今日も和賀心学 (2022-12-29)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
教祖様の場合も、師匠大坪総一郎師の場合でも人が助かり出すまでには 30年、40年かかっておられる。幼い頃から信心心が芽生えられ、神様が 30年、40年の間ご覧になって居られて、この氏子ならと見極め白羽の矢を立てられる事になった。それから更に成行きの中に天地日月の心を育てて行って居られる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 183頁)
ビデオ: https://youtu.be/FIinMFiJQIM
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-29.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
悪いことを言うて待つなよ
先を楽しめ
どんな場合でも、ここからの信心という心を頂いてゆけば、
お先真暗という事はありません
これから先どういう事になるだろうかと思う心が
悪いことを言うことになります
よくないことが起こって来る元があります
どんな場合でもお陰の素、お徳をいただくチャンスと頂く時、
むしろ先が楽しくなります
教祖様にしても、
師匠大坪総一郎師にしても、
最初から人が助かる為に信心をしよう、
として居られたのでは有りませんね、
最初はやはり、自分がおかげを頂く事の為に
信心をして居られたのだと思います、
それも、信心を始めて直ぐに人が助かり出した、
と言う事では有りませんね、
教祖様も若い頃と言うよりか、
小さい頃から信心心がお有りになられた、
それこそ今で言えば小学校と言うのでしょうか、
そう言う小さい頃からいわゆる神信心に興味を持って、
神参りをして居られた、
それは師匠の場合も同じですね、
それこそ小さい頃から教会に連れて行かれた、と言うのか、
そしてそう言う信心話が好きであったと、仰って居られます、
そして実際に人が助かるようになる、
それまでには 30年、40年とかかっておりますね、
神様はその約三十何歳、教祖様で言えば 42歳の大患と言われる
その 30年、40年かけて神様が観察して居られた、
この氏子の信心はどうだろうかと、
この氏子は果たして役に立つだろうかと、
やはりその人を見極めるまでには、神様としても、
30年、40年かかると言う事ではないでしょうかね、
いきなりさんぱち神様が、その師匠や教祖様に、
人助けを頼まれたと言う事では有りませんね、
30年、40年かけて、この氏子はどうだろうかと、
ご覧になって居られた、
そして、この氏子なら役に立ってくれるだろう、
と見極められた上で、その教祖様に、
難儀な氏子を助けてくれと、お願いをされた、
また師匠の場合も、
師匠にお願いが有ったかどうかは分かりませんけれども、
やはり何かしら、そう言うものが有ったのだと思いますね、
そして人が助かり出した、
その人が助かり出した時点で、
教祖様や師匠が、人が助かる為に信心をしようと、
思って居られたとは思えませんね、
人が助かり出してから、言わばそこから、
教祖様の心が、師匠の心が愈々育って行かれた、
そしてやっと人を助ける為の信心と言う事の、
そう言う心が、人が助かり出してから初めて、
育って行かれたように思うのですね、
言わば取次者として役に立つ、御用に立つと言うその前には、
やはり 30年、40年と言う長い年月をかけて、
神様が見極められて、よしこの氏子ならば、
と、そこに神様の御働きが初めて現れて来る、
と言う事になるのではないでしょうかね、
その神様が御働きを現して下さらなければ、
取次者として人を助けて行く、
人が助かる御用に立つ事は出来ないわけですから、
その神様が、どうぞお役に立ってくれ、と、
その神様の方から、お願いをされる、と言うのでしょうかね、
そう言う私どもに、そう言う私どもでなければならないと、
そしてそれで良いと言うわけではない、
そこから更にまた、心を育てる働きが起こって来る、
と言う事ですね、
師匠が、色々な所を通らせて頂いた、
そして結局分かった事は、あの事によって、この事によって、
神様が、私に天の心を、地の心を、そして日月の心を、
身に着けて下さる、その為の御働きであった、
その事によって、天の心、地の心、日月の心を、
育ったと言うのか、育てられたと言うのか、
成行きの中に、そう言う心を育てて下さった、
と仰って居られますね、
神様の目に留まる信者であり、
そしてそこから神様のお育てが始まる、
その成行きを通して、
神様が心を育てて下さろうとされる、
その神様が心を育てようとされる、
その成行きを見事に受け貫かれた、心が育って行かれた、
それが教祖様であり、
師匠の御一生ではなかったのでしょうかね、
神様が、この氏子を育てようと、
そのモーションをかけられると言うのでしょうかね、
先ずは、そう言う私どもにならねばならないと、
そこ無くして、どちらかと言うと、修行生になった、
だから、人が助かる為のお役に立つにはどうしたら良いだろうかと、
何かそこらばかりを考えてしまう様な感じが致しますね、
先ずは、神様に気に入られる私になる事、
先ずは神様から目を留めてもらう、
この氏子は見込みが有るぞ、
とその、この氏子は見込みが有るぞ、
と神様に目を留めてもらえれる様な私である事、
そしてそこから神様の成行きを通してのお育てが有る、
そのお育てを見事にクリアして行くと言うのか、
心が育って行くと言う事、その辺が相まって初めて、
神様が、その氏子の周辺で人が助かる様な御働きを現される、
この氏子の信心を見習ってくれよ、
と言わんばかりの働きだと言う事になりますね
どうでも神様から目を留められる様な、私どもで有りたい、
そう言う信心をさせて頂きたい、
そこから初めて神様が御働きを現して下さるようになる、
と言う事ではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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