2022年12月19日月曜日

御神徳は人が助かることの為に授けて下さるもの (2022-12-19)

 今日も和賀心学 (2022-12-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の御神徳を受ける為の六ヶ条に入る以前に大切な根本的なもの、それは教祖様が、神様の仰せ通りに仕り候と仰られたこと。神様の仰せを守らない様ではとても信用は頂けない。またその御神徳は人が助かることの為に授けて下さるもの、もし御神徳を自分の為に使う様では横領した事になる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 188頁)


ビデオ: https://youtu.be/0b-oxKEb1rY

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-19.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




神は声もなし 形も見えず 疑わば限りなし 

恐るべし 疑いを去れよ




信うすき者に対しては神の権威にかけても

おかげ(御利益)をもって見せて下さるが、




信心をわからせて下さる為には、

様々なところを通らせて下さるもの




どんなところを通らせて頂いても迷うことなく折るることなく

信心を進めてゆけば、そこからお徳が受けられる




神さまは有難い方じゃとわかると

同時に又、こわい方じゃと知れ




そこから御徳が受けられる、と有ります、

そこから御徳が受けられる、御徳が受けられると、




神様の御神徳が受けられる、

御神徳とは神様の御信用と教えて頂きます、




今日は19日です、徳の日ですね、19、十(と)九(く)、

ですから今日はこの御徳のお話をさせて頂くのかな、




と思っておりましたら、

今日頂きましたミニ御理解に、




正に、そこからおかげが受けられると、

失礼、そこから御徳が受けられると、




御徳が出て参りましたね、そしてまた昨日ですか、

の成行きから、今朝はある事を思わせて頂いておりました、




こう言う生き方では御徳は受けられないのだな、

と言うものをある成行きから思わせて頂いていたのです、




その神様の御信用を頂く、

さあどうしたら御信用を頂けれるだろうか、と思うのですけれども、




師匠の御教えの、これは御神徳を頂く為の六ヶ条、

の六ヶ条には入っていないのですけれども、




おそらくそれは言わずもがなと言うのか、当然の事として、

六ヶ条には入っていない様な感じが致しますね、




六ヶ条のもっと根本になるもの、7ヶ条目と言うよりか、

六ヶ条のそのベースになっている当然の事として、




師匠にとっては当然の事として、箇条書きにもならない程しに、

当然の事だったのかもしれません、




それはどう言う事かと言うと、実はある数ヶ月前にある方が、

日本に一時的に帰国されました、




その時に、あちらに行ったら、これをお願いしますと、

ある事をお願いしていたのですけれども、




その方から昨夜、お電話を頂きました、

それでその事の、私がお願いしていた事への何かしらご返事だろうか、




と思っておりましたら、その事は一切触れられませんでした、

言わばもう完全に忘れて居られたのでしょうね、




気にも止めて居られない、と言う感じでしたね、でまたその

ご自身の解決して欲しい事を私にお頼みされたのですけれども、




それだけなのですね、それで今朝の心中祈念の時に、

その事について考えさせられたのですけれども、




やはり人から頼まれた事、

その事を全うすると言うのでしょうかね、




頼み事を確かに聞いて、実行する、

言わばその事がなければ、とても信用と言うのは頂けないな、




と思うのですね、教祖様もそれこそ、

神様からの仰せ通りに仕り候、と仰って居られますね




教祖様は、それこそ

神様から仰せられた通りに仕られたわけですね、




言い付けを守ると言う事も有りますね、

四神様でしたか、その教祖様から、




今日は傘は要らないと言われたから

持って出られなかった、




雨が降った、それで途中の雨宿りをしていたら、

傘を貸そうと言われた、




それでも、親様が要らないと言われたから、と言って、

傘を借りずにそのまま帰って来られたわけですね、




そう言う話が確か有りますね、言わば親様の言い付け、

仰せ通りに仕られたわけですね、




やはり頼まれたら頼み事を全うする、何と言いましょうかね

その言い付けなら、言い付けを守り通すと言う事が、




やはり信用を受けると言う事では、

先ず根本的に大切な事だろうと言う事なのですね、




言われた事を、神様が右と言われたのに、左に行っておったり、

左に行けと言われたのに、右に行っておったり、




神様の仰せ通りに仕らないならば、




それこそ神様が、これをして下さい、と言われたのに、

全然ほっぽらかして、しようともしない、




あるいは忘れてしまって、その神様の仰せ通りにしない、と言う事で、

神様からの御信用が頂けれるとは、とても思えませんね




御教えと言うものが有ります、




神様が下さった御教えならば、その御教えを守る、

と言う事が出来ずして、御信用が頂けれるとは思えませんね、




やはり先ずは言い付けを守る、

頼まれた事はきっちりさせて頂く、




あぁ忘れてました、うっかりしてました、では、

大切な御用と言うのでしょうかね、を頼むわけにはまいりませんね、




ですから、行きなりさんぱち

神様が、大きな事を頼まれるとは思えませんけれども、




大きな事を頼まれたら、忘れずにしっかりやる、

と言われるかもしれませんけれども、




先ずは神様は小さな事柄を頼まれると思いますね、

子供に、あそこに一寸用事に行ってちょうだい、




これこれを買って来てちょうだい、と言った様な、

いわゆる使い走りに使われる、




それでその使い走りを見事に全うする事が出来たならば、

もう少し重要な御用を司る事が出来るようになる、




と言うのか、頼まれるようになる、




さあこの人に使いを頼んでも、

ちゃんとしてくれるかどうか分からない、




と言う様な人にはとても頼めませんね、




ましてやそれが、人助けの御用に立ってもらいたい、と言う、

それ程しの重要な事であるならば、




なる程この人に頼んでも、

人を助けてくれるかどうか分からないな、




自分の我情我欲の事の為に使ってしまうかもしれないな、

と言う様な事であったのでは、それこそ信用も力も授けられませんね、




人も助ける事の為に、1億円あなたにあげよう、

と言われたその 1億円を自分の事の為に、1円でも使う様ならば、




とてもこの人は信用出来ない、

1億円預ける事は出来ない、と言う事になりますね、




その為のまず手始めは、やはり御教えを守る、

神様の言い付けを素直に守る、




守らない人が、

神様が信用して下さるとは思えませんからね、




神様の御信用を頂く、その大前提は、

やはり御教えをきっちり守る、守らせて頂く、




神様の仰せ通りに仕り候、

と言う所ではないでしょうかね、




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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