2022年7月31日日曜日

信心の稽古とは心境の変化である (2022-07-31)

 今日も和賀心学 (2022-07-31)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


心境が変わるという事を言うが、信心の稽古とは私どもの心境が変わって行く事かも知れない。今まで嫌いだったものが好きになる、今まで難儀と思っていたものがおかげだと思う様になる。今朝は、神と仲良うする信心と頂いた。神と仲良うすれば心境も変わる。神と仲良うするとは成行きと仲良うすること。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 436頁)


ビデオ: https://youtu.be/sepPE5M8F9s

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/07-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-07-31.mp3


合掌

中原博信

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(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

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御理解 第81




氏子 十里の坂を九里半登っても

安心してはならぬぞ




十里を登り切って向こうへおりたら

それで安心じゃ




気を緩めると

すぐに後へもどるぞ




咲いた桜が柳に聞いた

梅が答えて信心辛抱




信心には桜のいさぎよさ 柳の素直さ

梅の辛抱づよさが内容として必要である




なぜならお道の信心は神の心がわかり

そのみこころに添わせて頂くにあるからである




みこころを わかればわかるほど

一切が合掌の対象でないものはない




向こうへ降りたら安心じゃ

とはここのところまで心境が進んだ時 神様が安心して下さる




その安心が私どもに返ってくる

それが向こうへ降りた時である




師匠がここで 心境が進んだ時

と言う表現をして居られますね




心境が進んだ時

その心境と言うのが大切だと言う事ですね




私どもの信心が進むと言う事は

一つにはその私どもの心境が進む




心境と言う事を言いますね

何々の どう言う心境ですかと




あなたの心は今どう言う心境ですかと

尋ねられたり致しますね




その心境ですね

何をどう感じておるかと言う事かもしれませんね




その感じる心が何を感じて居るか

それこそ神様を怖いもの 怖い神様だと感じる




これもその心境の一つだと思いますね

また神様は親切なお方だと感じる




さあ神様に対して私どもがどう言う心境を抱いておるか

と言う事ですね




この一切が合掌の対象でないものはないと

それこそ一切が合掌の対象だ




と言う心境ですね そこまで進んだら

安心だと言う事でしょうけれどもね




その私どもが心に感じるもの

これがやっぱり大切ですね




あの人は嫌だとか この人は嫌だとか

言うのも一つの心境だと思いますね




それがあの人の中に神様の御働きを見る

今まで嫌な人だと思っていたけれども




実はその人のおかげで心を育てて下さる事が出来た

その人のおかげで新たな それこそ心境が開けて来た




と言う事になれば 寧ろお礼を言わねばならない様な事にも

気付かせて頂く訳ですね




今朝は 神と仲良うする信心 と頂きました

神と仲良うする信心 教祖様の御教えにも有りますね




神様を怖がる様な事ではいけないと

神様と仲良くするのだと




 教祖様は などは最初は 金神様と言い

怖い祟り障りの神様だと




世間ではそう言われていたから

教祖様もやはり怖い金神様だと思って居られたのだと思いますね




言わばそう言う心境であった訳です

ところが教祖様の心境が変わられた




それ程祟り障りの神様 怖い神様ならば

この方が味方に付けば




それこそ助けて下さる神様に変わられるに違いない

と思われたのでしょうかね




お向きを変えて下され

と言う事ですね




言わば今まで怖い怖いと思うて居ったその神様が

実は慈愛溢れる優しい神様だと




これは神様が変わられたと言うよりか

神様に対する教祖様の接し方と言うのでしょうかね




心境が変わられたのだと思いますね




勿論それによって神様の接し方も変わられた

と言う事も有ると思いますけれども




その神様の現れ方が変わられる前に

教祖様の心境が先ず変わられた




それこそ神と仲良うする信心ぞと

それまでは怖い神様だと




逃げとけ 避けとけ 廻っとけでしたか

その神様から そのなるべく神様を遠ざけよう遠ざけよう




遠くに居よう 遠くに居ようと 逃げて居られた

それを仲良くする事に心が変わられた




その心境が変わられた時に

神様の方も現れ方が




教祖様への接し方がまた変わって来られた

と言う事だと思いますね




私どもの心がどう言う心根をもって 神様に接しているか

その私どもの心境と言うものが大切だと言う事ですね




今朝はそれこそ 神と仲良うする信心ぞと

神様と仲良くする その仲良くすると言う事




ではその神と仲良うするとは

一体どう言う事だろうかと思わせて頂きます




そうしましたら

あぁなる程そう言う事かと




師匠大坪総一郎師の許で

信心の稽古をさせて頂いて居りますと




神と仲良うすると言う事は それは即ち

成行きと仲良うする信心だと言う事になりますね




それは神様の御心の現れである成行きだからです

ですから神様を大切にする 神様と仲良うすると言う事は




その今起こっている成行きを大切にする

その成行きと仲良うする それが神様を大切にする




神様と仲良うしたいならば

成行きと仲良うせよと言う事になりますね




中々神様と仲良くすると言われても

抽象的で具体的にどうしたら良いのか分かりません




そこにまた神様は

どう言う事でしょうかと問いかける




神様に問いかけるなどは

やはり仲良うする事の一つではないでしょうかね




そして神様に問いかける

そしたら心の中に それは成行きと大切 失礼




成行きをそれこそ神の働きと思うて

成行きと仲良うする事だと




神の心の現れとして 成行きを大切にする

その成行きと仲良うして行く




それが神と仲良うすると言う事だ とまた

これは一つ心境が進んだ事 心境が開けて来たと言う事にもなりますね




神と仲良うする信心 それは今起きているその成行きと

仲良うする信心だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年7月30日土曜日

教えを聴き、教えを行じる信心へ (2022-07-30)

 今日も和賀心学 (2022-07-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師はよく、世間では仕事が仕事を教えると言うが、御道では信心が信心を教えると言う事が有ると仰って居られた。一つの信心に取り組めば次の信心へと神様が導いて下さる、なる程信心には限りが無い。願う信心、教えを聴く信心、教えを行じる信心、御用即ち神様のお役に立つ信心へと育つ事。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 219頁)


ビデオ: https://youtu.be/Z1lmMySjUHc

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/07-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-07-30.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第9




天地金乃神は宗旨嫌いをせぬ

信心は心を狭う持ってはならぬ




心を広う持っておれ 世界を広う考えておれ

世界はわが心にあるぞ




心が豊かである時は何を聞いても見ても心にさわりません

信心による有難しの心は 広い豊かな美しの心です




小さいことに心を汚し 心配になり 心が穏やかでない時は

この有難しの心が欠如のしるしです




気のぬけたサイダーのようなものです




宗旨嫌をせぬ 金光教なのに

内の信者をとったのとられたのと内々で騒ぐなどは




お道の信奉者として最低です

ナンセンスです




心が豊かである事と 師匠は心が豊かである

豊かになる事を教えて居られると思いますね




今朝今日取り組むべき事は

その自らの心を豊かにする




その事に取り組みなさいと

師匠が仰っておられる様に思いますね




よく師匠は 仕事が仕事を教えると言う

と言う様な事を仰って居られました




そう言う様に 仕事が仕事を教えると世間では言う

と同じ様に 信心が信心を教えると言う事が有ると




一つの信心に取り組んでいる そしたらまた次の信心に

これは神様が気付かせて下さると言うのか




導いて下さる

と言う事だと思いますね




先ず信心を始めると言うて

  教えを行じる所から信心を始めようと言う人は




中には居られるかもしれませんけれども

中々珍しいと思いますね




大抵はやっぱり自分の願いを叶えて欲しいとか

そう言ういわゆる困った時の神頼み的な




神様に願いを聞いて頂きたいと言うのが

やはり信心の初めだと思いますね




そしてそれはそれで良いと思うのですけれども

そう言う信心を続けて行く




そしてまた次に教えを聞く

と言う信心が有りますね




教えを聞いたり 本を読んだりして

いわゆるその御道の教えを勉強すると言う訳ですね




そしてその御道の教えを勉強する

聞いている内に 日参聴教の部分でしょうかね




その内に段々 やはりこれは何か

教えを聞くばかりでは 何ですか勿体ないと言うのか




聞いて居るばかりでは何もならない訳ですから

確かに聞く事によって心が助かると言う事は有りますね




しかしどれ程教えを聞いたからと言って

神様から信用してもらえれるかどうかはまた別ですね




なる程聞く事によって 教えをを聞いて心が開ける

と言う事は有ると思います




そしてその心が その開けた 開けた心に神様が感じ入って下さる

と言う事は確かに有ると思います




しかしそこから更に

私どもの日常の生活と言うのでしょうか




その例えば人様に親切にするでも

なる程親切にする事は良い事だなと分かります




しかしそれをいわゆる形の上に現してみなければ

その心が本当に身に着いておるのかどうか分かりませんね




あれは何でしたか 口に真を語りつつ

心に真の無き事でしたか




その反対も有るでしょうからね

心に真があっても それが口の上に出て来ない




そのこれは行動と言う事だと思いますけれども




その心の中の心と 行動の上に出て来るものが

また一つに同じでなければならない と言った様な所でしょうかね




言わば心に思う事 それを形の上に現す 行動で現す

言わばその教えを行じる と言う事かもしれませんね




なる程人様に親切にするのは良い事だ

それこそ信心する者は かくあらねばならないと分かる 合点が行く




それだけでは身に着いている訳ではありませんから




それこそなる程成行きを大切にすれば

神様の御心に適うのだな




神様を大切にすると言う事は

その御心の現れである成行きを大切にする事だなと分かります




分かっただけでは大切にしている事にはなりませんからね

分かると言う事 その事がまた神様の御心に響く事では有りますけれども




それがそれ以上に それ以上に神様の心に響く為には

やはりそれが形の上に現されなければなりません




教えを行じると言う所ですね

そしてその教えを頂き 日々の行動の上に行じる 現される




そこに初めて またその次の信心と言うのでしょうかね

に神様が導いて下さるのではないでしょうかね




信心が信心を教えると同じ様に

またそこに御用が御用を教える




と言う様な事にもなって来るのだと思いますね

教えを行じる 神様のお役に立ちたいと願う




そして何か神様のお役に立つ事を とさせて頂こうとする

これが御用でしょうね そして神様のお役に立つ事を何かさせて頂く




そうするとまた その次の御用を より良いお役に立つ為に

神様が次から次に 次の事を教えて下さると思いますね




為には私どもが先ず一つは

言わばやっぱり形の上に現してみなければならない と言う事ですね




その言行一致とか言いますけれども 心に思う事と

形に現れる事がやはり一つになる様なおかげを頂きたいものですね




思って居るだけでは その次の言わば

信心が信心を教えると言う所には中々至らない様に思います




思った事を形に現してみる 言わば行じてみる

その行じた所に また次の信心へと神様が導いて下さる




実はこうやって

ビデオを配信させて頂いていますが




ここ数日の成行きから

これはもう一つ変えさせて頂く事が出来るのではないかと




それは何と言いましょうかね 読むビデオ

と言う様なのは出来ないだろうかと思わせられているのですね




と言いますのは ビデオを撮ります そして字幕を作ります

で今までは字幕と言うのがサブでしたね 付け足しでした




しかし世の中には耳が不自由な方も居られる

そう言う方には見て頂く 言わば読んで頂く事によって伝える




ならばこれは読むと言う事を主体にしたビデオを作れないだろうか

と言う思いがふと出て来たのですね




観るビデオ 聴くビデオ

更にそこから読むビデオと言う訳ですね




確かに YouTube などでは その文字だけの

読ませる 小説を読ませる様なものが有ったり致します




そこからもう一つ進んで

言わばこのビデオに字幕を入れる




その字幕が主体で 例えば私の映像が

その横の方に小さく出ている




と言った様な感じを今はイメージしているのですけれどもね

そのこの次は是非 耳が不自由な方も居られるだろうから




そう言う人達にもやはり何とか助かりの手立てを伝えたい

為には観るビデオから その読むビデオですか




そう言うものを出来ないだろうかなと

今検討させて頂いている所です




何か神様が次の一手と言うのでしょうかね

次の取り組むべき所を教えて下さった様な感じが致しますね




取り組めば 次の事をまた神様が教えて下さる

仕事が仕事を教える




信心に取り組めば必ず神様が 次の信心をまた教えて下さる

御用に取り組めば また次の御用を神様が教えて下さる




そう言う信心でありたいと思いますね

もうこうなると信心は限りが有りませんね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年7月29日金曜日

天地金乃神様が授けたいのはこの世あの世を通しての真の救い (2022-07-29)

 今日も和賀心学 (2022-07-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


とかく私どもはその場凌ぎのおかげ、所謂その場凌ぎのご利益が頂ければそれで良いと思う、そこ止まりの信心になってしまっている。ところが天地金乃神様が授けたいのはこの世あの世を通しての真の救いを授けたいと願って居られる。師匠大坪総一郎師もまたそう言う真の助かりが頂けれる信心を伝えて居られる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 192頁)


ビデオ: https://youtu.be/j0yVxGhpiyw

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合掌

中原博信

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御神訓




真心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えよ




片島せんというお徳の高い先生が居られました

或る時 大きな手洗石がお供えになりました




神様にお届けをなさり この大きな手洗の水が一日で

なくなりますような沢山の氏子をお引き寄せ下さい と願われました




神さまより何の受け応えもありませんでした

尚 お願いをなさると神さまより




なぜ真心を求めて来る氏子をと願わぬか

とおさとしがありました




神様が求め給うのは真の信心であることがわかります

残るのはお徳であり真の信心であります




同時に 毎日

子供に孫に伝わる信心を願わねばなりません




どうぞ神さまのお役に立つ氏子にお取り立て下さい

と繰り返し願うのです




真の信心と有ります

真の信心




私どもはとかく目の前のおかげと言うのでしょうか

ご利益と言うのでしょうか を頂きたいと思います




その困った時の神頼みと申しますね

今困っている事におかげを頂きたい




楽になりたいと言う訳ですね

それはその場凌ぎと言うのでしょうかね




一時的な助かりと言うのでしょうかね その今困っている所を

その場凌ぎのいわゆるご利益ですか それを頂きたいと思う




またそのその場が凌げれば それで良い

と言う様な事が多い様に思いますね




これは人間の側として欲しいものですね

そしてそれは特別何の苦労も無く




ただ神様にお願いします お願いしますと言えば授けて下さる

そしてそのその場の難儀を忍ばせて下さる




その場凌ぎのおかげを頂きたいと言うのが

大概の私どもではないでしょうかね




ところがこの天地金乃神様が真実に授けたいもの

また師匠大坪総一郎師が真実に いわゆる私どもに願われる信心




それは仮初めのその場凌ぎのおかげを頂く信心ではない

それこそ真の助かり 真実の助かり この世あの世を通して




それこそなる程難儀だなと感じる中にでも

心の助かりを得られる




そう言う何時如何なる どう言う中にあっても

助かりが頂けれる 心が助かって居れれる




そう言う真実の助かりを授けたい

与えたい 頂いて欲しい




と言うのが天地金乃神様の願いであり

師匠の 大坪総一郎師の願いである と思うのですね




ですから先ずは

私どもの求めるものがその場凌ぎのおかげではなく




真実の助かりを頂きたいと

そこに先ずは焦点が変えられねばならないと思うのですね




ただその場凌ぎのおかげを頂くと言う事で有れば

これはパワースポットにお参りをして そこで願い おかげを頂く




それで良いのかもしれません

しかしそれではまた次の問題が起こって来る




私どもがどう言う中にあってでも助かりを頂く

その為にはやはり教えも頂かねばなりません




またその教えを行じると言う事も要りますね

自らの心を育てて行くと言う事も要ります




そのいわゆる真の信心

と言う事が求められる訳ですね




真の助かり 真実の助かり

例えどう言う中にあってでも助かって行けれる 助かって居られる




そう言う真の助かりを得る為には

やはり真の信心をしなければならない




しかしその真の助かりを求める人も実は少ない様ですね

大概の人はそれこそ一時的な助かり




一時的ないわゆるご利益と言うのでしょうかね

その場凌ぎのおかげを頂ければそれで良いと思ってしまうものですね




どうでも私どもが 願うものが

そのいわゆる一時的なご利益




勿論その真の助かりの中には

一時的なご利益を頂いて行く事も要ります




要りますけれども そこで止まってはいけない

神様が真実に授けたいのは




この世あの世を通しての真実の助かりを頂いて欲しい

授けたいと言うのが神様の願いだと言う事なのですね




どうでも私どももその今日のミニ御理解ではありませんけれども

ただ困っている その困っているその場を忍ばせて下さる




その場凌ぎの願いに来る人達が多くなる

と言う事ではなく




真実の助かり 真の信心 真の助かりを求めて信心する人の

何と言いましょうかね お参りが多くなる様にと願えと言う事ですね




これはやはり最初からそうであるとは思えませんから

先ずはそのその場凌ぎのおかげを頂きながら




でも真実の真の助かりを求める信心へと

育って行かねばならない また育てて行かねばならない




と言う事でもあろうと思いますね

神様が真実に授けたいのは




その場凌ぎのおかげではない

この世あの世を通して助かって行けれる真実の助かり




それを求めて来て欲しいと言うのが神様の願いであり

それをまた授けようとして居られる




それが神様の願いでもあり

師匠大坪総一郎師の願いでもある と言う事ですね




どうでも私どもが

ですから真の助かりを求めての信心と言う所に




焦点が変わって行かねばならない

育って行かねばならないと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます