今日も和賀心学 (2022-06-15)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は願いの信心が最高峰と教えて下さる。が、願いにも様々有る、私利私欲の願いが最高峰とは思えない。願いの中でも神様に喜んで頂きたいと言う願いが最高峰ではなかろうか。では神様はいつ喜ばれるか、それは神様の願いが成就する時に喜ばれる。神様に喜んで頂く為に成行きを大切にする。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 213頁)
ビデオ: https://youtu.be/7kgjlWpWvIg
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/06-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-06-15.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解 第7節
天地金乃神は昔からある神ぞ
途中からできた神でなし
天地ははやることなし
はやることなければ終わりもなし
天地日月の心になること肝要なり
信心はせんでもおかげはやってある
真の道が見失われ
悪徳と凶暴とが人間社会を当然のことのようにまかり通る世の中です
世界の難儀は いよいよ深刻になってまいりました
この悪徳と不信を根絶征服するものは わが教祖の信心
和賀心時代を創る 運動以外にありません
神様も今の世を 寒天危地 と教えられました
神様の願いはこの世を 歓天喜地 となさんの御心であります
天地日月の心とはそのまま親神様の御心です
御心を心として知ること 行ずることこそ肝要であります
信心 神信心 これが私どもが喜ぶ為にする信心
それは私どもの願いが叶う信心と言うのでしょうかね
私どもは自らを喜ばせようとする
喜ぶ為の 為に信心をすると言う信心から
神様に喜んでもらう為の信心
と言う信心が有りますね
それこそ自らの為に 自らが喜ぶ 自らが有難くなる
いわゆるおかげを受けると言う事でしょうね
その為の信心から それこそ親に喜んでもらいたい
言わば親孝行ですね 親孝行の信心
親に喜んでもらいたい
神様に喜んでもらいたい と思うてする信心
その親孝行の信心 神様孝行 神様に喜んでもらいたいと言う信心に
やはり私どもの心が育って行かなければなりませんね
ではその神様が喜んで下さる事は
どうしたら神様が喜んで下さるだろうか
と言う事をやはり追求して行かねばならないと思います
中々どうあったら神様が喜んで下さるのだろうかと
具体的にどうすれば良いのかと問われると
一寸返答が出来ない事が有りますね
教祖様の御理解の中に 昨日でしたか
寄進勧化をしては神は喜ばぬと
あるいは氏子がおかげを落としては 神は喜ばぬと
神は喜ばぬ
と言う表現が幾つか有りますね
また中には おかげを受けてくれれば神も喜び 氏子も喜び
金光大神も喜びじゃと言われる様な
おかげを受けてくれれば神も喜びだと 言う御理解も有りますね
その概してどうある事が神様が喜んで下さる事になるのか
その親孝行の信心 神様孝行の信心
神様に喜んで頂く信心をさせて頂こうと言う事になりますね
と もう一つ師匠大坪総一郎師が教えて下さる
それこそ願いの信心が最高峰と教えて下さいます
その願いの信心と申しても
どう言う願いをするのが最高峰なのかと言う事になりますね
私どもの我情我欲による所の 身欲身勝手による所の願い
それを願うのが最高峰なのかと
そうとは思えませんね
我情を鎮め 我欲をコントロールするとも教えて下さいますから
私どもがその私利私欲による願い
その願いが最高峰の願いとは思えませんね
ではその最高峰と言われる願いとは何か
それはやはり私どもが喜ぶ為
自分自身を喜ばせる為の願いではなく
尤もそれが自分自身の喜びとなれば別ですけれども
神様に喜んで頂きたいと言う願い
親に喜んで頂きたいと言う願い
これがやはり最高峰の中のまた最高峰の願い
と言うのではないでしょうかね
神様に喜んで頂きたいと願う信心
その神様に喜んで頂きたいとの願い
神様が喜んで下さる事
それをまた私どもの願いとさして頂く
こうなればそれこそ最高峰の中のまた最高峰の願い
と言う事になるのではないでしょうかね
それこそ様々な願いが有ります
世界真の平和を願う 和らぎ賀ぶ和賀心を頂きたいと願う
和賀心を頂きたいと言う願いは
私の身の上に 私の心の上に頂くおかげですから
これはやはり自分の為の願いの様な感じが致しますね
そこをもう一つ越えて
神様が喜んで下さる事を願う信心と言う事になりますね
では神様が喜んで下さると言うのは
どう言う事だろうかと
私が喜ぶ 私どもが喜ぶのは やはり私どもの願いが叶った時
あるいは願い以上 思い以上になった時に喜びますね
とすれば 神様も神様の願いが叶った時
あるいは神様の願いが 神様の願い 思い以上の事になって来た時
神様が喜んで下さる
と言うのではないでしょうかね
と言う事は 神様に喜んで頂くと言う事は
神様の願いが叶う 神様の願いが成就する
その時に神様がやっぱり一番喜んで下さる
と言う事になりますね
神様に喜んで頂く信心
それは神様の願いが叶う 成就する事だと言う事になりますね
ですから神様に喜んでもらいたい と思うならば
神様の願いが成就する様に その事の為の信心をさせて頂こうと
またその事の為の私であろう
と言う事になりますね
では具体的に何か もう一つ有りますね
成行きを大切にすると言う事です
今までは自分の為に 自分に好都合に成る様に
自分の為に 私にかけられた神様の願いが成就する為に
と言う成行きを尊ぶと言う事でした
これは自分の為の成行きと言う事かもしれませんね
そこから更に 神様が私にかけられた願い
それが成就するならば そこに喜ばれるのは神様ですね
神様が一番喜んで下さる事
それは私にかけられた願いが成就する事だと言う事になりますね
ですから今までは自分の為の成行きとして尊んで来た
これが 神様に喜んで頂く為に その成行きを大切に尊ぶ
と言う事になりますね 神様に喜んで頂く為の信心
最も手近な信心 それは成行きを大切に尊ぶ
それが神様が喜んで下さる信心だと
言う事にもなりますね
どうでも親様に喜んで頂く親孝行の信心
神様に喜んで頂く言わば神様孝行の信心
それは神様が喜ばれる事 それは神様の願いが成就する事
その為の行いと言うのでしょうかね
神様の喜んで下さる 神様の願いが成就する為
その事に取り組ませて頂く
神様のお喜びの為に
成行きを尊ばせて頂こうと言う信心
同じ成行きを尊ぶでも その私どもの心根が違いますから
やはり神様への通い方がまた違って来る と言う事ですね
神様が喜んで下さる事を願う信心 そう言う願いの信心が
やはり最高峰の中でも最高峰だと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿