今日も和賀心学 (2022-06-14)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
このお道は和賀心の追求と言えよう。師匠大坪総一郎師は、和らぎたい心、賀びたい心は生命の欲求と教えて下さる。人様がとても賀べない様な難儀の中にも賀びを見い出そうとするのである。師匠は合楽理念の目玉商品は人間が人間らしくとも教えて下さる。美味しい物を食べる喜び、そう言う賀びもある。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 237頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第15節
氏子が真から用いるのは神もひれいじゃが
寄進勧化をして氏子を痛めては 神は喜ばぬぞ
真心から御用させて頂く(用いる)と神のヒレイが
どの様に氏子の上にひびいて来るかを
今日 親教会の月次祭に参拝させて頂いて 親先生の御説教の中に
久留米教会の総代内田さんのことを聞かせて頂きました
毎日の御献費は自身の健康(血圧が非常に高い)の為 商売繁昌の為
それに次の記念祭を目標に相当額のお供えがある
もしその額が出来ぬと
其の日の食事を細めて其の事に打ち込まれる
最近ではあちこちの教会に請われて お話しに回られる
大祭等の時は前日から親子で お店を休業して御用を頂かれる
御本部には 月参りが幾十年とつづいている
勿論 商売は大繁昌のおかげを頂いておられる
最後に内田さんのお年をきいて いよいよ感動いたしました
あのように若々しくしておられますが 74歳になられるとのこと
これこそ真から用えていられるしるしだと思いました
私共の御用の内容を もう一度たしかめてみる必要があります
御用をさせて頂く その御用をさせて頂くにも色々有る様ですね
信心は御用からとも申される様ですが
その御用 おかげを頂く為の御用も有れば
御礼の御用と言うのも有るのでしょう
それが それこそ喜びをもっての御用となったら
尚更有難い事ですね
私どもが信心をさせて頂く
それはやはり和らぎ賀ぶ和賀心の追求だと思いますね
和賀心の追求 和らぎ賀ぶ心の追求それは
心がどう言う中にあっても 賀んで居れる心を作る
どう言う中にあっても和らいで居れる心を作る
作ると言うのか 求めると言うのか
その和らぐ心 賀ぶ心を求めるのが
やはりこの御道の信心だと思いますね
教祖様が それこそおかげは和賀心にありとお示し下された
そこを目指せよと言う事ですね
その和らぐ心 賀ぶ心 やはりこの賀びの追求と言う事が大切だと
今朝は思わせて頂きました
喜びと言うものにはやはり色々な喜びが有りますね
美味しいものを食べて喜ぶ
それこそ願い事が叶った時の喜び
思わぬものを頂いた時の喜び
或いは何か目標を定めて頑張って
そこに達成した時の喜び
スポーツならスポーツで これは汗をかいた時の爽快さと
言うのでしょうか 喜びと言うのでしょうか
その何か美味しいものを食べた時の喜びに通ずる様な
いわゆる体が喜ぶ スポーツをしてひと汗かいて喜ぶと言う様な
その喜びと言うものにも 心の喜びと 体の喜び とまた
その少なくとも 2つは有る様に思いますね
欲にも精神的な欲も有れば
肉体的な欲も有ります
その私どもが精神的に欲するもの または肉体的に欲するもの
それが満たされる 与えられた時の喜び と言うものが有りますね
そのいずれもがやはり賀びを追求する
と言う事は大切であると思いますね
しかしそれが人の喜びを害してまで 自らの喜びを得ようとする
そこに問題が起きて来る訳ですね
お金が欲しい なる程それが
許されて得られるお金であるならば良いのでしょうけれども
人様の 人様に害を与えてまでそのお金を得ようとする
人様に害を与えてまでお金を得る事に喜びを感じる
これではいけませんね
それこそ神様から許されての事である 神様から許されての願いが叶う
そこに喜びを感じると言う賀びであるならば有難い事ですね
賀びの追求 それは心の上においての賀びであり
体の上においての賀びである
その両方の賀び これが生身を持つ人間としての
何と言いましょうかね
人間らしく生きると言うのでしょうかね
そう言う事に繋がると思いますね
実は今朝は師匠が合楽理念の目玉商品は何かと問われて
修行生の先生にですね
そして師匠が答えられたのが
合楽の目玉商品は 人間が人間らしく生きると言う事だ
そう言う人間が人間らしく生きながら
それこそ生神に還って行くと言うのでしょうかね
生神への精進が出来る させて頂く
これが合楽の目玉商品だと
先ずは人間が人間らしく生きると言う事だと
生きると言うか 生きさせて頂く
人間が人間らしく生きさせて頂く
そして信心を進めて行く 行けれる
これが合楽の目玉商品だと
御理解下さった事が有りますね
人間が人間らしくと言う事は そう言うその
心の上にも賀びを求め 体の上にも賀びを求めて行く
美味しいものを頂き 美味しいものを飲み
と言う様な事でもあろうと思いますね
何もあれを食べてはならん これを食べてはならん 飲んではならん
と言った様な戒律的な教のある宗教も有りますけれども
そうではないのだと
人間がそれこそ喜ぶもの 心が喜ぶもの 体が喜ぶもの
それらを頂きながら しかしそれが過ぎてはいけませんね
人の喜びを奪ってまで 人に害を与えてまで
自分が喜ぼうとする 自分の喜びのみを感じての行ない
これは戒められるものですけれども
それこそそれが共に喜び合えるならば有難い事ですね
中でもその喜びが
ただ自分の願いが叶う事の喜びから
そこから更に とても普通では喜べない
それこそ普通では難儀だと悲しんだり 何と言いましょうかね
悔しんがり 妬んだり 様々な
そのとても喜べない事柄に出会った時にでも その事を喜びで頂けれる
言わば人様がとても有難くなれない 人様がとても喜べない
と言う中にでも有難さを見い出して行く 喜びを感じて行く
そう言う信心を目指す
と言う事ではないでしょうかね
和らぎ賀ぶ和賀心の追求
これがこの御道の信心だと言う事でも有りますね
それは勿論喜べる時に賀ぶと言う信心でもあり
人様がとても喜べないと言う様な中にも賀びを見い出して行く
言わば一切を賀びで受けて行く
受けて行けれる様に稽古をすると言う事でも有りますね
どちらかと言うと 人様が喜べない所を賀ぼうとする
そこに焦点が置かれるあまり
喜べる所を 普通に喜べる所を
普通に賀ぶと言う事が少しボケる事が有りますね
喜べる事には喜んだ上に賀び
喜べないと思う様な事の中にも賀びを見い出して行く
そう言う和らぎ賀ぶ和賀心の追求をさせて頂く
と言う事ではないでしょうかね
人間が人間らしく生神への道を辿って行くのが
この御道だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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