今日も和賀心学 (2022-12-18)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は御晩年に、助かりのわを広げたし 常に和賀心にあるを、とお書き下げをされて居られる。信心とは、神の心を心とすることと教えて頂く。神の願いの第一は人が助かることですとも。即ち神の心を心とすると言うことは、人の助かりを願い祈る心が愈々強く大きく育つことだと思う。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 213頁)
ビデオ: https://youtu.be/QFF8O5WN8BE
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-18.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第7節
天地金乃神は昔からある神ぞ
途中からできた神でなし
天地ははやることなし
はやることなければ終わりもなし
天地日月の心になること肝要なり
信心はせんでもおかげはやってある
如何に天地は流行る事もなく終わりもないにいたしましても、
其の天地を生かすも枯らすも氏子の信心次第であります
いつの時代いつの世になりましても、
生きた天地の働きを人間氏子の幸福のため、
生神金光大神取次の道の真意を体して、
気を緩めることなく頂きつづけねばなりません
それには天地日月の心になることが肝要であります
天地日月の心とは、だまって与え、だまって受け切り、
日々を実意をもって生きることです
天地日月の心、
これは神様の御心だと教えて下さいます
しかしその天地日月の心も、
人間、私どもが身に着けねばならない心、
それは全ての天の心、地の心、日月の心ではない、
生身の人間が助かって行く事の為、
生身の人間が助かって行くことにおいての、
天の心、地の心、日月の心だと、
師匠大坪総一郎は釘を刺して居られます、
中にはそれこそ天変地異と言った様なものが有ります、
あれとてもやはり神様の御心の現れであるのでしょうけれども、
そう言うものまで私どもが身に着ける事はないと、
それでは人を傷つけてしまったり、
と言う様な事にもなりかねませんからね、
人が助かる事、生身の人間が助かる事の為の
天の心、地の心、日月の心を身に着けなければならない、
と師匠は教えて下さいます
今朝の心中祈念の時に改めて思わせて頂くのですけれども、
自分自身を振り返って、
何とその人の助かりを祈る心と言うのでしょうか、
人の助かりを願う心と言うのでしょうか、
それがまだまだ弱いな、小さいな、
願いが、祈りが小さい、弱いと言うものを反省させられますね
師匠の御晩年のお書き下げの一つに、確か、
助かりのわを広げたし、常に和賀心にあるを、
と言った様な御教えが有ったと思います、
助かりの輪を広げたしと、
師匠が自ら助かって行かれた、
助かって居られるその心の状態を、それこそ世界中に広めたいと、
これは結局、世界中の人に助かって欲しい、
助けたいと言う心の表れだと思いますね、
それは結局、神様が、私ども人間に求められるもの、
神の心を心とする、その神の心とは、人の助かりを願う、
神様の御神願御成就の第一は、人の助かりだ、
とも教えて頂きますね
そして天の心、地の心、日月の心、
地の心、土の心で 8合目まで登り、後の 2合は天の心だと、
天の心、それは与えて与えてやまぬ、
いわゆる言わば人の助かりを祈る、願う心だと言う事ですね、
その人の助かりを願う、祈る心が、
私どもの心の中にどれ程芽生えておるか、
そしてそれが育って行っておるか、
と言う事がやっぱり大切な事だと言う事ですね、
教祖様も、人が助かりさえすればとか、
私にも欲が有ります、人を助けたいと言う欲が有りますと、
仰って居られますように、
私どもの中にそれこそ、土の心によって自らの心の助かりが得られる、
そしてそこから更に、人様の助かりを願う心、
天の心が愈々育って来なければならない、と言う事ですね、
そしてその人の助かりを祈る、願う人達が沢山増えた時に、
世界の真の平和、平和が達成される事に繋がるのではないでしょうかね
やはり自分さえ良ければ良い、と言った、
自分が助かる事さえ出来れば、
と言う自分の助かりだけを願う世界では、
人様の事はどうでもよいと言う事になるわけですから、
世界の平和が訪れるとは思えませんね、人の助かりを祈れる人達、
その人の助かりを祈る心が愈々強く大きく育った時に初めて、
そう言う人達が集まった時に初めて、
世界の真の平和が訪れる、と思いますね、
どうでもなる程和賀心を目指す、その和らぎ賀ぶ和賀心を目指す、
目指しての信心であるわけですけれども、
それはどこまでも、おかげは和賀心にあり、と言う、
その自らがおかげを頂く為に、和賀心を目指す、
と言うそこからもう一歩進んで、その和賀心をもって、
それこそ人の助かりを祈ると言うのでしょうかね、
師匠の、助かりのわを広げたしと、
常に和賀心にあるをと、
その自らの和賀心は何の為に使うのか、
自分がおかげを頂く為ではない、
人様が助かって下さる事の為に使わせて頂く和賀心、
自分が助かる為に、勿論それは
和らぎ賀ぶ心を求めるので有りましょうけれども、
そこから更にもう一歩進んで、人様の助かりを祈る、願う、
その為には、まず私が和らぎ賀ぶ和賀心を頂いておかねばならない、
と言うそこに至っての、人の助かり、
人様がおかげを頂かれる事の為に私の和賀心を求めて行く、
と言う事に、そう言う世界に入って行かねばならない、
そう言う心が育って来なければならない、のではないでしょうかね、
信心をさせて頂き、
自分さえ、家族さえ幸福になれば良いと言うのではない、
周囲の人達をも、それこそ世界中の人々が幸せになる事の為に、
信心をさせて頂く、
自らの心を磨く、それは自らが助かるためばかりではない、
世の人々が助かって下さる事の為、その事を祈る心を愈々育てて行く、
世の人々が助かられる事の為に、自らの心をまた磨いて行く、
と言う事になって来なければならない、
私どもの心が育って来なければならない、
と言う事ですね、
どうでも愈々人の助かりを願う、人の助かりを祈る心が、
愈々強く大きく育って来るおかげを頂きたいと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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