2022年10月31日月曜日

頭で分かり、心で練り、体で行じる (2022-10-31)

 今日も和賀心学 (2022-10-31)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


「おかげの泉」これは毎月発行されていた小冊子で、師匠大坪総一郎師の御理解が載っています。師匠が世の人々にどうでも頂いてもらいたいと願われ、祈りの込められた御理解です。病人さんの枕元でめくるだけでもおかげが有ります。裏表紙に少なくとも10遍はお読み下さいと有ります、10回はお聞き下さい。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 353頁)


ビデオ: https://youtu.be/SQnLpS71wM4

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-31.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第53節




信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い

知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ




後で考えて、あれもおかげであった、

これもおかげであったということがわかるようになる




そうなれば本当の信者じゃ




『一切神愛論』から頂けば、

あれもおかげこれもおかげとわかりますが、




どれ程の深さ重さをもっておかげを実感できるかということに、

限りない信心の精進が求められる所以です




一切神愛論から頂けば、と師匠が仰って居られますね、

この一切神愛論を先ずはマスターしなければならない、と




それがいわゆる自分の血、肉になると言う意味でのマスター、

これは中々難しい、年数もかかる事でしょう、




先ずはその一切神愛論の内容のお話、御教えを頂く、

いわゆる頭で分かる、と言う事ですね、




師匠が良く、頭で分かり、心で練り、体で行じる、

と言う様な事を仰って居られた様に思います、




先ずは頭で分かる、と言う事が大切ですね、

そしてそれを心で練り上げる、




そして体で行じる、この頭と心と体が、

この 3つを総動員すると言うのでしょうかね、




そしてマスターする、と言う事になるのでしょうけれども、

先ずその第一番目の、頭で分かる、と言うそこの話ですけれども、




今日は一寸宣伝になると思いますが、やっと、と言いましょうかね、

ようやくと言いましょうか、素材はもう有ったのですけれども、




私の中の心が動かなかった、

それがやっとある成行きを通して心が動いた、




そして師匠の「おかげの泉」の第 1号から第 160号までの

素材が有ったのですけれども、




それを皆さんに聞いて頂けれる様に、

整理させて頂いたと言うのでしょうかね、




どれにでも簡単にアクセスが出来れる様に、

オーガナイズさせて頂いたと言うのでしょうかね、




よくどう表現していいのか分かりませんけれども、

そして誰にでも聞いて頂けれる様に、出来させて頂いた、




この師匠の御教話、お話と言うのでしょうか、

それが 9000以上有ると思いますが、




その中の 200、

約 200程になるのではないかと思いますね、




世の人々が 9000のお話を聞いて頂くと言う訳には参りませんね、

17年ですか、約 20年程の間のお話が 9000以上になる訳ですけれども、




その中の約 10年程のいわゆる選りすぐられた御教え、

師匠が自ら、世の人々に是非これは分かって頂きたい、




頭ででも分かって頂きたい、と言う御教え、

10年程の間に、




毎月、昭和 45年から 1冊づつ発行された

「おかげの泉」と言う小冊子ですね、




そこには師匠の御理解だけが載っている訳ですけれども、

それを毎月発行して居られた、




それこそ是非とも世の人々に分かってもらいたい、

と言う御教えですね、




その何と言いましょうか、裏表紙と言うのでしょうかね、

だったと思いますが、




そこには、このおかげの泉と言うその小冊子を、

少なくとも10遍はお読み下さい、と書いて居られましたね、




少なくとも 10遍はお読み下さいと、それ程良く良く読んで、

熟読して理解してもらいたい、分かってもらいたい、




より真実の事を分かってもらいたい、

と言う御教えの集まりですね、




そしてまた分からない人も居られます、

病人さん、




病人さんの枕元では、

それこそ読んで聞かせる事が出来るならば、読んで聞かせて欲しい、




その読んで聞く力も、聞く力も無い人には、

そのページをパラパラと枕元でめくるだけでも良い、




そこに必ず神様の御働きが現われると言う程しに、

師匠の祈りが込められた冊子でもありますね、




そのおかげの泉、

正におかげの泉なのですね、




その本の名前と言うのでしょうか、

それに嘘、偽りが有ってはなりません、と申して居られましたから、




やはりそこには師匠の篤い、深い祈りが込められていたのだと、

思いますね、




そう言う冊子、

おかげの泉の元となった御理解の音声ですね、




中にはもうその音ですか、

音声のデータが無いものが 3つ程有りました、




それは幸い文字が有りましたので、その音声の代わりに、

文字を、文字テキストデータを置かせて頂いて居りますけれども、




その師匠が、少なくとも 10遍はお読み下さいと言われた、

申されたものですから、




その論法から言うと、これは少なくとも 10遍はお聞き下さい、

と言う事になりますね、




その一つのお話を、

少なくとも 10遍は繰り返し繰り返し聞いて下さい、




そして先ずは頭で分かって下さい、

そして心で練り上げて、体で行じて下さい、と言う事になりますね、




そのおかげの泉を

病人の枕元でパラパラとめくるだけでもおかげが現われる、




と言う程しの御教えですから、

これはもう音としてそれこそ病人の枕元で、




あるいはおさんどんをしながらでも、

車を運転しながらでも、BGM代わりにでも流す、聞かせて頂く、




そうするとそこに必ず師匠の祈りの働きが現れる、

と確信致しますね、




ですからこれはその論法から言うと、おかげの泉は冊子ですから、

日本語で書かれて居りますから、外国人の方が読む事は出来ない、




日本語を勉強すれば別でしょうけれども、しかし音ならば、

それこそ日本語が分からなくても、流して聞く事が出来る、




これは世界中の人に聞いてもらいたいものだと

思いますね、




しかし残念ながらユーチューブに載せると言う事には、

未だ出来ませんので、




せめてうち内だけでも、届く人々には届かせて頂きたい、

頂いて頂きたい、




それこそ BGM代わりでも良いから、流し続けて頂きたい、

聞き続けて頂きたい、少なくとも 10遍は聞いて頂きたい、




そこに必ず師匠の祈り、神様の御働きが現れる、

その事を確信致しますね




どうぞ、おかげの泉を

頂いて頂きたいと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年10月30日日曜日

成行きを大切に尊ぶ事が神様の御導きを頂く為のベーシック (2022-10-30)

 今日も和賀心学 (2022-10-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人が助かると言う事が先ず第一です。その助かり様にも色々有りますが、やはりお道で言う神様と私どものあいよかけよの信心生活、師匠大坪総一郎師流に言えば、神様と人間氏子が合い楽しみ拝み合う合楽世界が真の助かりの世界となります。成行きを大切に尊ぶ事が神様の御導きを頂く為のベーシックです。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 139頁)


ビデオ: https://youtu.be/6Z9Vj2rIRfo

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-30.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




打ち向かう者には負けて

時節に任せよ




実力なしには勝てぬ




負けることがわかっていて討ち向かうほどあわれなことはない

返り討ちにあうは必定だからである




負けて勝つということは、

時節到来するまでにエネルギーをたくわえて待つのである




只待っておればよいというのではない




実力なしには勝てぬと、信心の実力と言う様な事を言われますが、

信心の実力とは何だろうかと思いますね、




一つにはそれはやはり神様を信じる力、

信じ切る力と言うのでしょうかね、




信じ貫く力と言うのでしょうかね、

それだと思いますね、




私ども自分の思い通りにならなかったり、

困った事が起こって来ると、




どうして神様、こんな事がと、

神様を恨む様な事が有ります、




しかしどう言う場合にでも、

神様を信じ貫くと言う事がやっぱり大切ですね、




信心させて頂く、それはやはり私ども人間が助かる、

その助かると言う事がやはり第一でありますね、




ではその人間の助かり様にも

色々有ると思います、




それこそ自分の思い通りになって、

ああ良かった、ああ助かったと言う事も有れば、




自分の思い通りにはならないけれども、

神様の御心に触れて、また神様の御親切に触れて、そして助かる、




神様の深い御神慮が有ってのこと、思いが有っての事、

と言う事になりますね




本教的に言えば、あいよかけよで助かると言うのでしょうかね、

あいよかけよの信心生活、と言う様な事になるのでしょうけれども、




私どもが自分自身の願い事が叶う事のみに焦点を置いていたのでは、

真実の助かりは中々得られませんね




教祖様は、

あいよかけよと表現されましたが、




師匠大坪総一郎師は、

それこそ神様と私どもとが合い拝み合い、合い楽しみ合う世界、




いわゆるその合楽世界、神様と氏子との合楽世界、

そこに真実の幸福が有り、真実の助かりの世界が有ると言う事ですね、




神様と私どもとが拝み合う、

そして共に合い楽しみ合う世界、合楽世界ですね、




ではどうしたらそう言う世界に入る事が出来るのか、

先ず第一は、この神様は人間氏子を幸せにせずにはおかない、




それこそ百年、千年、万年かかってでも、或いは億年かかってでも、

人を幸せにせずにはおかんと言う一念の神様だと、




そこを先ずは信じ貫く事から始まりますね、

この神様は人間に害を与えようとなさる神様だ、




あるいは人間が苦しむのを見て喜んで居られる神様だ、

人間に意地悪をして楽しんで居られる神様だ、




と言った様な思い方であったのでは、

決して真の助かりは得られませんね、




どこまでもこの神様は人間氏子の幸せを願って居られる、

何としてでも、人々の真の助かりを願って居られる神様だと、




ここを信心貫かなければなりませんね、

いわゆる数学で言う公理と言うのでしょうかね、




ここが先ず大前提ですね、そしてそこを信心貫いた後に、

さあそして具体的に私どもが何をすれば良いのか、




師匠はその信心の根本と言うのでしょうかね、

それを、成行きを大切に尊ぶと言う事を教えて下さいましたね、




その成行きが、私どもの身の上に起こって来る事柄、

神様の御働きだと、それこそ私どもを幸せにせずにはおかんと言う、




その為には私どもの心を育てようと言う神様の御働きだと、

その成行きを土の心で受けて行く、




これが先ず何と言いましょうかね、

師匠の許で信心をさせて頂く上での基礎と言う事になりますね、




成行きを大切にしないと言う事は、

即ち神様の御働きを大切にしないと言う事ですから、




どこへ行くやら、

行き先は分かりませんね




神様が導こうとして居られるその助かりの世界に入ろうとする為には、

神様のいわゆるガイダンスに従って行かなければなりません、




その神様のお導きに従って行く、沿うて行くのが、

成行きを大切にすると言う事になりますね




ですから合楽理念、助かりの理念と言われる合楽理念で先ず第一は、

成行きを大切にする、と言う事になりますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年10月29日土曜日

人が真実助かる為には先ずは御教えの勉強が要る (2022-10-29)

 今日も和賀心学 (2022-10-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人が真実助かる為には先ずは御教えの勉強が要る。棚からぼた餅的に助かりが得られるものではない。その助かり様が凝縮されたもの、それは師匠のおかげの泉だと思う。師匠自ら選び出された御教え約200教話を活字化された。病人の枕元でパラパラとページを捲るだけで病人がおかげを頂かれたとも言われる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 337頁)


ビデオ: https://youtu.be/XV109L4FvXw

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-10-29.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第48節




わが子の病気でも、

かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ




言うことを聞かぬ時に、ままよと思うてほっておくような気になって、

信心してやれ、おかげが受けられる




安心と慢心は紙一重




『放っておくような気』と言うても、

横着であってはならず、慢心では尚更いけぬ




医者でも、自分の子供の手術が出来るようになると一人前だと

言われるように、メスをとる手に自信が出来るからである




信心も、子供の病気だけでなく、様々な難儀に直面した時、

放っておくような気で信心することが出来たら、おかげになる




一心の信心修行が出来ている時は不思議な度胸が出来て、

同じようなおかげが受けられる




本当は、わが子もなければひとの子もない境地が開ければ最高である

ここはもう、お徳をうけた者の世界である




我が子も、人の子も

同じ様に祈れると言うのでしょうかね




師匠と言えども其のやっぱり、

その我が子と、人の子と何と言いましょうかね、違いが有る様ですね、




どちらがどうあるべきなのかは

良く分かりませんけれども、




三男、幹三郎、肉腫の診断があった時、

99パーセントダメだったと、ダメだと、




そしてそれでも心は平生だったと、仰って居られますね、

我が子の病気に於いては、それこそ我が子が命が亡くなろうと、




それも神様の御働きとして

頂いて居られた訳ですね、




しかしこれが、若しこれが御信者さんの子供であったならば、

どうあっただろうか、どうであっただろうかと仰って居られますね、




我が子の病気、我が子の事ならば、

死んでもままよ、で受けられる、受けられたのですね、




けれどもこれが

御信者さんの子供さんであったならば、




その子供さんが、死んでもままよ、

と言う事だったのだろうかと思いますが、




その師匠のニュアンスには、

そうではなかっただろうと言う様な感じですね、




我が子の場合には、

もう死んでもままよ、だけれども、




人様の子供さんの場合には、おそらく必死で神様に,

その命が助かられる事を願われたのではないでしょうかね




やっぱりその辺の違いは有る様に思いますね、

そう言う例えば心の動きと言うのでしょうか、




そう言う師匠の心の動きと言った様なもの、

それをやっぱり勉強させて頂かねばなりませんね、




その為には師匠の御教えを頂かねばなりませんけれども、

昨日は、昨夜になりますか、




師匠のおかげの泉、昭和45年から、ほぼ月に一つのお話を、

初代自らも加わられて選ばれた御教え、




それこそこの御教えは世間の人々にも頂いてもらいたい、と言う

そう言う御教えが月に 1つか、時によっては 2つか活字化されましたね、




それを師匠自らが選ぶ事に加われたであろうと思われる、

昭和57年までのおかげの泉、大体 160号位有る様ですが、




その中に収められている御教えの元になる御理解、

音声データですね、おかげの泉は活字化されていますから、




その活字化されたものですから、

ある程度の加筆訂正がなされている訳ですけれども、




その元のデータをアップロードして、

皆さんに聞いて頂ける様になりました、




これが私は、初代の八千、九千とも言われる御理解の中の

約 200教話位有る様ですけれども、




原典と言うのでしょうか、どうでも勉強しなければならない、

初代が自ら選ばれた、師匠自ら選ばれたお話だと思います、




やはり師匠の御教えを、御理解を頂いて、

師匠がどういう心持ちで居られたのか、




その師匠の心の有り様と言うのでしょうかね、

師匠の信心と言うのでしょうかね、




そう言うものをやっぱり勉強をさせて頂かねばならない、

と思いますね、それはとりも直さず、人が助かると言う事において




どう言う風にあったら、それこそ神様のおかげを頂いて、

人間が真実助かって行く事が出来るか、




勿論刹那的な助かり方も有ります、仮初的な助かり方も有ります、

それら一切を含めての助かりと言う事ですね、




ある時などはその、おかげの泉を病人さんの枕元でパラパラとめくる、

それだけで病人さんがおかげを頂かれたと、




言う話も有る様ですから、

大変効能的にも効能の有る御教えだと言う事になりますね




そう言う師匠の、御一生の中で、

厳選された御理解と言う事になります、




どうでも私どもが先ず第一は、

師匠の御理解を、御教えを勉強させて頂く、




そこから師匠の心を汲み取って行く、

と言う事になるのではないでしょうかね、




そしてそこから初めて、人間とそれこそ天地金乃神様、

また金光大神様、その三位一体と言うのでしょうか、




どうでもよければ皆さんに是非とも頂いてもらいたい、

おかげの泉ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます