今日も和賀心学 (2022-06-03)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
成行きを大切に尊ぶことを修行とさせて頂こう。師匠大坪総一郎師の許での信心修行は成行きを大切に尊ぶこと以外に無い。その成行きを尊ぶ動機が、自らがおかげを頂く為、私にかけられた神様の願いが成就する為、更に人様が助かられるお役に立つ為に成行きを尊ぶことを修行とさせて頂こうと育って来る。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 202頁)
ビデオ: https://youtu.be/6rXjHIixaIk
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/06-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-06-03.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解 第3節
天地金乃神と申すことは 天地の間に氏子おっておかげを知らず
神仏の宮寺 氏子の家屋敷 みな神の地所 そのわけ知らず
方角日柄ばかり見て無礼いたし
前々の巡り合わせで難を受けおる
この度 生神金光大神を差し向け
願う氏子におかげを授け 理解申して聞かせ
末々まで繁盛いたすこと 氏子ありての神
神ありての氏子 上下立つようにいたす
末々迄繁昌致す事 とありますおかげは
神と氏子の助かりにならねばなりません
天地との調和そして交流
そこからはじめて生みなされるおかげの世界が開かれます
即ち 神人共栄の世界です
究極 神の願いとされるところは ここにあるのです
神の願いが氏子の上に成り 氏子の願いが神願成就に至る時
神人交流の歓喜の世界は開かれます
神人共栄
神様と人とが共に栄える世界
それは先ずは私どもが助かり
と言うものを頂かねばなりませんけれども
その私ども自らの助かりのみならず
人様の助かり
ひいては神様の助かりをも願えれれる様な
私どもにならねばならないと言う事でもありますね
師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂く
それはもう成行きを大切にする
成行きを尊ぶと言う修行以外には無い
と言っても過言ではない訳ですよね
火の行や 水の行をする訳ではない
いや寧ろ火の行や水の行をする者は破門だとさえ言われる
そして心の行に取り組みなさいと言われる
その心の行はどこでするのか
それは成行きの中でする
成行きを尊ぶ事によって心の行をする と言う事になるのですね
今朝はあるお二人の事を
心中祈念の時に思い出させて頂きました
その一人は御道の直信先覚のある先生ですけれども
有名な方ですね
それこそ人を助ける為に御徳を頂きたい 為には
山にこもって修行をしたいと思います と教祖様にお届けされたら
教祖様が
山にこもって何をするのかと
山にこもるより日々の生活の中に
心の中に山を築きと言うのでしょうかね
心の中に山を作って そこで修行すれば良い
と言った様な御理解が有りますね
私どもはそのどうしても山にこもって修行をすると言うより
自らの心の中に山を作ってそこで修行をする
と言うその事に何か重点を置いて
聞いていた様な気が致します
そしてもう一つは或る宗教の先生ですけれども
教祖様と言うのでしょうかね
人を の助かりを願い その人が助かる事の為に
助かる為にと言って煉瓦ですかを背負って歩いたとか
人が助かる為に山の中にこもって修行をされた
とか言うお話を聞いた事が有りますが
今日そのお二方の事を頂くのですけれども そこに共通しているもの
それは人が助かる事の為に何かをなさったと 修行をされたと
人を助ける 人が助かる事の為に一修行をさせて頂こうと
行動を起こされたと言うのでしょうかね
一修行されたと言うのでしょうかね
そこが共通している訳ですね
私どもが 成行きを大切に
と師匠から教えて頂きます そのそれこそ
成行きを 尊び受ける 生き方を 学びて 永遠の命とぞせん
と教えて頂く訳ですけれども
最初の頃の頂き方と言うのは
やっぱり成行きを頂くといわゆるおかげを頂きますね
いわゆる良い事が起こって来ます 思わぬ事が
成行きを大切にしたら思わぬ良い事が起こって来ます
自分にとって良い事がですね ですから先ず最初は
それこそ成行きを尊ぶ大切にすると言う事が
自分の身にとって良い事が起こって来る
良い事になるから成行きを尊ぶと言う時代が有りますね
そしてまたその次には
私にかけられた神様の願いが成就する為に
言わばそれは目先に於いては自分にとって良い事が起こって来るか
悪い事が起こって来るかは分からないけれども
とにかく自分にかけられた神様の願いが成就する事の為に
と少しまた心が変わりますね
成行きを尊ぶ上においての 私どもの取り組み方が
心根が少し変わって来た訳ですね
最初は明らかに自分の為に成行きを尊ぶ
次は神様の願いが成就する事の為に成行きを尊ぶ
と変わって来た訳ですね
そして今日頂きますのは 3つ目の段階と言うのでしょうかね
それは人が助かる と言う事がポイントなのですね
人様が助かられる事の為に よしその為の修行として
その成行きを頂こう 今の成行きを頂こうと言う事なのですね
何の為に成行きを大切にするのか それは
人様が助かられる事の為の修行として その成行きを尊んで行こう
言わば成行きを尊ぶ 大切にすると言う事を
修行とさせて頂こう
何の為の修行か それは人様が助かられる事の為の修行
とさせて頂こうと言う事ですね
そのある宗教の先生が 人が助かる事の為に山にこもられた 或いは
煉瓦を一つ積んでは 二つ積んではと 沢山の煉瓦を背負って歩かれた
ある先生はそれこそ人が助かる為に
やっぱりこう言う修行をしようと 火の行 水の行もされた
その 人が助かる為に一修行させて頂こう
と言う事なのですね
そう言う心が 私どもの中にやはり育って来なければならない
そして師匠の許で信心の稽古をさせて頂く私どもにとっては
その 人が助かる事の為に修行をさせて頂こう
では何を修行をするのか
それはもう成行きを大切にする尊ぶ その事を
人が助かる事の為の修行とさせて頂こう と言う事になって来ますね
私どもの成行きを大切にする
その動機と言うのでしょうかね
その動機が少しずつやはり変わって来なければならない
育って来なければならないと言う事でもあろうと思いますね
それこそゆくゆくはその 人が助かる
そのお役に立つ その為に
それこそ成行きを尊ぶと言う事を修行とさせて頂こう
と言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿