2022年6月16日木曜日

真の信心をすれば真のおかげ、真の信心とは神様に喜んで頂く信心 (2022-06-16)

 今日も和賀心学 (2022-06-16)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の信心、それは真の信心をすれば真のおかげが頂けると言う信心。真のおかげを頂き現して行かねばならない。真の信心とは和らぎ賀ぶ和賀心を求めての信心。その賀びとは私どもの単なる喜びではなく神様のお喜びが照り返っての賀びだと教えて下さる。真の信心とは神様に喜んで頂く信心でもある。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 350頁)


ビデオ: https://youtu.be/VxLxmrQFu1g

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合掌

中原博信

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御理解 第52




信心する者は驚いてはならぬ これから後

どのような大きな事ができてきても 少しも驚くことはならぬぞ




真っ暗闇だから不安になる

信心の光がさす時安心が頂ける




神の偉大な働きを実感する時

そこに信心の喜びが湧いてくる その喜びが不可能を可能にする




信心の喜び

そしてその喜びが不可能を可能にすると




その信心の喜びとは

この信心の喜びと言うのは




ただ私どもが美味しいものを食べたり

飲んだりした時の喜びであったり




いわゆる願い事が叶う喜び 私どもの思い通りに事が運ぶ喜び

とはまた一線を画するものである様に思いますね




師匠が 師匠大坪総一郎師が

伝えようとされたもの 残そうとされたもの




それは真の信心をするところに頂けれる真のおかげ

と言うのでしょうかね 真の信心をして真のおかげを頂く




教祖様も 真の信心をさせるのが神へのお礼ぞ

と言う御理解が有りますね




その真の信心をさせると言うのか 伝えると言うのか

そしてそこに真のおかげが頂けれると言う事を伝え




残そうとされたのだと思いますね

ではその真の信心とは何か と言う事になりますけれども




それこそ真の信心とは 師匠がこの世でも和賀心を

あの世でも和賀心を求め続けると仰られた




その和らぎ賀ぶ和賀心を求める信心

ではないでしょうかね




そしてまた神様が 和賀心時代を創ろうとして居られると

教祖様が おかげは和賀心にありと 結局天地書附の




生神金光大神

天地金乃神 一心に願え




おかげは和賀心にあり

今月今日でたのめい




と 私どもに如何にも和らぎ賀ぶ和賀心を頂きなさいと

目指しなさいと これは神様からのお知らせですからね




そう神様がお知らせ下さったと言う訳です

で 神様が和らぎ賀ぶ和賀心を目指せよと仰って居られる訳ですから




神様がそれこそ

和賀心時代を創ろうとして居られる




それをまた明らかに明言されたと言うのか

それが師匠の和賀心時代を創ると言う事だと思いますね




神様が和賀心時代を創りたい と願うて居られる

神様の願いでもある訳ですね




私どもの心の中に和らぎ賀ぶ和賀心を頂く

和賀心の前にはメグリも霜に煮湯をかけた如く消えて無くなる




とも師匠は仰って居られましたね

いわゆる和らぎ賀ぶ和賀心を目指す信心




そこにはある意味一切のものが浄化される

と言う事かもしれませんね




和賀心 その和賀心に未だなり得ずとも

和賀心を求めての信心に




神様が それこそレンコン食うて下さっておかげを下さる

そう言う世界も有る訳ですね




和賀心時代を創ろうと言う神様の願い




そこに踊らせて頂こうとする者の上にはもうそれだけで

神様が喜んで下さると言う事でも有りましょうね




神様が創りたいと願われる和賀心時代

創ろうとされる和賀心時代




そこに私も参画させて下さいと申し出る 願い出る

それだけでも神様はもうお喜び下さるのではないでしょうかね




いや私はもうそんなのはいいと

そんなのはもう仲間に入らなくてもいいと




私はもう和賀心なんか目指さなくていいです

と言えば 神様はそれこそがっかりされると思いますね




私も和賀心を頂かせて下さいと賛同し参画する所に

神様も喜んで下さるのではないでしょうかね




和らぐ心 これは私どもの精進努力によって頂く事が出来ます

けれども賀ぶ心と言うのは 中々実際のところは頂けませんね




それが私どもの願いが叶う 思い通りになる

そこの喜びは有るのでしょうけれども




中々思い通り 願い通りには事が運ばない




そう言う中にあっても喜んで居れる

と言うのはやっぱり中々難しいですね




この喜びの心 これは師匠が

私どもがただ願い事が叶って喜ぶと言う喜びではない




神様の喜びが

私どもに照り返っての喜びだと




言わば和らぎ賀ぶ 賀ぶその賀ぶと言う心は

私どもがただ喜ぶ喜びではない




神様のお喜びが私どもに照り返って来ての賀びだと

仰られた事が有りますね




ですからただ人間 私ども氏子が喜ぶと言う喜びではない

と言う事ですよね




これは神様に喜んで頂いて

その喜びが私どもの心に照り返って来る 反映される




例えばお客さんに 何ですか食堂と致しましょうか レストランですか

そのコックさんが腕を振るい そしてお客さんが食べて喜んで下さる




そのお客さんの喜んだ顔

美味しそうに食べて下さるそのお客さんの喜び




がまたコックさんの上にも照り返って来て

コックさんもまた嬉しい そこに喜びを感じる




そういう言わばお客さんの喜びがこちらに返って来ての喜び

と言う様なものではないでしょうかね




その神様の喜びが私どもに照り返って来ての喜び

それが本当の和らぎ賀ぶ和賀心の賀びの内容だと言う事なのですね




どうでもそのやっぱり真の信心には

真の信心をして真のおかげを頂くと言う事の内容には




神様に喜んで頂く信心と言うものが内容に含まれると思いますね

神様の喜びが その私どもの心に返って来る




それが和らぎ賀ぶ和賀心の賀びだと




ですからどうでも真の信心とは

神様に喜んでもらおうと言う信心




それが全てではないとは思いますけれども

神様に喜んでもらうと言う信心が内包されると言うのでしょうかね




その内容としては

それが有ると言う事ですね




そしてその神様が喜んで下さる その喜びが私どもに返って来る

そして私どもがまた喜べれる




それこそそこに信心の喜び

と言うものが頂けれるのではないでしょうかね




信心の喜びと言う内容にも様々有るのでしょうけれども

その一つに 神様が喜んで下さる信心をさせて頂く




神様に喜んで頂く その神様の喜びが

私どもに返って来ての喜び




これがまた信心の喜びでもあろうと思いますね

その喜びが不可能を可能とする




神様が喜んで下さるところに 不可能と思えたものも

可能となる様なおかげも頂けれると言う事ですね




どうでも真の信心 それは私どもが

いわゆる喜ぶだけの信心ではない




神様にも喜んで頂く 神様に喜んで頂く

そう言う信心を目指させて頂きたいものですね




その喜びが不可能を可能とする

と言われる程しの喜びを頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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