2022年6月8日水曜日

和賀心は魔法の万能薬ではない、和賀心そのものがおかげである (2022-06-08)

 今日も和賀心学 (2022-06-08)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


教祖様は、おかげは和賀心にありと教えて下さるから和賀心になればどんな私どもの欲するおかげでも頂けると思う。これは希望的観測であり幻想に過ぎない。和賀心になれば癌が消えて無くなったり、5億円の宝くじに当たったり、200歳まで長生き出来ると言うことではない。和賀心は魔法の万能薬ではない。和賀心になること自体がおかげであり助かりの世界なのである。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 244頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第17




神の綱が切れたというが 神は切らぬ

氏子から切るな




切れたとまではゆかぬでも

切れかかって居る人が 沢山いるのではなかろうか




不平不足はおかげが切れる




切れかかって居る

何故切れかかって居るのか




それは私どもの誤解に有るからだと

考え違い 思い違い 本当の事が分からないから




分かっていないから 言わば過度の期待と言うのでしょうかね

希望的観測で信心をして居るから と言う事かもしれませんね




教祖様が おかげは和賀心にあり

と教えて下さいます




ですから おかげは自分の心の中にあるのだ

と言う頂き方も有れば




おかげは和らぎ賀ぶ和賀心にあるのだ

と言う頂き方も有ります




それで和らぎ賀ぶ和賀心になればおかげが頂けれる

と言う頂き方が大勢を占めるのではないでしょうかね




特にそのおかげと言うものも 大抵は

自分の欲する所のおかげを頂く と言う事に焦点が置かれますね




自分の求めるおかげ 自分の願いとするおかげ

それが私どもが和らぎ賀ぶ和賀心になれば頂けれるのだ




と説かれている そう解釈する訳ですね

ここが今朝は そもそもの間違いだと 誤解だと




現実を見ていないと言うのでしょうか その真意が分かっていない

と言う様な事を今朝はご指摘頂いた様な感じが致します




と言いますのは

その おかげは和賀心にあり




これは人間はどこまでも そのおかげと言うものを自分の願い

欲する所のおかげを和らぎ賀ぶ和賀心によって頂けれると思っている




と言う訳ですね




しかし現実には 和らぎ賀ぶ和賀心になったからと言って

思い通りのおかげが頂けれるとは限らないのですね




よく信心始めの頃は

おかげは和賀心にありと仰って居られる




それでもあの人はおかげを頂いていない

だからあの人は和賀心ではないのだ




和賀心になり得ていないのだ

と言う様に人様を見る事が多々有りますね




例えば癌を患われた そしてその癌で亡くなられた

あの人はいつも和賀心 和賀心と言って居られた




その癌に患っておるけれども その中でも私は和らいで居れ

賀んで居れる和賀心を頂いて居る と言っておられたけれども




結局は癌で亡くなられた 癌が無くならなかったではないか

癌が消えて無くならなかったではないか




おかげが おかげは和賀心にあると言われるのだから

和賀心になれば癌が消えて無くなる




そう言うおかげをも頂けれるはずだ

と言う言わば希望的観測と言うのでしょうかね




幻想を抱く事が有ります 抱いているのが殆どですね

そうでは有りませんね




和らぎ賀ぶ和賀心になったからと言って

目が開いたとか 立たない足が立ったとか




耳が聞こえる様になったとか

聞こえない耳が聞こえる様になったとか




あるあの三重苦の女性の方が居られましたね

その方が和賀心になられたら




目が見える様になり 耳が聞こえる様になり

口がきける様になるのか




或いは百五十歳まで長生きがしたいと願いを持っている

私が和らぎ賀ぶ和賀心を頂いたら百五十歳まで長生きが出来るか




或いは二百歳 それは無理な話ですね




和らぎ賀ぶ和賀心になったからと言って 私どもが願いとする所の

おかげが頂けれると言う事ではない事がハッキリ分かりますね




では和賀心とは何なのか




それこそ師匠大坪総一郎師は この世でも和賀心を求め続ける

あの世でも和賀心を求め続けると仰って居られましたけれども




傍目から見ると御病気ですね




もう七十手前でしたかね で 御病気で倒れられ

後ろに退がられ 透析の生活を十何年と続けられました




もしこれが おかげが和賀心にあり と言う事であるならば

師匠ほど和賀心でおありになられた方は居られないと思いますので




たちどころにその病気が治って良いはずですよね

ところがその病気が治られなかった




和賀心になったら病気が治ると言うものではない事が分かりますね

師匠は糖尿病と言う神様の御都合として頂いて居られましたね




そう言う闘病生活の中においても

和らぎ賀ぶ和賀心を求め続けて居られた




また持って居られたと思いますね




私どもがおかげは和賀心にあり

と言うその和賀心になりさえすれば




私どもの欲するおかげが頂けれる と思うのは希望的観測であり

単なる幻想であると言う事が明らかですね




では何の為に和賀心を求めるのか

それは和らぎ賀ぶ和賀心自体が助かりの世界だからですね




おかげが頂けれる

私どもの願いとする所のおかげが頂けれる




その為に和賀心になろう としても

それは頂けれるかどうかは分からない




それこそ神様の御心次第だと

言う事になりますね




ですから和賀心になったら癌が治った

和賀心になったら二百歳まで長生きが出来た




和賀心になったらそれこそ十億円の宝くじに当たった

と言う様な事は幻想ですね




現実は 和らぎ賀ぶ和賀心その心になったら その心自体がおかげだと

その心自体が助かりの世界だと言う事ですね




ですから和賀心になると言うのは

自らの心が助かると言う事ですけれども




和賀心になったからと言って その願いとするおかげが頂けれる

おかげが付いて来るかどうかは 神様の御心次第と言う事になりますね




例えばその氏子が和賀心になったら癌が治った

と言う例が有れば




そんなら私も和賀心になろうか

と言う人達が沢山出来て来るはずだからですね




ある方が有難うを十万回 百万回唱えたら癌が治った

と言う事を聞き及んだ人達は




そんなら私も有難うを 十万回 百万回唱えよう

と言う心になるからですね




言わばその何と言いましょうかね

導きの広告塔の様なものでしょうかね




そう言う意味においての 和賀心になったら癌が治った

と言う人が何人か出て来られる事は有り得る事ですね




しかし必ずしも和賀心になったから癌が治る

と言う事では有りませんね




神様の願いは癌を治す事ではない

人々が和賀心を目指し 和賀心になる事 が神様の願いだからですね




この辺の所が良く分かりませんと

信心の目指しと言うものが微妙にずれる事が有りますね




大変微妙な所かもしれません

異論が出る所かもしれません




と言う事をハッキリ やはり認識しなければなりませんね

和賀心そのものが 助かりの世界だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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