今日も和賀心学 (2022-06-30)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、信心の進化と言う事を教えて頂いた。例えば医学にも進化がある。新しい薬や医術の進化により50年前には助からなかった命が今日では救われる様にもなった。信心修行と言えば昔は火の行水の行だった。師匠大坪総一郎師はそれを進化させ、信心修行として成行きを尊ぶ事を教えて下さった。師匠の御教えとして行じるとき師匠の祈りが現れる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 114頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
大酒大食するは絶食のもとになるぞ
信心がなくても誰でも合点のいく御教えだが
実行することは容易くて難しい
教祖の御教えとして改まって頂く時
容易う教えを血肉にすることの出来る教えである
教祖の御教えとして頂くと有ります
教祖様が教えて下さる事として頂くと言う事ですね
大酒大食するは絶食のもとになるぞ
これは道徳的な どこでも言われる様な事ですけれども
それをただどこでも誰でもが言っている事 知っている事
と言う事ではなく 教祖様の御教えとして頂くと言う事ですね
この辺が何か鍵が有る様に思いますね
神様の御心として頂く その何と言いましょうかね
今朝頂きます事は
信心も進化しなければならないと
簡単です 明瞭です しかもおかげが確かです
と師匠は教えて下さる
それが昔ながらの信心から
それこそ
より簡単に より明瞭に よりおかげが頂けれる道へと
進化しなければならないのだと
例えば医学ですか お医者さんの世界でも随分進化致しますね
それこそ 10年前には助からなかった命が 医学の進歩によって
新しいお薬が出来たり
手術の仕方が 新しい手術が やり方が出来たりして
それこそ 10年前には助からなかった命が
今日では助かるようになったとか
また新型コロナウイルスのこの度でも
最初の頃は手の打ちどころが無かった
それがいわゆる研究に研究を重ねて下さったおかげで
ワクチンが出来た
それで今日ではもう随分
何と言いましょうかね
直ぐに重症化して亡くなると言う様な事は
随分減って来た様に思いますね
コロナの新型コロナのウイルスが収束する日も
段々近くなって来たと
やはり医学の進歩によるものですね
この何年 1~ 2年ですか 目覚ましい進歩が有りましたね
と同じ様に 宗教界においても
信心の進化と言うものがなければならない
その一つが 昔はそれこそ御神徳を頂くとか言う事になると
山に籠って修行をしたり 滝の水に打たれたり
いわゆる火の行 水の行と言われる様な
荒行と言われる様なものをする事によって初めて
御神徳が頂けれる
と言う様な事だったのではないでしょうかね
これでは誰でもが出来る と言う訳では有りませんからね
それがいわゆる進化をした
そこには進化をさせて下さる
色々な直信先覚の先生方や
色々な先生の 達のおかげで
新しい形になった と言うよりか
より簡単です より明瞭です
よりおかげが頂けれる道と へと進化して来た
どう進化したのか
それは師匠が教えて下さる その成行きを大切にする
昔は火の行や水の行を信心の行として来た
それが今日では 成行きを尊ぶと言う事を
その成行きを頂くと言う事を行とする
信心の行として成行きを尊ぶ
その 昔信心の行と言えば
火の行や水の行と言った荒行をしていた
それが信心の行として
その今私どもに起こって来る成行きを頂いて行く
これを信心の行とする
ことを大坪総一郎師が教えて下さった
見易くなった訳ですね
これなら誰でも出来る
火の行や水の行はやっぱり健康で頑強な体の有る人しか またそれこそ
填まって取り組める精神力の持ち主でしか出来ないかもしれない
しかし成行きを大切にする
その事を信心の修行として させて頂く
これならば病人であろうと 子供であろうと 大人であろうと
それこそ体の弱い人 強い人 心が強かろうが弱かろうが
その気になれば誰でもが
信心の行として成行きを尊ぶ事が出来る
より簡単に より明瞭に しかもより簡単にそれこそ
おかげが頂けれる様になったのではないでしょうかね
誰でもが いわゆる万民宗教と言うのでしょうかね
これは大衆宗教とは一線を画するものが有りますね
万人の為の万民宗教と言う訳ですね
それが成行きを尊ぶ 大切にする
この事を修行としてさせて頂こうと言う信心スタイルと言うのか
信心のあり方ですね
それを ただそうするのではない
そこに師匠が教えて下さった事 として
それは教祖様の流れをくみ
師匠が教えて下さった その師匠の御教えとして
神様の何と言いましょうかね
御教え下さった事として
そこに取り組む時に
それこそ神様の御働きがより一層現れて来るのではないでしょうかね
その同じ事をするでも
ただ道徳でこう言われているからとか
世間ではこうだからとか
言うやり方では余り大した効果は無いのかもしれません
それが神様の教えだとして 師匠が教えて下さった事として
そこに取り組む時に 神様の祈りが 師匠の祈りが
あるいは教祖様の教えて下さった事として
取り組む時に 教祖様の祈りがそこに現れて来ると言う事ですね
どうでも先ずは その成行きを大切にする
その事を修行とさせて頂こうと 修行としてそこに取り組む
そこにそれこそ師匠が教えられている事
師匠から教えて頂いた事として
師匠の御教えとして取り組むときに
師匠の祈りがそこに一層現れて来ると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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