2022年12月13日火曜日

成行きを大切にと言う教えを実験すれば必ず疑問点が出て来る (2022-12-13)

 今日も和賀心学 (2022-12-13)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


御教えと言うものがある、その教えを実際に行じてみると必ず疑問に思う所が出て来るものだ。もし教えに何の疑問も抱かないようなら、それは教えを実験していないからだろう。師匠大坪総一郎師の成行きを大切にと言う御教えも実験してみると、ここはこの受け方で良いのだろうかと思う所が必ず出て来る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 92頁)


ビデオ: https://youtu.be/RAjAmvrrC6E

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-13.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




神徳を受けよ

人徳を得よ




神徳は信徳、

人徳は仁徳




人徳は人に真心であれば得られるが、

神徳は、信心によらねば受けられぬ




信心して真の人になり、

神様の信用を受けねばならぬ




神徳を受け、何事にも信心になれば、

人徳は自ずとついて来るもの




神徳、人徳を兼ね備えて、

はじめて人の幸福はある




神徳、神様の徳は信心の徳、

信ずる徳だと書いてございますね、




神徳とは神様の御信用だとも教えて頂きます、

そして信心はその御神徳、神様の御信用を頂く、




頂けれるようになる事を目指して信心の稽古をさせて頂く

とも、教えて頂きますが、




信心をさせて頂きますその第一は、やはり御教えを頂き行じる、

言わば神様の仰せであるその教えと言うものを守る、




そこに神様の御信用も頂けれるようになるのだと思いますね、




先日から、レシートを読み込むアプリを

使わせて頂こうとして居るのですけれども、




使ってみると色々な疑問点が湧いて来ますね、

あれはどうするのだろうか、




こう言う時はどうするのだろうか、

これはどうしたら良いのだろうかと、




そのアプリを使ってみて初めて分からない所が出て来る、

疑問点が出て来ると言うものですね、




何事でもそうだろうと思いますね、

これは信心においても、やはりそうだと言う事ですね、




師匠大坪総一郎の信心、御教えの中で、

やはり私どもが行じ易いと言うのか、まず行じねばならない、




身に着けねばならないその教えは、やはり何と言っても、

成行きを大切に、成行きを尊ぶと言う事ですね、




そしてその成行きが神様の神愛の現れであり、

神様の御働きだと言う事ですね、




成行きを大切にすると言う事が、

神様を、神様の御心を大切にする事になるのだと、




そう教えて頂き、頭で合点する、

しかしそこに何の疑問も湧いて来ない、




ただ、成行きを大切にすると言う事だと、

成行きは神様の働きだと、




そこで何の疑問も湧いて来ないとするならば、

それは行じていないと言う事になりますね、




行じれば必ず疑問点が湧いて来るものです、

例えば、何と言いましょうかね、




その家に居たら、押し売りが来たと、

今時は余りないかもしれませんけれども、押し売りが来たと、




さぁ、どうしようかと、

これは成行きだから、これは買うのが本当だろうか、




どうしたら良いのだろうか、

と迷う事が有りますね、




お店に行った、何か買おうと思った、

高いのと、安いのが有る、さあどちらにしようか、




その本気で成行きを大切にしようとすると、

必ず、どちらを選んだら良いのだろうか、




それこそどちらが本当の成行きと言うのでしょうか、

成行きには、本当も嘘もないでしょうけれども、




どちらを選ぶ事が、成行きを大切にする事なのだろうかと迷う、

疑問に思う所が必ず有るものですね、




私も、まだ修行に入る前に、

あるパソコンをある会社に買いに行きました、




そうしましたら、その会社の人から、うちの会社に来ませんかと、

うちの会社で働きませんか、と言われました、




その時には、咄嗟に私にはそう言う思いも有りませんから、

咄嗟にはお断りさせて頂きましたけれども、




後で考えてみて、家に帰ってからですね、

待てよ、あれは成行きだったのだろうか、




それこそ、これはここで働いてみませんかと言われた、そこに、

ハイ、とそこで働く事の方が成行きを大切にする事なのだろうか、




言わば受け損ねたのだろうか、

と言う疑問が湧いて来ました、




やはり成行きを大切にしようと言う思いが日頃ないならば、

そう言う疑問も湧いて来ませんね、




ただもう一日を普通に過ごすばかりですね、

それが成行きだと感じない、




そう思いましたから、次の日でしょうかね、

教会にお参りした時に、師匠の、御結界で奉仕して居られましたから、




お尋ねしてみました、実はこう言う事が有りました、

で、その場では断ってしまいましたけれども、




これは成行きを受け損ねたのでしょうか、

とお尋ねしてみました、そしたら師匠は、




いや、もしそのその場で直ぐこれはもう断っておこうと言う、

何と言うのでしょうかね、




その即答に近い状態で断ったのならば、

それはそれで良いと、御理解下さいました、




そう言うふうに、必ず成行きを大切にと言うその御教えを

行じようとすると、実際に行じてみると、必ず疑問点が出て来る、




これはどちらを選ぶ方が本当だろうか、これは受けるべきだろうか、

それこそ押し売りが来た、これは成行きだから買うべきだろうか、




と言った様な、必ず疑問点が出て来るものだと、

その疑問点が出て来た時に、ここに聞きに来なさいと、




尋ねて来なさい、と言う様な事を御理解下さいましたね、

今では尋ねる人も居ないわけですから、




どうして良いのか分からない、

と言う事かもしれませんね、




幸い今はそれこそ神様に御祈念させて頂き、

お伺いすると言う事になりましょうけれどもね、




成行きを大切にする、起こって来るものを全て受ける、

と言う時期も有りましょうけれども、




受けてはならないもの、

受けない方が神様が喜んで下さる、と言う方も有りますね、




ある時、師匠が、そのある御信者さんですけれども、

その方が、例えば温泉ですね、どこそこに別荘が有ると、




そこに車を回して、そのお誘いしますから、

どうぞ来て下さい、と言うお話が有ったそうです、




それに対して、師匠は、いやたとえ車を回してくれて、

迎えに来てくれても、私は行かないよと、




きっぱり断って居られましたね、




普通であれば、その別荘地のそこまでわざわざ車で迎えに来て、

それこそ何と言いましょうかね、




一時くつろいで下さい、今晩一晩くつろいで下さい、

と言う様な事かもしれませんけれども、




普通でしたら、わざわざ車で迎えに来てまで、

温泉に入って下さい、と言われるのですから、




ああこれは成行きだ、

よしこれは今日はゆっくりさせて頂く神様の成行きだ、




と、迂闊に乗ってしまいますね、師匠はきっぱり、

私は行かない、とその成行きは拒絶して居られますね、




そう言う所の成行きの頂き方の難しさがやっぱり有るのですね、

大切な所は、どちらを選んだ方が神様がより喜ばれるだろうか、




と言う事ですね、私を基準にするのか、

神様を基準にして選ぶのか、これがまず一つの分れ目だと思いますね、




師匠の場合も、

師匠は、それこそ御結界恪勤だと決めて居られますからね、




それに、それこそ温泉に行ってくつろぐと言う様な事は、

師匠にしてみれば言語道断だと言う事でしょうね、




その間に困った人がお参りに来る、師匠の許にお届けに来られる、

助けられる人も助けられなくなるわけですから、




師匠にとって、誘われたから、車で迎えに来たから、

ひょいひょいそれに乗って温泉に行くと言う様な事は、




師匠にとっては言語道断の事ですね、

神様が、師匠の腹を探られたのかもしれませんね、




成行きを大切にすると言っても、実際に大切にしてみようとすると、

必ず、さあこれはどうした方が、どちらの方が本当だろうか、




と言う疑問点が必ず出て来ると言う事ですね、




もし、そう言う疑問点が出て来ないとするならば、

それは行じていないと言う事にもなりますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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