今日も和賀心学 (2022-06-02)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師がある時こんな御理解を下さった事がある。神様からお知らせを頂いたと。師匠が道を歩いて居ると道にネジの様な物が落ちている、少し行くとゼンマイの様な物が、今度はレンズの様な物が、それらを一つ一つ拾って行って組み立てたら懐中電灯が出来た、そして明かりが点いたと。そこに神様の願いが成就する。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 325頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第44節
狐狸でさえ
神にまつられることを喜ぶというではないか
人は万物の霊長なれば 死したる後
神にまつられ 神になることを楽しみに信心せよ
教祖は
この世で神にならずして あの世で神になれるか と教えています
神になるとは 霊長としての値打ちを発揮することです
我情我欲をはなれることです
そこには霊徳 神徳が渾然として一つになる世界があります
いわゆる 神徳の中に生かされてあり の実感です
死したる後 神にまつられる
ということは
吾が心が神に向こうて行くことを楽しみに
生涯かけて精進して行くことをいうのです
死したる後 神にまつられる
大体世の人々が 神に祀ると言うのは
その人がいわゆる普通では考えられない様な
不思議な働きを現してくれる
そこで神と崇めると言うのでしょうかね
そう言う事になるのでしょうね
神に祀られる事の一つの条件
それはやっぱり霊徳も必要な様に思いますね
ある時の師匠の御理解に
霊徳がやはり要ると
そしてその特にアメリカでの布教は
先ず霊徳をもってしなければならない
しなければならないと言うのか
霊徳をもって人が興味を示し 寄って来ると
そしてそこに本当のいわゆる真の道を説いて行くのだと
言う様な事を仰って居られましたね
そのやはりそこに人が助かると言うところに
神にも祀られる それこそ我が心を祀ると言う世界から
その人様にも祀ってもらう 人様にも神として祀ってもらう
もらえれれる様な働きをも現して行くと言う事ですね
その為には それこそ世の光ともならねばならない
と言う訳ですけれども
世の光となる為にはどうしたら良いのか
と言う事になりますね
ただ世の光ともなろうと言うだけでは
世界真の平和を祈ろうと言うだけではいけませんからね
それこそ掛け声だけで 掛け声をかけるだけで
持ち上げると言う事をしていない事になります
師匠大坪総一郎師の素晴らしい所
それは勿論 世の光ともなろうと唱えられ
そしてそのどうしたら世の光になれるかと言う
その手立てを詳らかにされた
人が助かって行く為の
或いは神様のお役に立つ為のその手立てと言うものを
どうしたらそうなれるかと言う具体的な手立てを
詳らかに教えて下さったのが師匠だと言う事ですね
和賀心になろう 和賀心を目指そうと言う事は言いますけれども
天地日月の心を身に着けようと言いますけれども
ではどうやったらその天地日月の心を身に着けるのか
天の心とは 地の心とは 日月の心とは何なのか
どう言う道を辿ったら和賀心が身に着くのか
それを具体的にその手立てを教えて下さった
それが師匠大坪総一郎師の独壇場だと思いますね
今朝は師匠が教えて下さった 御理解頂いた事を
もう一つ思い出させて頂いたのですけれども
それは師匠が
これは神様から頂いたと仰って居られましたが
お夢だろうか お知らせだろうか
いずれにしろ神様から頂かれた事だとして
師匠が道を歩いておると そこに何かネジの様な物が落ちておったと
またも少し行くとレンズの様な物も落ちておった
また何かゼンマイの様な物が落ちておったり
色んな物が落ちておったと
筒の様な物であったり 電球の球の様な物であったり
懐中電灯の様な物であったり スイッチの様な物であったり
何かしら訳は分からんけれども色んな物が落ちておったと
そしてそれを一つずつを拾い集めて行ったと
で その最後にその全部を組み立てたら懐中電灯になったと
で スイッチをひねったら明かり点いた
そう言うお知らせを頂いた事が有ると
御理解下さったのですけれども
正にこれは一つ一つの起こって来る 身の上に起きて来る成行きを
一つ一つ大切にして行く 拾い集めて行く
やっぱり頂いて行かねばならないと言う事でしょうね
その事を拾い集めて行くのですから
我が身に頂いて行く
そしたらその先には明かり 光ですね
懐中電灯の光となった
光となって懐中電灯の灯が点いたと言う訳です
光が点いた 言わば世を照らす光ともなった なる
と言う事だと思いますね
その私どもの身の上に起きて来るその成行きを
一つ一つをそれこそ頂いて行く その事が光ともなるのだと
それこそ神様の願いが成就して それが人を助ける明かりともなる
光ともなると言う事なのですね
ですからそれこそ 世を救うと言うのでしょうかね
その人を助ける光ともなる為には
先ずは我が身の上に起きて来る成行き一つ一つを大切にして行くと言う
もしその道を歩いている道中で
こんなもんは要らないだろ なんか屑だろう
なんでこんな所にゼンマイが有るんだ
なんでこんなとこにネジが有るのか
こんな物は役に立たないからもう拾わなくていいと 捨てて良いと
もっとお金になる様な それこそダイヤモンドが落ちていたり
金が落ちていたら拾うだろうけれども
見すぼらしいネジやゼンマイが落ちていても
そんな物は役にも立たない 一銭にもならない
と もし拾わなかったら
最終的に光は点かない訳ですからね
なる程そこに最初からダイヤモンドであったり
お金であったり 金が落ちていれば誰でも拾う事でしょう
しかし神様の御働きはそうではないと言う訳ですね
こんなもの役に立つだろうか こんな物は何にもならんだろう
と言う様なものが そこに道に落ちている
それを丁寧に拾い集めて行って初めて
神様の願いが成就する
もうこんな物は要らないだろ
こんなのが何に役に立つのだろうと言う様なものを
目の前にそれが現れたならば
それを一つ一つ拾い集めて行く
そこに初めて世の光ともなる 明かりでしょうかね
世の光ともなる事が出来る
言わば神様の願いが成就する
と言う事になるのでしょうね
ですからその道中において
その部品の一つでも拾わなかったら 拾い損ねたら
こんな物は要らないだろうと言ってうっちゃって置いたら
どこまで行っても明かりは点かない と言う事になりますね
ゴールまで辿り着いたとしても 部品が一つ欠けておったら
その懐中電灯は光が点かない訳ですからね
ある意味恐ろしい事でも有りますね
どんなに成行き大切にしていると言っても
一つでも欠けたら点かないぞ
と言うお知らせでもあろうかと思いますね
そしてまたその一つ一つを大切にして行けば
世の光ともなる事が出来るぞ と言う事でも有りましょうね
良くも悪くも両方の意味合いが込められた
お知らせだと思いますね
世の人々から神に祀られると言う様な
神の働きを現す 人を助ける光ともなる
その為には その身の上に起きて来る一つ一つの成行きを
やはり大切に頂いて行かなければならない
そうでなければ
神様の願いもまた成就しない
それこそ 100の部品が有るなら 99を拾い集めても
あと一つが無ければ
スイッチを忘れたら ネジの一つを忘れたら
明かりは点かない訳ですからね
やはり心して一つ一つを
大切にさせて頂かねばなりませんね
そしてそこに初めて世の光ともなる
神様の願いも成就すると言う事になる訳ですからね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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