2022年7月11日月曜日

この御道は話を聴いて助かる道 (2022-07-11)

 今日も和賀心学 (2022-07-11)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


この御道の信奉者としてどうでも取り組まねばならない五つの行、その中の聴教、教えを聴くと言う行。この御道は話を聞いて助かる道とも教えて下さる。パワースポットで願をかけて助かるのとは違い、天地金乃神様直伝の御理解を頂き心の合点をもって助かる事が出来る。為には毎日教えを聴く事、行じる事。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 98頁)


ビデオ: https://youtu.be/4IvtF9Q4ziQ

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/07-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-07-11.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




信心する人は何事にも真心になれよ




神より金光大神に尽きぬおかげを 話にして下されてあるのだから

よく話を聞き 守ることが信心になることで




おかげを受けて身体であらわし

真心で人に伝えていくのが信心である




教祖さまの生きられ方を

実意をもって神習うことです




よく話を聞き 守ること

と師匠が教えて下さいます




御道の信奉者として どうでも取り組まねばならない五つの行

日参 聴教 信行 心行 家業の行




その内の今朝はそれこそ聴教ですね

教えを聴くと言う所を頂いていると言う様に思いますね




教祖様が伝えて下さった御教え

また師匠が伝えて下さった御教え




その御教えを頂くと言う事

この御道は話を聴いて助かる道だとも教えて下さいます




その神社とかいわゆるパワースポットとかに行って

お願い事を致しますね そして願い事を叶えてもらう




確かにこの御道でも取次ぎの先生にお願いをして

願い事を叶えてもらう そう言うシステムが有る訳ですけれども




その大きな違いはどこに有るのか

それはよく教えが有ると 無いの違いだとも言われますね




神社やパワースポットで願い事をしても

神様からそれこそ何か御教えが下がって来る訳では有りませんね




中には何かが降りて来たと言う方も

感じる方も居られるかもしれませんけれども




その事訳だっての御教えと言うものは無い様に思いますね

その点 御道での信奉者と言うのでしょうかね




信心をさせて頂くと これこれこう言う事でこうだ

と言った様な事訳だった御教えを頂きます




その御教えを頂くと言う事がやはり

この御道の信奉者としての大切な所だと思いますね




しかもそれが毎日お参りをする

そして毎日御教えを頂く




その思い出した様に御教えを頂くと言うのではなく 毎日毎日

繰り返し繰り返し御教えを頂くと言う事が大切だと思いますね




それは同じ様な御教えであるかもしれません

又は全く違った角度からの御教えかもしれません




そのやはり御教えを頂くと言う事が

大切だと言う事ですね




その伝わると言うのでしょうか 後世に残ると言うのでしょうか

それはやはりある意味御教えでしょうからね




その御教えも普通の道徳的な御教え

いわゆる世間一般で言われる事と似た様な事も有ります




これはどこでも言われている事だな あそこでも

ここでも聞くお話だなと言った様なものも中には有りましょう




けれどもそれを教祖様の御教えとして

あるいは師匠の御教えとして頂く時




ですからそれは何と言いましょうかね

言い付けと言うのでしょうかね




教祖様の言い付けとして 師匠の言い付けとして頂く時に

そこに必ず天地金乃神様の御働きが現れると言う訳ですね




単なる世間で言われている様な教えの場合は それを

行じたからと言って特別どうと言う事はないのでしょうけれども




師匠はよく実験実証と言う事を仰って居られました

その教えを頂き その教えを実験する




その御教えを実験する所に

必ずそこに実証が現れると




それは神様の 天地金乃神様のお言い付けだからですね

その神様の言い付けの裏と言うのでしょうか




その何と言いますかね

神様が なる程神様が言い付けられた事だと言う事の証として




必ずその御教えに取り組めば

そこに必ず実証が現われる 御働きが現れると言う事ですね




神様の言い付けとしてその事を守らせて頂く

そこには必ず神様の御働きが現われる




その実験実証の積み重ねによって

教えを実験し そしてそこに実証が現われる




その積み重ねによって初めて

神様を実感として感じる事も出来る




そしてまた師匠が一切が神愛と教えて下さる

その一切神愛と言う事も実感として感じる事が出来る




為には教えを頂き

その教えを実験してみなければいけませんね なりませんね




また師匠は そのおかげの泉と言うものが

毎月師匠の御教えが一教話づつ発行されて居りましたけれども




そのおかげの泉なども師匠は 少なくとも 10遍はお読み下さい

と仰って居られました




一遍教えを聞いたら

それでなる程分かった様な感じも致しますけれども




そう簡単に分かるものでもないと言う事ですね

少なくとも 10遍は頂かなければ




その奥に有る神様の御心に触れると言うのでしょうかね

そう言う事にはならないよと




ただ聞いて分かったと言うだけでは

それは素通りをしてしまう様なものですね




その御教えの内容に触れる

その御教えの神様の御心に触れる




その為には少なくとも 10遍は頂き

そしてその御教えを実際に行じてみる 実験をしてみる




そしてそこに実証が現われる 教祖様の御教え

師匠の御教えには 必ずその行じたら そこに手応えが有る




そう言う御教えだと言う事ですね




単なるあれは何と言いますかね 訓示ですか 処世訓とか

何とか訓とか言うのが有りますね




また道徳的な教えであったり と言うものとの決定的な違いは

そこに必ず行じれば神様の御働き 手応えが現れると言う事ですね




そう言う御教えだと言う事です

そう言う御教えを やはり毎日頂かなければならない




そしてそこに御教えに取り組んでみる

と言う姿勢が要ると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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