今日も和賀心学 (2022-06-23)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心の稽古は一人では出来ない。信心は神様と一緒にさせて頂くもの。神様の御働きを頂きながらの稽古であるから楽しく愉快に有難く出来る。神様の御働きの一つに神様のお知らせが有る。師匠大坪総一郎師の許で稽古をさせて頂くと、大抵の人、信心の未熟な者ほど神様のお知らせを頂きつつ稽古に励める。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 338頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第48節
わが子の病気でも
かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ
言うことを聞かぬ時に
ままよと思うてほっておくような気になって
信心してやれ おかげが受けられる
三男幹三郎 肉腫の診断があった時 心は平常であった
九十九パーセントだめ とのことであった
ままよ の心の発露であろう
おかげで奇跡的なおかげをうけた
後で思うのに
もしこれが信者の子弟であったら どうであったろうかと思う
我を殺して神を生かすか
神を殺して我を生かすか
我を殺して神を生かすか
神を殺して我を生かすか
これは 我(われ)と読めば われ ですけれども
我(が)と読めばもっと意味が強烈になりますね
我(が)を殺して神を生かすか
神を殺して 我(が)を生かすか
われ と読むより が と読んだ方が
もっと強烈に意味合いが良く分かる様な感じが致しますね
こう言う教えと言うものが有ります
信心を進めて行く 信心の稽古をする
そのどうやって信心の稽古をするのか
何の為に信心の稽古をするのか
信心の稽古をしたらどうなるのか
それはやっぱり神様のおかげを頂く
これはおかげを頂くと言うと
ご利益信心の様な感じが致しますから
厳密にもっと別の言葉で言うと
神様の御働きを頂く
おかげを頂くと言うより
御働きを頂くと言う言葉に替えた方が
我(われ)を我(が)と読み替える
その方がより教えがハッキリする
これはおかげと言うものを御働き
神様の御働きと読み替えると言うのでしょうか
置き換えると言うのでしょうか
その方が一層ハッキリする様な感じが致しますね
筋トレとか言うのが有りますね
筋肉をトレーニングして 筋肉隆々たる体にしようと言う訳です
そう言う目的が有って 筋トレを致します
ただ良い人になる為とか
勿論心を磨く為と言う事も有りましょうけれども
何の目的も無い 何の見返りも無いで信心の稽古をすると言うのは
手応えが有りませんから 長続きは致しませんね
書道の稽古にしても
なる程字が上手になったな と言うその めきめきと腕が上がる
それが見えて初めて
一層稽古をしようと言う気にもなるのでしょう
そしてまた自分が字を書いて 最初は何級ですかね
八級とか 七級とか 段々上がって行きますね
そして一級 そしてまた段が付く 初段になる
と言うその 自分の字がどの程度の字が書けておるのか
これは自分で判断して 自分で等級を付ける訳には参りませんね
上手になればそうなのかもしれませんけれども
大概は誰かにその判断してもらって あなたは何級ですとか
あなたは何段ですとか その等級を付けてもらうのでしょう
それによって一層励みが出来ますね
幾ら字の練習をしても その等級がなければ 中々励みになりません
いわゆる手応えと言うやつですね 信心もただ稽古をする
信心の稽古と言うとやはり教えに取り組むと言う事でしょうけれども
その教えに取り組んだだけで
幾ら取り組んでもその手応えが有りませんと
取り組んだ甲斐が無いと言うのか 取り組んで居るのか居ないのか
自分でもどうして良いのか分からなくなります
果たして自分の御教えへの取り組みが
それで良いのかどうか分からなくなりますね
やはり信心の稽古をさせて頂くからには
そこに神様からの反応 神様の手応えを頂く
神様の御働きを頂いて初めて
有難く楽しく愉快に進めさせて頂く事も出来る と言う事になりますね
ただ教えを行じる 中には道徳を良く守る人が居られて
あの人は道徳家だ あの人は良い方だ
と評される方も居られますけれども
やっぱり生身の私どもは 何かしらそこに何と言いましょうかね
教えに取り組んだ その手応えが有って初めて
次の段階にも進んで行けれる様に思いますね
そう言う意味において
師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂きますと
色々な形の神様からの御働きを頂く事が出来ますね
それは勿論私どもの願い事が
叶う事も有ったり 叶わぬ事も有ったり
好都合な事が有ったり 不都合な事が有ったり
様々な事が 私どもの身の上に起きて参ります
それらを神様の御働き 言わば神様の 何と言いますかね
神様からの手応え として頂いて行く事が出来ますから
信心が楽しくなりますね
中でも神様の反応の一つとして
これはやはり師匠の特長だと思いますが
神様からお知らせを頂く と言う事が有りますね
特に神様からお知らせを頂くと
あぁなる程と そう言う信心をすれば良いのかとか
あぁこれで良いのかとか ここを改まれば
改まらなければならないのか等と色々な事が分からされますね
また元気付けても下さいます
そのいわゆる常識では 信心が高度な人 信心の稽古が良く出来た人
が初めて神様からのお知らせを頂く事が出来る
と言う風に思われがちですけれども
世間ではそうなのかもしれません
しかし師匠の許で信心の稽古をさせて頂くと
その常識は当てはまりませんね
寧ろ信心の未熟な者 の方が神様のお知らせを頂きますね
何故ならば必要だからです
もう心が十分に育った人 神様のお知らせを頂かなくとも
信心を進めて行けれる人 自分で信心が進められる人
そう言う人には あれこれアドバイスをする必要が有りませんからね
神様のお知らせも頂く必要が段々無くなる訳です
師匠も段々信心が進んで来ると
神様のお知らせが少なくなったと仰って居られましたね
その通りだと思いますね
ですから師匠の許で信心の稽古をさせて頂いている私どもは
大概 師匠の流れを パイプを通して
神様とのパイプを通して そのお知らせが流れて来ます
そのお知らせを元にして信心の稽古をすると言う事でも有りますね
しかしそこには 師匠と神様との間に交わされた特別な
何と言いましょうかね 約束事が有るのは有りますね
例えば 4と言う数字を頂いたら
これは神様の願いと言う事だと
13と言う数字を見たら
これは御神願御成就と言う事だとか
3は参拝だとか
牛は家のメグリだとか色々有りますね
それを合楽語録と言うものに纏めて
青年会が出版された様ですけれどもね
今朝もそう言えばお夢を頂きました
あるお昼を頂きにレストランに入るのですけれども
皆がミルクを 牛乳を飲んでいるのですね
で 私もあれを下さいと頼んだら 牛乳が来ました
そして見てビックリ致しました
いわゆるガロンなのですね ガロン牛乳 1ガロンです
日本では殆ど無いでしょうね
せいぜい 1リットルでしょうか
1ガロンですから 3リットルを少し欠けますね
あぁ失礼 4リットルですね
4リットルを少し欠けた位の量ですね
それがプラスチックのボトルに入っている訳ですけれども
それが それを持って来られました
それでビックリして わぁこれを飲むのか
と言った様な所で目が覚めましたけれども
ミルクと言うのはどう言う神様のお知らせなのでしょうかね
牛と言う そのメグリに何か関係が有る様な感じが致しますね
これからまたどう言う意味だろうかと
練らせて頂かねばなりませんけれども
その神様のお知らせが さあどう言う意味だろうかと
練り上げる楽しみも有りますね
信心の楽しみ方 中々楽しいものです
先ずは神様からのお知らせを頂いて
そのお知らせを元として 信心の稽古をさせて頂く
これが師匠大坪総一郎師の信心の特長の一つだと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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