2022年12月10日土曜日

師匠大坪総一郎師の教えを実験すれば必ず実証が現れる (2022-12-10)

 今日も和賀心学 (2022-12-10)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の信心の特徴の一つは、信心の世界で実験と言う言葉を使われた事ではないだろうか。教えを実験してみて下さい、必ず実証が現れますと。何処で誰が実験しても必ず実証、即ち神の働きが現れると言う教えへの確信であり、祈りへの確信が無ければ言えない。実験しなければ実証は現れない。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 391頁)


ビデオ: https://youtu.be/QTafUTsoK-E

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-10.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第66節




人間は勝手なものである、いかなる知者も徳者も、

生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、




途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、

死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる




神ながらに生まれ、神ながらに生き、神ながらに死ぬ、

信心者の一生は、かくおかげを受けたいものである




出物腫物所きらわずと言うが、

信心して居れば所をきらわして下さる神さま




生きるも死するもおくり合わせを願え




神ながらに生まれ、

神ながらに生きると、




それはどう言う事でしょうかね、

それは、神様の御働きのまにまに生きさせて頂く、




神様の御働きのまにまに生まれ、そして生きさせて頂く、

人生を送らせて頂くと言う事だと思いますね、




神様の御働きのまにまに、

と言う事はどう言う事か、




それは、私どもの身の上に起こって来る事柄、

いわゆる成行きのまにまにと言う事になると思いますね、




師匠大坪総一郎師が教えて下さる御教えの特徴の一つに、

実験実証、と言う事を教えて下さいます、




普通、実験と言うと、

いわゆる科学の分野でよく使われる言葉だと思いますね、




その宗教的なものの中に使われる事は少ないと思うのですけれども、

師匠は、実験してみて下さいと、この教えを実験してみて下さいと、




そこには必ず実証が現れます、

言わば、神様の御働きが必ず何かしら現れると言う事ですね




神ながらに生きると、

実は今朝も、さあどう言うお話をさせて頂いたら良いのだろうかと、




心中祈念の時に思わせて頂いておりました、

そうしましたら、最近の成行きの事を思わせて頂くのですが、




実はいわゆるレシートですね、

お店で買い物をしたレシート、




これが、それを入力するのが一つ一つ見ながら入力するのが

大変手間がかかりますね、




ですからこれをタブレットやスマホで写真を撮って、

自動的に入力出来るソフトと言うのでしょうか、




アプリと言うのが幾つか有るわけですね、

それを説明書を読んでも、中々実際に分からないわけです、




どう言うふうなものなのか、どうしたら良いのかが、

説明書を見ただけでは分からない、




そこで、これは試しに使ってみなければこれ以上の事は分からないな、

と言う感じがしたのですね、その事を思い出させて頂いたのです、




言わば説明書を読んだだけでは、見たり聞いたりしただけでは、

そこから先の事が分からない事が沢山有るのだと、




実際に試してみて、

それこそ自動車でもそうですね、




自動車を買う時に、色々セールスの方から説明を頂いても、

実際には中々分かりませんね、




やっぱり、自分で試しに運転してみる、いわゆる試乗ですか、

試乗してみて初めて、その良いのか悪いのか、




自分にフィットするか、しないか、

そう言うフィーリングも有りますからね、




そう言うものを感じさせて頂く事が出来る、言わば話で聞いたり、

本で読んだりしただけでは実際の所は分からない、




実際、試してみなければ分からない所が有るわけですね、

その事を何か頂くのですね、




つまり、教えが有る、その教えを聞く、そして頭でなる程と分かる、

それだけでは本当に分かったとは言えない、




また本当に分かってはいない、と言う事でもありますね、

実際に行じてみなければならないと、




師匠が仰って居られたもう一つに、

とにかく教えなら教えを実験してみなさいと、




実際に取り組んでみなさいと

そして実験したら、その分からない所が分かって来ると、




それは、どこが分からないかが分かる、と言うわけですね

車の運転の説明を聞いて、なる程そうかと分かる、




それで運転が出来るように思う、

しかし実際に運転してみようとすると、




実際のところ何が分かっていなかったか、

どこをどうしたら良いのかが分からない所が分かる、




と言うわけですね、教えも実際に行じてみないと、

その分かったように思って居るけれども、分からない所が分からない、




実際に実験してみて初めて、ここはどうすれば良いのだろうか、

こう言う時には、どう成行きを頂いて行ったら良いのだろうか、




といわゆる実験して初めて、

疑問点も生まれて来るわけですね、




教えも、やはり実験してみなければ、実際の所を、その運用の仕方、

と言うのでしょうかね、教えの使い方と言うものも分かりませんね、




先ずは、とにかくその御教えを、成行きを大切にするならば、

何かしら成行きを大切にしてみる、先ずは実験をする、




土の心なら土の心、黙って治めるなら黙って治める、

その実験をしてみる、その実験をして初めて、




こう言う時にはどうしたら良いのだろうか、

と言う疑問も湧いて来る、




そしてまたそこに必ず実証、

即ち神様の御働きが何かしら現れて来る、




なる程こう言う事なのか、

と合点が行く事も出来る、と言うわけですね、




どうでも教えを頂き、そしてその教えを先ずは実験をする、

そしてその事が、なる程と思ったら、




そこから更に、

その教えを身に着ける精進をさせて頂く、




いきなりさんぱち教えを身に着けると言っても、

それは難しいでしょう、




先ずはその教えを実験してみる、そしてその確かさを確信して、

愈々自分の身に着けようと精進をさせて頂く、




と言う段階を踏んで行かねばならねないのではないでしょうかね、

とにかく先ずは、御教えを実験してみると言う事ですね、




そこには必ず神様の御働きである実証が現れる、

そう言う御教えを師匠は下さってあると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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