今日も和賀心学 (2022-06-28)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
最大多数の最大幸福と言う考え方が有る様ですが、そこにはその幸福から漏れる人も居る事になります。このお道は、一人も欠ける事無く全員の人が幸福になる道だと思います。今朝はその一人も欠ける事無く幸福になれる道は一人一人が土の心を身に着ける事だと頂きました。万人幸福への道、それは土の心です。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 397頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第68節
神参りをするに 雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ
その辛抱こそ 身に徳を受ける修行じゃ
いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても
心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ
拍手も 無理に大きな音をさせるにはおよばぬ
小さい音でも神には聞こえる
拝むにも 大声をしたり 節をつけたりせんでも
人にものを言うとおりに拝め
三代金光さまのおことばに
神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます とあります
信心辛抱させて頂く内に
三代さまの又のおことばの中にありますように
ほしいものも 考える事も いつの間にか無くなりましてなあ
有難うて有難うてならぬようになり
なんぼう御礼を申しても 足りませんのじゃ
御礼の足りませぬお詫びばかりしております
というお徳に進まれておられます
はじめの間は泣く泣く辛抱しいしい とも仰せられて居ります
とかく信心辛抱こそ すべての徳の根本になるものであります
人生の上におきてくる雨風の上にもまた同じことであります
私どもが幸せになる 人間が幸せになる
そのどうあったら人間が幸せになるのだろうか
幸せになる為の条件とでも言うのでしょうかね
一番先ず考えられる事は 私どもの願い事が叶うと言う事でしょうかね
信心をさせて頂く やはり何かしら願い事が有るから
信心をさせて頂こうとするものだと思いますけれども
その私どもの願い事が叶う 確かに有難いものですね
そこに嬉しいものです
しかしよくよく考えてみますと 私が願う事が成就する
そうすると 誰かの願いが叶わないと言う事にもなりますね
その万人の願いが叶うと言う事は
中々難しい事ですね
よく最大人数の最大の幸福ですか
を求めると言う様な事を言われますけれども
その万人の幸福ではないですね
いわゆる人間が考える事と言うのはですね
最大の数の幸福と言う事ですから 中には人の幸せの為に
ある意味いわゆる犠牲と言われる様な人達も出て来るのではないでしょうかね
最大多数の幸福を求めるのが人間社会の様ですね
万人の幸福 全員の幸福を求めてのものではない
そこには必ず
その最大多数の幸福から外れる人も出て来る訳ですね
信心をする 信心をさせて頂く者として
これでは やはり片手落ちと言うのか いけませんね
その誰でもが 万人が幸せになるものでなければならない
しかし人間社会は中々そこが難しい
それこそ大学 ある大学が有る
そこに行きたい
しかし定員が有る訳ですから
誰でも彼でもが行けると言う訳では有りませんね
50人なら 50人 100人なら 100人
しかし希望する人が 200人 300人居るとすれば
そこに合格出来るのは数が決められている訳ですから
不合格になった人達は 自分の願い事が叶わないと言う事になります
それで有難くはなれない訳ですね
幸せだとは思えない 寧ろ不幸だと
あれ程これ程勉強したのにと
不幸な思いになるのかもしれませんね
宗教と言うのでしょうかね
信心が求めるものは 最大多数の幸福ではない
全員の幸福 一人も漏らす事なく全員が幸福になる道を
求めるものでなければならないと思うのですね
そこが信心する者の いわゆる宗教家と言うのでしょうかね
の求める世界と
政治家の人達や いわゆる社会のその哲学者と言うのでしょうか
そう言う人達が求める世界とは明らかに違いがそこに有りますね
一人も欠くる事なく全員の人々の幸せを求める
ではそう言う事が可能なのだろうかと
どうあったら誰でもが幸せになれる世界が有るのだろうかと
そう言う様な事を今朝の心中祈念の時に思わせて頂いて居りましたら
その誰でもが幸せになる
その為にはどうあったら良いのか
それは土の心を身に着ける事だと
師匠が教えて下さるその土の心
土の心を身に着けるところに
誰でもが 万人が一人残らず幸せになる事が出来ると
ですからこれは ある意味土の心を身に着けない限り
全員が幸せになると言う事は難しいのかもしれませんね
人間社会で その人間世界で 人間の頭の中で考えるだけの世界では
誰かが幸せになれない様な 取りこぼしが出来てしまう
誰でもが幸せになる その為には
一人一人が土の心を身に着ける
これ以外ないのだと それ以外ないと言ってしまえばいけませんね
他にも有るのかもしれません
しかし今私どもが習って来たものの一つ
その土の心を身に着ける事が一番手近に有るものの様に思いますね
他にも有るのかもしれませんけれども
師匠が教えて下さる土の心を
いわゆる私どもの身の上に起きて来る事柄を
それこそ大地が黙って受けて
それを根肥やしとする 私どもの心を肥やす肥やしとする
そう言う土の心を身に着けること
これが世界中の人が
一人も残さず幸せになる為の一番の近道だと言う事なのですね
どうでも最大多数の幸福を求めるのではなく
一人残らず幸福になる道を求める
それには一人一人が
土の心を身に着ける事だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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