今日も和賀心学 (2022-12-08)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、成行きは神の働き、一切神愛と御教え下さる。しかし私には全ての成行きが天地金乃神様の御働きか、全ての一切が神愛の現れであるかどうかは分からない。だが、天地金乃神様の祈りの傘の下、師匠の祈りの傘の下で起きて来る成行きは神様の御働きであり、一切神愛である事は確信する。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 379頁)
ビデオ: https://youtu.be/9Ca5ihhqOHc
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-08.mp3
合掌
中原博信
-------------------------------------------------------
御理解 第62節
昔から、人もよかれわれもよかれ、
人よりわれがなおよかれというておるが、
神信心をしても、わが身の上のおかげを受けて、
後に人を助けてやれ
神信心も手習いも同じこと、一段一段進んでゆくのじゃ
にわかに先生にはなれぬぞ
信心による助かりとは、
心安らぎ心豊かになること
『我身の上のおかげを受けて』
ということはこのようなおかげを言うのである
悲しみの中にも喜びの中にも
この歓びが湧いてくる
水は低きに火は上に、これは天地の道理である
道理に従うからその折々のリズムが生まれてくる
神の神用(神にもちいられるの意)もついてくる
神さまに使ってもらわねば人は助からん
お役に立ちたいの一念が
神様への情念と変わる
神様への情念、この情念と言う事を
師匠大坪総一郎師はよく仰って居られましたね、
この神様は情念の神様だと、
その神様とその情が通い合う、そう言う間柄だと言うのですね、
またそう言う間柄にならなければ、
いわゆる本当の意味においての助かりの心は頂けないですね、
ただ、その何と言いましょうかね、
哲学的と言うのか、思想的と言うのか、
それで神様の事が分かったと言っても、
本当の助かりにはなりませんね、
私どもと神様との間がそれこそそこに情念、
情の通い合いが要ると言う事ですね、
その為には、日々の生活の中に、
神様の御働きを実感として感じて行かねばなりませんね、
頭で分かっただけでは情は湧きませんからね、
やはり神様の心に触れ合う、と言う事が要ると思いますね、
神様の心が私どもの琴線に触れる、
そしてまた私どもの信心の有り様が神様の琴線に触れる、
そう言う琴線に触れ、触れ合う間柄であって初めて、
私どもの心の中に、
それこそ安心の心、
喜びの心が頂けれるようになるのではないでしょうかね
ではそう言う世界には、どうやったら入れるのか、
と言う事になりますね、
師匠はそれこそ成行きは神様の御働きだ、
そしてまた私どもの身の上に起こって来る事、
あるいはその一切が神愛、
神様の愛の現れだと教えて下さいます
本当にその事が分かれば占めたものなのでしょうけれども、
中々そうは合点が行きませんね、
信心体験の積み重ね、それこそ
神様の御働きを頂く事の積み重ねの中に初めて合点が行って来る、
なる程神様の愛の現れだと
言う事になるのだと思いますね
その師匠の、成行きは神様の御働きです、
一切が神愛です、と聞きますと、
ついつい私どもは世間の中でそれを適用しようと致します
またその事を人に伝えようとも致します、
また伝えねばならないのでは有りますけれども、
しかしここに落とし穴が有るように思います、
師匠は一切神愛だと、成行きは神の働きだと言われる、
ですから弟子である私どももその様に思います、
そして私がこちらへ来る時にも、
なる程成行きと言うものは何処に行っても有ると、
それこそ日本でも成行きが有れば、
アメリカに行っても成行きは有る、
何処でも成行きは有るものだと、
だから成行きと言うのはどこの世界に行っても有る、
それはやはり神様の御働きだ、
とこれは頭で分かった世界ですね、
しかし現実世界に目を向けてみると、
どうもそうとばかりは言えない事に出くわします、
世界中で様々な難儀が起こっております、
勿論戦争が有ったり、色々な事が有ります、
それも神愛だろうか、と言う事になりますね、
これは分かりません、正直なところ分かりません、
それで最近、これならば間違いない、
と分からされました事は、
世界の何処そこで起きて居る全ての成行きが神様の御働きかどうか、
一切神愛の中に有るのかどうかは分からない、
と言うのが私の結論ですね、
しかし間違いない事は、天地金乃神様の祈りの傘の中、
師匠大坪総一郎師の祈りの傘の中で起きて来る、
起きて居る出来事、その祈りの傘の中で起きて来る成行き、
これはもう間違いなく神の働きであり、
一切神愛だと言う事なのですね
そのミニ御理解にあれはいつでしたか、
ある先生のお言葉として、
お取次ぎを頂かずして起きて来る事、良い事、悪い事、みな悪い、
お取次ぎを頂いて起きて来る事、良い事、悪い事、みな良い、
と言う御教えが有りますね、
これが端的に表して居られるのではないでしょうかね、
いわゆるお取次ぎを頂くと言う事は、
その祈りの傘の中にあると言う事ですね、
その取次者の祈りの傘の中で起きて来る事であるから、それこそ
良い事も悪い事も、皆神様の御働き、一切神愛の現れだと言う事です、
しかしその取次ぎを頂かずして起きて来る事、
それは祈りの圏外と言う事になりますね、
その傘の外で起きて来る事は分かりませんね、
良い事、悪い事みな悪いと仰って居られますけれども、
私は、悪いかどうかは分かりません、
けれども間違いなく、その祈りの傘の外で起きて来て居る事は、
神の働きか、神愛であるか、天地金乃神様の御働きであるか、
天地金乃神様の愛の現れであるかは分からないと言う事ですね、
間違いない事は、師匠の祈りの中、天地金乃神様の祈りの中、
その傘の中で起きて来る事であるならば、
これは間違いなく、成行きは神の働きであり、一切が神愛だと、
少なくともここの確信は持てれるようにならなければならない、
またこの確信は持てる、
と言う事なのですね
そしてそこから祈りの傘が少しずつ大きくなるおかげを
頂かねばなりませんけれどもね、
そしてその祈りの傘が
愈々世界中を包み込む事になれば、
その一切が神の働きと言う事にも、
神愛だと言う事にもなると思いますけれどもね、
先ずは、その天地金乃神様、
あるいは師匠の祈りの傘の中で起きて来る事、
これはもう間違いなく、成行きは神の働きであり、一切が神愛だと
言う事の確信を頂くと言う事がまず第一だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿