2022年6月14日火曜日

このお道は和賀心の追求と言えよう (2022-06-14)

 今日も和賀心学 (2022-06-14)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


このお道は和賀心の追求と言えよう。師匠大坪総一郎師は、和らぎたい心、賀びたい心は生命の欲求と教えて下さる。人様がとても賀べない様な難儀の中にも賀びを見い出そうとするのである。師匠は合楽理念の目玉商品は人間が人間らしくとも教えて下さる。美味しい物を食べる喜び、そう言う賀びもある。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 237頁)


ビデオ: https://youtu.be/3hzR5-bRr6Y

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/06-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-06-14.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解 第15




氏子が真から用いるのは神もひれいじゃが

寄進勧化をして氏子を痛めては 神は喜ばぬぞ




真心から御用させて頂く(用いる)と神のヒレイが

どの様に氏子の上にひびいて来るかを




今日 親教会の月次祭に参拝させて頂いて 親先生の御説教の中に

久留米教会の総代内田さんのことを聞かせて頂きました




毎日の御献費は自身の健康(血圧が非常に高い)の為 商売繁昌の為

それに次の記念祭を目標に相当額のお供えがある




もしその額が出来ぬと

其の日の食事を細めて其の事に打ち込まれる




最近ではあちこちの教会に請われて お話しに回られる

大祭等の時は前日から親子で お店を休業して御用を頂かれる




御本部には 月参りが幾十年とつづいている

勿論 商売は大繁昌のおかげを頂いておられる




最後に内田さんのお年をきいて いよいよ感動いたしました

あのように若々しくしておられますが 74歳になられるとのこと




これこそ真から用えていられるしるしだと思いました

私共の御用の内容を もう一度たしかめてみる必要があります




御用をさせて頂く その御用をさせて頂くにも色々有る様ですね

信心は御用からとも申される様ですが




その御用 おかげを頂く為の御用も有れば

御礼の御用と言うのも有るのでしょう




それが それこそ喜びをもっての御用となったら

尚更有難い事ですね




私どもが信心をさせて頂く

それはやはり和らぎ賀ぶ和賀心の追求だと思いますね




和賀心の追求 和らぎ賀ぶ心の追求それは

心がどう言う中にあっても 賀んで居れる心を作る




どう言う中にあっても和らいで居れる心を作る

作ると言うのか 求めると言うのか




その和らぐ心 賀ぶ心を求めるのが

やはりこの御道の信心だと思いますね




教祖様が それこそおかげは和賀心にありとお示し下された

そこを目指せよと言う事ですね




その和らぐ心 賀ぶ心 やはりこの賀びの追求と言う事が大切だと

今朝は思わせて頂きました




喜びと言うものにはやはり色々な喜びが有りますね

美味しいものを食べて喜ぶ




それこそ願い事が叶った時の喜び

思わぬものを頂いた時の喜び




或いは何か目標を定めて頑張って

そこに達成した時の喜び




スポーツならスポーツで これは汗をかいた時の爽快さと

言うのでしょうか 喜びと言うのでしょうか




その何か美味しいものを食べた時の喜びに通ずる様な

いわゆる体が喜ぶ スポーツをしてひと汗かいて喜ぶと言う様な




その喜びと言うものにも 心の喜びと 体の喜び とまた

その少なくとも 2つは有る様に思いますね




欲にも精神的な欲も有れば

肉体的な欲も有ります




その私どもが精神的に欲するもの または肉体的に欲するもの

それが満たされる 与えられた時の喜び と言うものが有りますね




そのいずれもがやはり賀びを追求する

と言う事は大切であると思いますね




しかしそれが人の喜びを害してまで 自らの喜びを得ようとする

そこに問題が起きて来る訳ですね




お金が欲しい なる程それが

許されて得られるお金であるならば良いのでしょうけれども




人様の 人様に害を与えてまでそのお金を得ようとする

人様に害を与えてまでお金を得る事に喜びを感じる




これではいけませんね




それこそ神様から許されての事である 神様から許されての願いが叶う

そこに喜びを感じると言う賀びであるならば有難い事ですね




賀びの追求 それは心の上においての賀びであり

体の上においての賀びである




その両方の賀び これが生身を持つ人間としての

何と言いましょうかね




人間らしく生きると言うのでしょうかね

そう言う事に繋がると思いますね




実は今朝は師匠が合楽理念の目玉商品は何かと問われて

修行生の先生にですね




そして師匠が答えられたのが

合楽の目玉商品は 人間が人間らしく生きると言う事だ




そう言う人間が人間らしく生きながら

それこそ生神に還って行くと言うのでしょうかね




生神への精進が出来る させて頂く

これが合楽の目玉商品だと




先ずは人間が人間らしく生きると言う事だと

生きると言うか 生きさせて頂く




人間が人間らしく生きさせて頂く

そして信心を進めて行く 行けれる




これが合楽の目玉商品だと

御理解下さった事が有りますね




人間が人間らしくと言う事は そう言うその

心の上にも賀びを求め 体の上にも賀びを求めて行く




美味しいものを頂き 美味しいものを飲み

と言う様な事でもあろうと思いますね




何もあれを食べてはならん これを食べてはならん 飲んではならん

と言った様な戒律的な教のある宗教も有りますけれども




そうではないのだと




人間がそれこそ喜ぶもの 心が喜ぶもの 体が喜ぶもの

それらを頂きながら しかしそれが過ぎてはいけませんね




人の喜びを奪ってまで 人に害を与えてまで

自分が喜ぼうとする 自分の喜びのみを感じての行ない




これは戒められるものですけれども

それこそそれが共に喜び合えるならば有難い事ですね




中でもその喜びが

ただ自分の願いが叶う事の喜びから




そこから更に とても普通では喜べない

それこそ普通では難儀だと悲しんだり 何と言いましょうかね




悔しんがり 妬んだり 様々な

そのとても喜べない事柄に出会った時にでも その事を喜びで頂けれる




言わば人様がとても有難くなれない 人様がとても喜べない

と言う中にでも有難さを見い出して行く 喜びを感じて行く




そう言う信心を目指す

と言う事ではないでしょうかね




和らぎ賀ぶ和賀心の追求

これがこの御道の信心だと言う事でも有りますね




それは勿論喜べる時に賀ぶと言う信心でもあり

人様がとても喜べないと言う様な中にも賀びを見い出して行く




言わば一切を賀びで受けて行く

受けて行けれる様に稽古をすると言う事でも有りますね




どちらかと言うと 人様が喜べない所を賀ぼうとする

そこに焦点が置かれるあまり




喜べる所を 普通に喜べる所を

普通に賀ぶと言う事が少しボケる事が有りますね




喜べる事には喜んだ上に賀び

喜べないと思う様な事の中にも賀びを見い出して行く




そう言う和らぎ賀ぶ和賀心の追求をさせて頂く

と言う事ではないでしょうかね




人間が人間らしく生神への道を辿って行くのが

この御道だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿