2022年12月27日火曜日

人の助かりに繋がる溢れる程のおかげも頂いてみたい (2022-12-27)

 今日も和賀心学 (2022-12-27)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


四代様のお歌だと思う、これ位の事なるからによからんと心許すに過ち起こる、と。今朝は私の油断から日月の心即ち実意さが欠けていた事に気付かされ反省させられている。と、コップに水を入れて、入れ過ぎてコップが揺れてその水が溢れる所を頂いた。人の助かりに繋がる溢れる程しのおかげを頂きたい。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 146頁)


ビデオ: https://youtu.be/BQMVJow-aHc

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-27.mp3


合掌

中原博信

-------------------------------------------------------


御神訓




信心する人は常に守りを心にかけておれよ




電流がそこまで来ておっても

電球の玉が緩んでおっては、灯りにならない




信心も金光様を頂いておるというだけでは

真のおかげにつながらない




心に一心があって、

初めて心に守りを懸けたことになる




心に守りをかけると有ります

ついつい緩んでしまう事が有りますね、




私も今朝は大変反省をさせられて居るのですけれども、

ついつい迂闊に油断をすると言う事が有りますね、




それである何ですか、書類を出さねばならないのですけれども、

その書類を出す上において、




私の、具体的には一寸難しいのですけれども、

表現が難しいのですけれども、




ある書類を出さねばならないと、その期日と言うのが有りますね、

それをまぁ迂闊にしてたわけですね、




言わば、日月の精進と言うものが欠けておった事に、

改めて気付かされて、ある意味失敗したなと、




愕然とさせられて居るのですけれども、

これは私の実意が足りないなと、




日月の精進が足りないと言う事だなと、

思わせられております、




その日月の精進、

これは四代金光様ですか、




これくらいの事なるからに、よからんと心許すに過ち起こる、

ですか、




まぁ、これくらいはよかろう、と言うその、

ある意味甘い考えがいけないと言うのですね、




やっぱりその通りだと思いますね、

今朝はそう言う事を失敗したなと、




日月の心が足りなかったな、と反省しておりましたら、

心中祈念の時に、




よくコップに水を注ぎますね、そしたらそのコップから

いわゆる注ぎ過ぎて溢れてしまう事が有りますね、




そう言う情景を頂くのですけれども、

どう言う事だろうかと思わせて頂きます、




が、そこに、2つの事が有りますね、

一つ思わせて頂きましたのは、




それこそ、受け物が悪ければおかげが漏るぞと、

言わば受け物が、コップが小さい、




神様が授けて下さろうとするおかげが、

私どもの受け物が小さいから受け漏らしてしまう、




と言う場合が有りますね、




その受け物を大きくしなければ、

大きなおかげも頂けないと言う事、




受け物が小さいから、神様の、

言わばおかげを受け漏らしてしまう、と言う事が一つ有りますね、




と、もう一つ心に浮かんで来ましたのは、

師匠が仰って居られました、




その師匠の、私の有難さ、その余波で人が助かる、

と言う様な事を仰って居られました、




有難くなると言う事は、

ただ単に自分が有難くなる、と言うだけではない、




その自分自身が有難いと言う、

その有難さの余波で人が助かって行くのだと、言う事なのですね、




つまりは、人が助かる程しの余波を、

与えきる程しの有難さを頂いて行かねばならない、




言わば溢れる程しの有難さが有って、

その溢れた有難さで、人が助かって行く、




これはその私どもが、コップの中に水を入れる、

お恵みを頂く、




その私の頂いたそのコップから溢れたおかげと言うのでしょうか、

お恵みと言うのでしょうか、




その溢れたそれで、人様にお裾分けが出来る、

と言う程しのおかげを、また頂いて行かねばならない、と




言う事でもあろうと思うのですね、




私どもが頂くおかげ、そしてそのなる程私どもの受け物を

大きくすれば溢さずに済むわけですけれども、




それでも大きくしてでも、溢れてしまう、

溢れてしまう程しのおかげもまた頂いて行かねばならない、




その溢れる程しのおかげを頂いて、その溢れるおかげで人が助かる、

と言うおかげも、また頂いて行かねばならないと、




言う事だと思いますね、

師匠の有難さの余波で人が助かる、




私どもが頂く有難いと言う、

その余波で人が助かる様なおかげにもなって行かねばならない、




その為には、やはり日月の精進、

私が今朝失敗したなと思っております、その日月の精進、




それ無くしては、とても有難さの余波で人が助かる、

と言う様な事にはならないと、




受け漏らすと言う事でも有りましょうね、

神様が下さろうとするおかげを、きっちり頂いて行く、




しかも、それが溢れんばかりのおかげを頂いて行こう、

と言う為には、どうしても日月の精進を欠かしてはならない、




これくらいの事なるからに、

よからんと心許すに過ち起こる、




言わば神様の下さろうとするおかげを

受け漏らしてしまう事にもなる、と言う事ではないでしょうかね、




どうでも日月の精進、実意さと言うものを、

愈々求めて行かねばならないと、今朝は反省させられて居ります




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿