2022年12月15日木曜日

自らの心を愈々大きくする精進 (2022-12-15)

 今日も和賀心学 (2022-12-15)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師が心にかけて居られた御教えの一つに、馬鹿と阿呆で道を開けと言うのが有る。今朝はその馬鹿になることの内容を大きな心になることだと頂いた。私どもがその事に腹が立つ、問題だと思う、それは私の心が小さいからだと。自らの心が大きくなれば、腹も立たない、また問題でもなくなる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 146頁)


ビデオ: https://youtu.be/ErZMexaNxdg

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-15.mp3


合掌

中原博信

-------------------------------------------------------


御神訓




信心する人は常に守りを心にかけておれよ




大金を懐中しておるような気持ちでおれ、落としてはならぬ、

掏られたり盗られてはならぬと思うて大事にする




心に神さまを頂き守れ、

神さまが御守護下さる




神さまを頂き切っておる時、

真心、愛の心がおのずと身についてくる




真善美 輝く世界に 住まんには

真愛の こころ行い おしむべからず




大金を懐中しておる様な気で居れと、

大金を懐に入れて居る、




それこそ落としてはならないと、

盗られてはならないと用心致しますね、




では私どもがその大金を持って居る、今身に着けて居る、

だから心を配るわけですね、心を用いる、用心するわけです、




そのいつも大金を懐に持って居る、

その気持ちで居ればいつも用心致しますね




私どもが迂闊にして居る、

それは大金を持って居ると言う意識が無い時ですね




ではその大金を懐にしておる様な気持ちとは、

一体なんだろうかと思いますね、




言わばその事に四六時中心がけておる、

その事を四六時中、用心して居る、心を用いて居る、




と言うのでしょうかね、




師匠大坪総一郎師が大切にされた御教えの一つに、

馬鹿と阿呆で道を開け、と言うのが有ります




今朝は、その馬鹿と阿呆と言う事の内容を

別の角度から教えて頂いたように思います、




普通で言えば、馬鹿の様だ、いろんな人から色々噂、

噂をされると言うのでしょうか、




とか、悪口を言われたりしても、

馬鹿の様にそれこそ受け流して居ると言うのでしょうかね、




気にも止めないと言うのでしょうかね、

そう言う馬鹿になると言う様な事が有りますね、




それをもう一つの具体的な例として、今朝頂きますのは、

いわゆる馬鹿になると言う事は、大きな心になる事だと、




それこそ人から何か言われて馬鹿になれない、腹が立つ、

それは自らの心が小さいからだと、




大きな心になれば、腹も立たないようになると、

そして問題が有ると致しましょうか、




そのその事柄を問題として居るのは、

それは本当は問題でも何でも無いのだけれども、




その事が問題だと思う私どもの心が有るからだと、

それは結局私の心が小さいから、その事が問題になるのだと、




もう一回り心が大きくなれば、問題は無くなる、

問題を問題にして居る心は、小さな心だと、




心が大きくなれば問題は無くなる、と言う事なのですね、

結局、信心をすると言うその信心の稽古の一つ、




私どもが目指すべき、持たまほしき心の一つ、

それは大きな心だと、愈々大きな心になる事だと、




受け物と言う表現でもされますね、

受け物が大きければ、それだけおかげも大きいと、




受け物と言うのは心ですから、その心が大きければ大きいだけ、

また頂くおかげも大きいと言う事になりますね




様々な問題、それは問題ではない事を問題にして居る

私の小さい心がそこに有るからだと、




愈々心をその問題を通して、

それこそこれはまだ私の心が小さいからだと、




愈々大きな心になろうと、

精進させて頂く所に問題は問題でなくなり、




愈々大きな心の、

おかげの受け物が大きくなると言う事ですね、




土の心と言われます、これもやはり大きな心にならなければ、

土の心で受ける事は出来ない、




心が小さいから、

土の心を育てる事が出来ない、




やはり心が大きくなる、大きな心を目指すと言う事は、

何においても大事な事の様に思いますね、




大きな心を持ちたいものですね、何かが有る、

これは私の心が小さいからだと、自らの心を愈々大きくして行く、




それこそ大金を懐にしておる様なものだと言うその、心がける事、

それは自らの心を愈々、大きくして行こう、大きくして行こう、




とその事に心を用いる、

と言う事ではないでしょうかね、




自らの心を自らが見つめる、その意識が薄れているから、

自分の心の小ささに気付かないのですね、




心を用い、用心して居ると、

そこに初めて自らの心の小ささが気付かされる、




その事が問題になって居るのは、私の心が小さいからだ、

これは神様が愈々、もっと大きな心になれと、




仰って居られるのだ、と

その神様の心に、神様の心を求めて行く、




その事に、言わば大金を懐にしておる様な心持ちで、

神様の御心を求めて行く、愈々大きな心を目指して精進させて頂く、




と言う事ではないでしょうかね、




それこそついつい油断をすると、

人を責めてしまったり、腹を立ててしまいます、




これは結局、私の心が小さいからだ、と言う事ですね、

どうでも大きな心を目指す、




その大きな心を目指す精進に邁進すると言うのでしょうかね、

常に心にかけて、大きな心になる事を心にかける、




それがまた、馬鹿と阿呆で道を開け、

と言う事にも繋がって来ると思いますね、




とにかく、常に心にかける事、それは、




この事を通して、あの事を通して、より大きな心になろうと、

大きな心を目指す事だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます




0 件のコメント:

コメントを投稿