今日も和賀心学 (2022-12-25)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人間は兎角自分の目先の事しか見ないから、神様の大きな御働き即ち大きなおかげに気付かない。先日もある息子さんの不祥事に嫁さんが心を痛めている、それを見たお姑さんが腹を決められた。それまではお客さん気分であられたお姑さんがそこに骨を埋める覚悟が出来られたのだと思う。最高のおかげである。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 325頁)
ビデオ: https://youtu.be/vaM-6uKWcqc
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-25.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第44節
狐狸でさえ、
神にまつられることを喜ぶというではないか
人は万物の霊長なれば、死したる後、
神にまつられ、神になることを楽しみに信心せよ
教祖は『この世で神にならずして、あの世で神になれるか』
と教えています
神になるとは、霊長としての値打ちを発揮することです
我情我欲をはなれることです
そこには霊徳、神徳が渾然として一つになる世界があります
いわゆる『神徳の中に生かされてあり』の実感です
『死したる後、神にまつられる』
ということは、
吾が心が神に向こうて行くことを楽しみに
生涯かけて精進して行くことをいうのです
吾が心が神に向こうて行く、と教えて居られますが、
これは明らかに 2つの意味が有ると思いますね、
一つは、吾が心が神に向かう、神様に心を向ける、
と言う意味合いにおいての心を向ける、神に向かうですね、
昨日のお話でしたかね、私の心を神に向ける、
神様の方を見ると言う事でしょうかね、
ともう一つは、こちらが大切かと思いますけれども、
吾が心が、自分の心が神様に向かう、言わば神様の心を心とする、
と言う事ですね、神に成る、人間は神の氏子だと、
氏子が神に成るのは、正しく成長すれば神に成る、
人間がそれこそヒューマンビーイングと言われますね、
人間はヒューマンビーイングだと、
しかしそのヒューマンのビーイングが正しく成長すれば、
これはデバインビーイング、言わば神に成るはずなのですね、
ヒューマンビーイングからデバインビーイング、言わば神に成る、
それが神に向かう、と言う事の一つでもあろうと思いますね
今朝は、心中祈念の時に、
こう言う事を思わせて頂くのですけれども、
その私どもが、神様のおかげをおかげと分からない、
なぜ神様のおかげがおかげと分からないのだろうか、
それは目の前の小さな自分の問題と言うのでしょうかね、
それだけに拘泥していると言うのか、
自分の目の前にある事だけしか見ない、
それこそ今朝のミニ御理解では有りませんけれども、
神様の心を分かろうとしない、
神様に心が向いていないから、
神様の、本当におかげを頂いていると言う、
その神様のおかげにすら気付く事が無いのですね
昔、こう言う事を頂いた事が有りますけれども、
お夢でしたかね、
ある自動車が、山の中ですか、
それを猛烈な勢いで走っているのですね、
ところがその行き先は崖が、言わば橋が壊れていて、
もうそのままのスピードで突っ込めば、崖から落ちてしまう、
と言う状況なのですね、
ところが、車を運転している人には分かりませんから、
それこそスピードを楽しんで、
目一杯スピードを出しているわけです、
そこに、上空に 1台のセスナ機ですかね、
そう言う小型飛行機が飛んでいるわけですけれども、
その小型飛行機が下を見て、ああ危ないと、
あの自動車があのままのスピードで走って行ったら、
それこそ次のカーブを曲がりきったら、もう崖だと、
落ちてしまう、と上空から見てると分かるわけです、
それで何とかその車を止めなくちゃ、と思うわけですね、
しかし止めようにも止めようが無い、
言わば、今で言えば携帯が有ったり、
で、無線機で連絡がつくのかもしれませんけれども、
そこの世界ではいわゆる通信手段が無いわけです、
上空を飛んでるセスナ機と、
その自動車との間の通信手段が何も無い、
だから危ないよ、止まりなさい、
と大声で叫んでも聞こえるはずも無い、止めようが無いわけです、
このまま行けばもう間違いなく崖から落ちてしまう、
と分かっているけれども、
上の飛行機からは、それを止めようとする術が無い、
通信手段が無いわけですね、それでどうするかと思い立つ、
そして何とか止めなければと思う、
走っている、突っ走っている車を止めなければと思う、
そして幸い、
そのセスナ機には機関銃が積んであるわけですね、
で、その走っている自動車を止める為に、
その機関銃で撃つわけです、
勿論、自動車を撃つのでは有りませんね、その前の方を、
止まりなさいと言う合図のつもりで、その機関銃で撃つわけです、
車の前の方をですね、前方を、
それで止まって欲しいと、しかし、それが伝わらない、
車の方からしてみれば、上から、
飛行機が飛んでいるその飛行機から攻撃されたと、思うのですね、
上の飛行機は、もうこのまま行くと危ないから止まってくれよ、
と言う願い、その為に車の前方を射撃するのですけれども、
車の運転している人にしてみれば、上から攻撃されたと、
上から、飛行機から機関銃で撃たれていると、
これは速く逃げなくちゃ、と言って、
寧ろスピードを出してしまう様な事にもなりかねないわけですね
その先どうなったかはお夢では分かりませんでしたけれども、
そう言うものだと言う事です、
言わば私どもと神様との間の通信手段が確立されていない、だから、
神様が伝えようとして居られる事がダイレクトに伝わって来ない、
このまま先へ進むと危ないぞと、ここで止まれよと、言うのを、
上の飛行機から機関銃で撃つしか手が無いわけです、
それを、下界の車を運転している人は、
攻撃されていると勘違いしてしまうわけです
もしそこで車が、これは停止しろと言う合図だと、
撃たれているから、これはもうここで止めよう、止まろうと、
急ブレーキをかけてでも止まれば、それで助かるのですけれども、
中々誤解をしてしまいますね、勘違いをしてしまいます、
そして結局不幸な事になってしまうのかもしれませんね
神様が、私どもに与えて下さる一つの警鐘と言うのでしょうかね、
おかげと言うのでしょうか、
その上から機関銃で撃たれる、
それは大変な神心のおかげなわけです、
それを、車を運転している人間は、おかげとは感じない、
攻撃だとしか思わない、
おかげをおかげと感じない所に、
行き違いが有ると言うのでしょうかね、不幸な事ですね、
先ずはその、もしそこに人間と神様との間の通信手段、
と言うものが確立されるならば、
またそこに例えば、上から前方を撃たれた、
そしたらもうそこで止まろう、と、
素直にその成行きを頂く事が出来て、そこで止まる事が出来たら、
そこから先の崖から落ちると言う様な事には至らないのですね、
ある意味、成行きは神様からのメッセージ、
言わば通信手段の一つだと、
もしダイレクトにお話が出来れば、
それが一番良いのでしょうけれども、
ダイレクトに話す事が出来ないから、成行きを通して、
神様がある意味警鐘を鳴らして下さる事も有る、
その成行きを素直に頂き、そこで車を止めるならば、
それ以上に災難に遭う事も無いのでしょうけれどもね、
ですから、成行きを素直に大切に頂くと言う事は、
大切だと言う事が分かりますね、
尤も一番望ましいのは、私どもと神様との間の通信手段が
確立すれば、それが理想的では有りますけれどもね、
そう言うふうにして神様の、おかげを下さってある神様のおかげが、
おかげとして分からない、
どうして上から攻撃されるのだろうかと、しか思わない、
おかげをおかげと思わない、まあ残念な事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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