2022年12月24日土曜日

神様から嫌われる様な事をしないと言う信心生活 (2022-12-24)

 今日も和賀心学 (2022-12-24)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心生活という事を言われる。天地金乃神様に喜んで貰いたい一心での日々であれば理想的なのだろうが、現実は中々そうは行かない。何が神様に喜んで頂けるのか分かり難い。一方こんな事では神様に嫌われるだろうなあと言う事は案外ピンと来る。その神様から嫌われる様な事をしないと言う信心生活もある。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 244頁)


ビデオ: https://youtu.be/qEzjOn3PGDQ

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-12-24.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第17節




神の綱が切れたというが、神は切らぬ

氏子から切るな




切れたとまではゆかぬでも

切れかかって居る人が




沢山いるのではなかろうか

不平不足はおかげが切れる




神様との綱を切る、

と言う事はどう言う事でしょうかね、




私どもが信心をさして頂く、

そして信心生活と言う事を申しますけれども、




ではその信心生活とは、

一体どう言うものであろうかと思いますね、




どう言う事が信心生活と言う事になるのか、

これはそれこそ今日の御理解では有りませんけれども、




神の綱が切れる、こちらから神様の綱を切る、

神は綱を切らぬと仰る、私どもが神様の綱を切ってしまう、




ではその綱が切れていない状態とはどう言う状態なのか、

綱が切れた状態とは、神様が切られるのではない、




氏子の方から、その綱を切ってしまった状態、

と言うのはどう言う事かと思いますね、




それは結局、神様を心にかけておるかどうか、

と言う事だと思いますね




神様を心から外して居る時、神様の事を考えていない時、

と言うのでしょうかね、




自分だけの事しか考えていない時、

これなどが神様との綱をこちらの方から切ってしまって居る時




ではないでしょうかね、




信心生活、そのなる程理想的なものは、神様に安心して頂こう、

神様に喜んで頂きたい、神様のお役に立ちたい、と言うのが、




そう言う日々の生活をさせて頂くのが

理想的な生活なのでしょうけれども、




中々私自身として、どうあったら神様に喜んで頂けれるのか、

と言う事が分かりませんね、




こうしたら神様に喜んで頂けれるだろうか、

ああしたら神様に喜んで頂けれるだろうか、




と心を使うのでしょうけれども、

どうしたら神様が喜んで下さるか、中々分かりませんね、




尤も師匠が教えて下さる、成行きは神様の御働きだ、

その神様の御働きである成行きを大切に尊ばせて頂く、




そうすれば、神様を大切にする事になるから、

神様も喜んで下さるに違いない、とは分かりますね、




ですから神様に喜んで頂く事の一つは、

なる程成行きを大切にする事だ、と言う事にもなりますね




しかしそれだけでは、

中々 1日の内に神様を心にかけて居ると言う事から、




神様を外してしまって居る時も、

勿論沢山有る事になりますね、




私の中で、どうしたら神様に喜んで頂く事が出来るか、

そう言う生活が出来れば一番良いのでしょうけれども、




これは中々難しい、




それは、どうある事が神様が喜んで頂ける事なのか、

が、直感として今一分からない所が有るからですね、




これに対して、例えばそれを御神徳を頂く為の信心と致しましょうか、

どうあったら、神様から信用して頂けれるだろうか、




どうあったら神様から好いてもらえるだろうか、

どうあったら神様から愛してもらるだろうか、




という言わばある意味、

積極的なアプローチと言うのでしょうかね、




これは中々私としては、私自身は難しい、

どうやったら良いのかよく分かりません、




しかしもう一つの、

神様から嫌われる、と言う事が有りますね、




神様から好かれる、と言うあり方と、

また神様から嫌われる、と言うあり方が有ると思いますね、




この神様から嫌われる、と言うのは意外とピンと来るものですね、

こう言う事をしてたら神様から嫌われるな、と言う事が有りますね、




勿論教祖様の御教えにも有ります、

神は荒れ地、荒れ屋敷をお嫌いなさると有ります、




ですからここで腹を立てておったり、ミニ御理解にも有ります様な、

不平不足を言う様な事では、神様から嫌われるだろうな、




と言う感じが致します、勿論ろくそない生活をしておったり、

それこそ散らかし放題であったり、




人に当たり散らしたり、腹を立てたり、

こう言うあり方では神様に嫌われるだろうな、




それこそ人を騙したり、と言うのでしょうかね、

その今ある自分が、神様から嫌われるのではなかろうか、




と言う自分である、

これは不思議と何となく分かるものですね、




こんな事をしたら、こう言う事を思ったら、

それこそ人の悪口を言ったり、思ったり、




神様がとても喜ばれるとは思えない、

神様に嫌われるだろうな、と言う感じがする事が有ります、




神様に喜んで頂くと言う事は、中々難しい事だけれども、

せめてその神様から嫌われるだろうな、と思われる事をしない、




と言う事ですね、こんな事をしたら神様に嫌われるだろうな、

例えば車を運転してて、信号が赤になる、




その前に黄色になりますね、

その黄色になった所を無理してでも突っ切ろうとする、




果たして神様が喜ばれるだろうかと思いますね、

いや、こんなそれこそ黄色信号、




もう赤になろうとして居る所を無理やり通ろうとする、

きっと神様に嫌われるだろうな、と言う感じが致しますね、




その、こんな事をしておったのでは、神様に嫌われるだろうな、

と言う様な事を退けて行く、しないと言う事ですね、




積極的に神様に好きになってもらう為に、この事をしよう、

と言う事も、勿論大切ですけれども、それは中々難しい所が有る、




ですからせめて、こんな事をしたら神様に嫌われるだろうな、

と感じる事、その事をやめておく、しないと言う事ですね、




ある意味、

消去法的な生き方かもしれませんけれども、




そう言う生き方も信心生活としては、

大切なのではないかと思いますね、




結構有りますね、

腹を立てる、ここで腹を立てたら神様に嫌われるだろうな、




不平不足を言う、人を責める、

こんなに人を責めておったのでは、




こんなそれこそ不平不足を言う様な心では、

神様から嫌われるだろうな、と思う事が有ります、




その、こんな事をしてたら、

神様から嫌われるだろうな、と




これはもう心を神様に向けた姿ですから、

こちらから神様の綱を切って居るとは言えませんね、




寧ろ神様と綱が繋がって居る、

繋げようとして居る姿だと思いますね、




ですからせめては、その神様から嫌われるだろうな、

と思う事をしない、やめて行くと言う精進、




これがまたその積み重ねが、

愈々神様から嫌われる事が無くなった私になれば、




それはもう神様から好きになってもらう事以外

有りませんからね、




せめて、神様から嫌われる事をしないないかと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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