さんと言うより スーパーに行けば何でも揃う
と言う様なところでしょうけれども
オーソドックスなやり方としては
野菜屋さんへ行って野菜を買う
お肉屋さんへ行ってお肉を買う
魚屋さんで魚を買うと言う お店に行きますね
私どもこの道に縁を頂くと言う事は
この御道のおかげを頂く
それは天地金乃神様のおかげを頂く
その為にこの御道をしている 行じている
と言う事ですから
この御道でのおかげを頂く
その為にはやはり天地金乃神様のおかげを頂く
と言う事になりますね
色々な神様が居られるのかもしれません
その中でも天地金乃神様のおかげを頂こうと言うのがこの道ですから
やはりその天地金乃神様の所に
おかげを下さいと求めて行かねばなりませんね
その天地金乃神様のおかげを授けて下さる
そこがこの御道の教会だと言う事になりますね
ですからお店に 買い物をしたい時にはお店に買い物に行く
魚屋さんには魚屋さんに行くと言う様に
神様のおかげを頂きたいならば
その教会におかげを頂きに行く
と言うのが当然と言えば当然だと言う事になりますね
厳密に言えば少しは違うかもしれませんけれども
そう言うモデルと言えば
そう言うモデルでしょうかね
また頂きますのは 例えば同じ ラーメンを食べたいと言う
ところがラーメンのお店は ラーメン屋さんは一杯有りますね
しかしそのお店 お店によって
やはり少しずつ味が違っていたり致します
ですから自分の味覚に合うラーメン屋さんに行きますね
これはラーメン屋さんに行かなければ頂けない味が有りますね
そこでしか味わえない味が有ると言う訳です
教会もやはりそこにお参りして
その教会でなければ味わえない味わいが有ると言う訳ですね
ですからそのラーメン屋さんなら ラーメン屋さんでしか
味わえない味を頂こうと思うから そのラーメン屋さんに足を運ぶ
と同じ様に そこの教会でしか頂けない信心の味わいが有る
それを頂こうとするからそこの教会に足を運ぶ
そして天地金乃神様のおかげを頂こうとする
と言う事になりますね
為にはやはりそこの教会 教会が
その教会の味わいを やはり出さねばならない
と言う事でも有りましょうね
そしてまたそこの教会でしか頂けない信心の味わい
と言うものに触れて行かねばなりませんね
やはりその為にはお参りをしなければなりませんね
お参りをして初めて 教会の味わいと言うものにも触れる事が出来る
そしてその教会でしか頂けない特別の御働き
と言うものもまた頂けると言う事になりますね
普通の味であったならば
普通の何処にでも売っている様なもので良いと言うので有れば
その何処にお参りしても良いと言う事になるのでしょうけれども
やはりそこのお店の特別の味を味わいたい
と思うならばやはりそこに行くしかないと
ですからそう言う事の為にやはり日参をさせて頂く
毎日お参りをして 何と言いましょうかね
ラーメンなども 食べ物 特に食べ物は 1回食べたらそれで良い
と言う訳にはいきませんからね
また食べなければ
その滋養が補給出来ませんから
1回買ったら5年もつとか 10年もつとか言うものも
耐久消費財も有りましょうけれども
信心は耐久消費財と言う訳には参りませんからね
新鮮なものだと思いますね
その新鮮なものは やはり毎日でも頂かねばならない
そう言う新鮮なものが信心と言うものではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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