2022年6月21日火曜日

神様の方が氏子を喜ばせようとして下さる働きもある (2022-06-21)

 今日も和賀心学 (2022-06-21)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


色々な宗教がある、4つ足は食べてはならぬとか、アルコールは駄目、コーヒーは駄目と言う所もある様だ。このお道にはあれはならぬこれはならぬと言った戒律的なものは無い。全ては人の命の為に有難く頂くこと、むしろ神様の方が氏子を喜ばせようと寄せて下さる働きもある。過ぎない程度に頂かせて下さる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 249頁)


ビデオ: https://youtu.be/4RExI6yMfiI

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合掌

中原博信

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御理解 第19




金光大神は形がのうなったら

来てくれと言う所へ行ってやる




時間空間を問わない自由無碍の働きを現わして下さるのであるが

私共は一歩でも金光大神に近づかせて頂かねばなりません




金光大神も楽

私どももおかげの早道でもある




それには ぎりぎりの自分を発見し

そこからの出発であり 一念発起でなければなりません




四角四面の鏡の中に入れられた蝦蟇は 自分のきたなさ

あさましさに苦しみ タラリタラリと脂を流した




其の脂を練り上げたものが切傷の特効薬となる

これはガマの膏売りの口上である




私共も教えの鏡をみたら 自分のきたなさ

あさましさがうつし出されてくるのである




それが自らの発見ともなるのである




自らの発見と有ります

自らの発見ともなるのである




なる程私どもの心を改めて行く

と言うのでしょうかね




自らの汚さ 浅ましさを発見し

そこから自らの心を改まって行く




これが確かに信心の王道と言うのでしょうかね

本筋である様に思いますね




しかしそればかりでは有りませんね

その日々の改まり 信心は日々の改まりが第一だと




その為には改まるべき自分の汚さ

浅ましさに気付かねばなりません




その自らの汚さ 浅ましさ 心の小ささ

それがいわゆる難儀をする事によって気付かせて頂く訳ですけれども




その では四六時中難儀な目に遭っていなければならないのか

と言うとそうでは有りませんね




確かに難儀はそれこそ機縁を呼び

それによって心を磨く 改まると言う 相縁と言うのでしょうかね




教えに触れる事になる そこから改まりがなされる

しかしそれだけ聞くと何か一寸窮屈な感じも致しますね




信心とはいわゆる心を磨いて行く事だ

改まって行く事だ 自分の汚さ 浅ましさに気付く事だと




見る事 見る事 自分を見る事とも

或る先生は教えて下さいますけれども




そう言う自分の改まるべき所を見る 気付かせて頂いて改まって行く

それだけだと何か一寸窮屈な感じが致します




しかし合楽理念に説く所 と言うのでしょうか

師匠の信心にはそればかりではない




人間やはり生身を持って居りますから

その生身を持った人間としての日々の生活が有る訳です




ですからやっぱり甘いものを食べたい

美味しいものを飲みたい




或いは辛いものを食べたい 飲みたいと言うものが有りますね

そう言う人間が人間らしく と言うのでしょうかね




人間として欲するもの

それを神様がやはりそれは与えて下さるものですね




その神様が与えて下さる以上のものを

飲みたい食べたい欲しいと思うから




そこにまぁ難儀と言うのでしょうかね

困った事が起こって来るのでしょうけれども




神様が 何もかも与えられない

と言う訳では有りませんからね




ある宗教などでは あれは食べてはならんとか

これは飲んではならんとか有りますね




厳密にそれに従っている人は少ないのでしょうけれども

何か抜け道を見付けて なんですかね 般若湯とか言うのが有りますね




いわゆる抜け道を見付けて

頂く と言う様な事が人間有るのでしょうけれども




そう言う道によっては コーヒーを飲んではならんとか

コーラもいけないとか そう言う刺激物でしょうかね




それとか四つ足は駄目だとか

勿論アルコール類は駄目だとか




それはアルコールを飲み過ぎると

人間が一寸おかしくなったり致しますからね




そう言う何と言いましょうかね 人の心と言うのでしょうか

勿論肉体においても 尋常を逸してしまう様な事になる




そう言うものを食べてはならん 飲んではならんと

禁止される所は有るのかもしれません




しかしそれが度を過ぎなければ

言わばあるコントロールの下においては大丈夫な訳ですから




その神様は人間が喜ぶ為 人間が美味しい美味しいと言って

食べたり飲んだりする




そう言う事までをも取り上げようと

それはいかんと言われる神様では有りませんね




寧ろ人間を喜ばせて下さる神様でもある訳ですね




今朝はお夢の中で色々な美味しいお菓子ですか

そう言うものを頂いているところを頂きました




師匠は人間が人間らしくおかげを頂いて行けれる道だと

教えて下さいます




私どもが人間が喜ぶ そう言う美味しいと感じるものであったり

それは甘いものであったり 辛いものであったり




食べ物 飲み物そう言うものを許して下さるばかりではなく

神様の方から寄せて下さる事も有る




特に師匠はよく仰って居られましたけれども

それこそさあお茶にしようかと お茶を飲もうとする




そしたらそこに羊羹が どうぞとお供えをされると言うのか

誰かが持って来てくれると言う様な




そう言うそこに神様が一品添えて下さって

私どもを喜ばせて下さる




これなどは私どもが食べたい 飲みたいと言う

その欲を喜ばせて下さる と言う事でしょうけれどもね




しかしそれが私どもが あれが食べたい これが食べたいと

それこそ人が食べているものまでも取り上げて 自分が食べようとする




そう言う心の人に

神様がそう言う働きを下さるとは思えませんね




それこそ自ら食べたいものがあっても

食べないで辛抱をしていると言う人には




それこそ さあこれをどうぞと 神様の方が差し出して下さる

そう言う働きが有るものですね




決してあれは食べてはならぬ

これは飲んではならとぬと言う神様ではない




寧ろあれも食べてくれ これも食べてくれと 人間が喜ぶものを

神様の方が食べさせよう 飲ませようとなさる神様である




と言う事なのですね

そこにはやっぱり私どもが精進していなければなりませんね




それこそ健康の話は別として

子供が夜遅くまで一生懸命勉強している 或いは何かに打ち込んでいる




その姿を見たら親として それならばお茶の一つも

コーヒーの一つも ケーキの一つも




或いはお腹が空いているならば

お夜食の一つも作って行ってあげようと言う気になるものですね




それが健康上良いとか悪いとかはまた別の話ですけれども

神様の御働きもそう言うものだと




神様はやっぱり人間可愛い その可愛い人間に喜んで頂きたい

と言う一面が有られる神様でもあるのだと




しかしかと言って甘いものばかりを与えていたのでは

虫歯になって それこそ辛い思いをせねばならなくなる




その辺のさじ加減 ここまでは良い ここからは与えない方が良い

これは大いに食べて欲しい 飲んで欲しい




喜んで頂いて欲しいと言うものも有る訳ですね

その辺は微妙な所が有りますね




杓子定規に こっからここまでだと

線が引ける訳では有りませんけれども




神様が 私どもを喜ばせて下さろうとする神様である

と言うこと




甘いものを食べたり飲んだり

辛いものを食べたり飲んだり




それをも神様がそうやって

私どもが喜ぶ物を与えて下さる神様でもあると言う事ですね




しかしそれが過ぎるといけませんね




そう言う人間氏子を喜ばせようとして下さる

喜ばせて下さる神様でもある




いや寧ろ神様の方が 人間の喜ぶ事をしてあげたい

と願って居られる 思いで居られる神様だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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