2022年6月25日土曜日

日々の生活の中に神様の御働きを実感する (2022-06-25)

 今日も和賀心学 (2022-06-25)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は心中祈念の時、自動車の4つのタイヤが外された状態で置かれている情景を頂いた。師匠大坪総一郎師は自動車のお知らせは御神徳の事と教えて下さる。タイヤが無ければ役に立たない。足が地に着いた信心が肝要と感じさせて頂いた。日々の生活の中に神様の御働きを頂いている事を実感する今が基本。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 388頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第65




日柄方位は見るにおよばぬ

普請作事は 使い勝手のよいのが よい家相じゃ




よい日柄というは 空に雲のない ほんぞらぬくい

自分に都合のよい日が よい日柄じゃ




いかに暦を見て天赦日じゃと言うても

雨風が強うては 今日は不祥のお天気じゃと言うではないか




日のお照らしなさる日に

良い悪いはないと思え




事をなすに当たって よきことを願い悪しき事のなきように祈る心が

日柄になり方位になるのである




悪しきを言わず思わず行わず 心は常に安らかなり

その上 天地の道理を知れば 千人力なり




迷いは失せて常時が天赦日なり

なるほど 自分に都合のよい日が吉い日柄じゃ と悟るべし




天地の道理を知れば 千人力なり と

天地の道理を知れば千人力だと師匠は教えて下さいます




その天地の道理とは何だろうか

と思いますね




天地の道理を知ればと言われるのですから

その知らなければならないと言う事になりますけれども




さあ何が天地の道理だろうかと 分かりませんね

言われれば何となく分かりますけれども




具体的に一つ一つ

その何が天地の道理なのだろうかと思います




今朝は心中祈念の時に

不思議な情景を頂きました




それは自動車ですね 自動車が有るのですけれども

タイヤが無いのです 4つのタイヤが無くて どう言いますかね




よく自動車の修理工場などでタイヤを外して

車をそのまま何と言いましょうかね




少し持ち上げてあると言うのでしょうか

そう言う事が有りますけれども




そのいわゆる 4つのタイヤが無い車がそこに鎮座していると言うのか

そう言う情景を頂いたのですけれども




さあどう言う事だろうか

と思わせられます




何を神様は教えて下さろうとして居られるのか

何を分かれと言って居られるのだろうかと




それで私が感じましたのは




自動車にとってタイヤが無ければ動きません

自動車としての役に立たない訳ですけれども




その何と言いますかね タイヤが地に着いていないと言うのか

そのいわゆる地に着いた生活とか 足を地に着けて歩くとか




なんかそう言う事を言いますね

言わばその信心が地に着いていないと言うのでしょうかね




師匠は車のお知らせは御神徳 御徳の事だと教えて下さいます

なる程車と言うものが有る 御神徳が有る




しかしその御神徳が有っても

それが地に着いていないと言うのか




使われていないと言うのか

なる程物入れ位にはなるかもしれませんけれども




物を運ぶ それこそ人を運ぶ

いわゆるそう言う何と言いますかね




人が助かると言う事には中々御神徳が 折角頂いた御神徳

或いは借り物だとも師匠は仰いますけれども




それが役に立っていないと言う事になりますね

その頂く御神徳 借り物の御神徳を正しく使う為には




やはり足が地に着いた運行と言うのでしょうかね

足が地に着いた精進と言うのでしょうかね




それがなければ その車を走らせる事は出来ませんね

タイヤを付けて 言わば足を地に着けて そして動き出す




と言うのではないかと思うのですね




いわゆる信心と言っても 何かその絵に描いた餅であったり

飾り物の信心と言うのでしょうかね




そう言うものではなく

もっと日々の日常生活に密着した信心と言うのでしょうかね




おかげは和賀心にあり と教えて下さるから

その和賀心を目指そうとする と言った様な




その何かしら絵空事の様な信心では 足が地に着いてない

言わば理想論だけを語るだけでは駄目だと言う事ですね




足が地に着いた信心 それはやっぱり今 今日のおかげを

神様の御働きを頂きながら信心を進めて行くと言うのでしょうかね




今日一日のおかげを頂く

これが先ず大切だと言う事になりますね




その今日一日のおかげを頂く

それは勿論私どもが神様と仲良うして 神様から頂く




神様に御守護を頂いてのに日々である 今日であると言う事を

これはやっぱり実感する日々でなければならない 日々である




神様の御働きを実感する日々と言う事ですね

そう言う何と言いましょうかね




同行二人と言われたり その二人三脚で

神様と二人三脚で日々を過ごす と言う様な表現もされますね




そう言うやはり神様と共にある 吾 神と共にありとか

神 吾と共にありと言った様な




神様の御働きを実感しての日々を過ごさせて頂く

それが先ずは 何と言いましょうかね




足が地に着いた信心と言う

そこから始まるのではないでしょうかね




神様の御働きを 神様の御働きとして感じないなら

何も先に進まないと思いますね




やっぱり信心はなる程 教えを行じる事かもしれませんけれども

その前にまた 神様を実感として感じる 神様の御働きを感じる




それは神様が感じさせて下さるものでも有りますからね

その感じさせて下さる神様の御働きを




なる程これは神の働きだと実感させて頂く

それが先ず大切なのではないでしょうかね




それこそ それは何でも良いのだと思います

成行きの中に神様を感じる 成行きの中に神様の御働きを感じる




でも良いし

例えば今朝私が頂きました様に




これはどう言う神様のお知らせだろうかと言った様な

神様からのこれはお知らせだ




これは神様からのお夢だと言った様なものを感じての日々の生活

先ずは神様を身近に 身近に感じさせて頂く




そう言う日々であれと




そこから初めて 車が動き出すと言うのでしょうかね

足が地に着いた信心になるのではないでしょうかね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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