今日も和賀心学 (2022-12-23)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師が大切にされたもの、それは親孝行の心。天地金乃神様が大切にされるもの、それは人の心が育つこと。おかげは和賀心にあり、と、おかげが欲しいから和賀心を目指す。それは丁度馬の目の前に人参をぶら下げる様なもの。神様の本当の目的は人参を与える事ではない、馬を走らせることに有る。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 374頁)
ビデオ: https://youtu.be/yMt1prEmw1U
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-23.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第60節
おかげは受け徳、受け勝ち
心が豊かに大きくなる、おかげも豊かに大きくなる
まさに受け徳であり、受け勝ちである
心が豊かに大きくなると言う事は、
心が大きく豊かに育つと言う事ですね、
昨日、お話さして頂きましたのは、師匠が大切にされたもの、
師匠が大切にされたもの、師匠大坪総一郎師が大切にされたもの、
それは親孝行の心だと、
言う事でしたけれども、
今朝は、では神様サイドから、神様が大切にされたもの、
大切にして居られるものは何か、と言う事を、
今朝は心中祈念の時に、
その一端を教えて頂いた様な気が致します、
人間の側から大切にするもの、
そしてまた神様の側から大切にされるもの、と言うのでしょうかね、
神様は、何を大切にして居られるのか、
と言う事ですね、
天地書附に、おかげは和賀心にあり、と有ります、
ですから私どもはその和賀心を目指そうと致します、
師匠の御教えにも、目指すは和賀心、体得するは一切神愛、
と有ります、また和賀心実証家庭を目指す、
と言った様な表現もされます、
そして和らぎ賀ぶ和賀心を頂く事に精進をさせて頂く、
と言う事ですね、
富士登山に例えて、和賀心登山と表現される事も有りますね、
言わばその私どもが和賀心、
和らぎ賀ぶ和賀心を頂く事を目指して精進をさして頂く、
その和賀心の前には、霜に煮え湯をかけるが如くに、
一切のメグリも無くなる、
言わば幸福の大前提になるもの、それは和賀心だと、
そこで和らぎ賀ぶ和賀心を求めて精進をする、
と言う事になるわけですけれども、
ある意味において、
おかげは和賀心にありと言われるから、そのおかげが欲しいのですね、
私どもは、人間はそのおかげが欲しい、
和賀心になればおかげがあると言うから、
和賀心を目指そうとする、言わばおかげが目的なわけです、
その為には和賀心になろうと言うわけですね、
そしてまた和賀心になったらこう言うおかげが有りますとか、
こう言う功徳が有ります、と、
和賀心になったら幸せになります、和賀心になって幸せになりました、
と言った様な事を表そうとしたり致しますね、
ところがよくよく考えてみると、
神様の御神意、神様の願いと言うものは、
そこに有るばかりではないと言う事が分かります、
例えば、馬の前に人参をぶら下げます、馬は人参が食べたい、
お腹が空いていて人参が食べたいと思います、
その、おかげは和賀心にあり、と言うこの御教えは、
丁度お腹の空いている馬の前に人参をぶら下げる様なもの、
ではないでしょうかね、さあそしてそれからどうなるか、
神様が目論んでおられるものは何か、となると、
馬の前に人参をぶら下げて、
そしてその馬に人参を食べさせる事が目的では有りませんね、
ですから、おかげは和賀心にあり、
と言う人参をぶら下げて、
神様の目的は、人間に和賀心になってもらうと言う事、
和賀心を食べさせる事ではない、と言う事になりますね、
神様が人間に求められるもの、人間に与えたいもの、
それは和賀心と言うものではない、
勿論そのご褒美として和賀心が与えられる、
と言う事は有るのでしょうけれども、
それこそ馬にご褒美として和賀心、失礼、人参を与える、
と言う事は有るのでしょうけれども、
神様の一番の目的、馬の前に人参をぶら下げる一番の目的は、
馬を走らせる事ですね、馬の前に人参をぶら下げたら走る、
その走らせる為に人参をぶら下げるわけです、
人参を与えるのが目的では有りません、
ですからおかげを、例えば、その前に、
和賀心と言う事になるのでしょうけれども、
その和賀心を与える事、
授ける事が最終目的ではない、と言う事ですね、
和賀心を目の前にぶら下げて、人間を走らせる、
さあ人間を走らせると言うのはどう言う事でしょうかね、
それはその人間が、和賀心を目指して、和賀心を頂きたいと、
様々な精進努力をする、
その和賀心を目指しての精進努力の過程、
それが神様の狙いだと言う事ですね、
和賀心と言う心が育つ、育てる、その事の為に、
言わば自らの心を育てる事の為に様々な努力をする、
そこに精進をする、
それが馬を走らせると言う事で有り、
神様の狙いは、人間が自らの心を育てようと、
その育てる為に精進努力をする、そこに走る、
それが神様の目的だと言う事ですね、
和賀心と言う人参をぶら下げる事によって、
人々が心を磨く事に、和賀心を頂こうと心を育てる事に精進する、
と言うのでしょうかね、走り出すと言うのでしょうかね、
神様の狙いは人の心が育つ事、馬を走らせる、
それは人が自らの心を育てようと走らせる、走る、
その事が神様の狙いだと言う事ですね、
なる程心を育てようと、そこに走り出せば、
たまには人参も与えられる、たまには和賀心も与えられる、
と言う事では有りますね、
けれども神様の目的は、人間を走らせる事、
心を育てる、と言う事に向かって走らせる事、
これが神様が一番大切にされる事、
それは、心を育てると言う事だと言う事ですね、
ですからそこに和賀心を得る事が目的ではない、
和賀心を得ようとして、そこに心を育てる、
精進をさせて頂く事、それが目的であるわけですから、
なる程和賀心になったからおかげが有ると言うのではない、
和賀心になろうとして走る所に、
もう既に神様の願いが叶って居ると言う事ですから、
おかげにもなろうと言うものですね、
師匠がよく仰っておられました、
和賀心になり得ずとも、和賀心になろうとする所に、
もう既に神様がおかげを授けて下さると、
その御心もよく分かりますね
神様が私どもに求められるもの、大切にされるもの、
それは和賀心そのものではない、
その和賀心を求めて、目指して心を育てる事、
精進努力をする事、その事が大切だと、
また神様が大切にされる事は、
心を育てようとする事だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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